控えめに言って天使
暗殺者ギルドの会議室。
今は亡きモモとの打ち合わせにも使っていた場所だ。
そこでクロネコは、腕を組んで椅子に座っていた。
人を待っているのだ。
程なくして扉が開き、中年の男が姿を表した。
「よお、クロネコ。済まねえ、遅れちまったか?」
「いや、ハゲタカ。時間ギリギリだ」
「そいつはよかった」
ハゲタカは髪の薄くなった頭をぺしっと叩く。
「いやあ、娘の誕生日が近くてなあ。今日は女房と一緒にプレゼントの下見に行ってたんだよ」
ハゲタカは誰が見てもわかるほど頬を緩ませながら、椅子に腰掛けた。
「むしろ娘がいたことが意外だが……。既婚者だったのか」
「ああ。カラスの奴は知ってるんだがなあ。こう見えて息子も娘もいるんだぜ」
「カタギと結婚したのか?」
「まあな。家族には、俺の仕事は貴族お抱えの商人だと伝えてある」
「商人なら、あちこち飛び回っていても不自然ではないな」
「そういうこった」
暗殺者ギルドは非合法の組織であり、構成員の大半は、王国の法に照らし合わせれば犯罪者だ。
また、これは特に実行部隊である暗殺者に言えることだが、彼らはいつ命を落としてもおかしくない仕事に就いている。
そうした理由から、ギルドの構成員の大半は未婚だ。
あるいは結婚しても、構成員同士の職場結婚が多い。
ハゲタカのように、カタギの人間と結婚している構成員は稀だ。
「うちの娘なんだがな。カラスよりちょい年下くらいなんだが、これがもう可愛くてなあ」
「ほう、カラスより可愛いのか?」
「容姿で言やあカラスに敵う女なんざ、そういねえよ。だがうちの娘の愛らしさはあれだな。控え目に言って天使だな」
「そうか」
クロネコは理解した。
これが親馬鹿だ。
「この前なんてな。お父さんいつもありがとうなんて言ってな。仕事用の靴をプレゼントしてくれてな」
「そうか」
「まあサイズが違ってたから履けないんだけどな」
「そうか」
「でも宝物だから部屋に飾ってあるんだぜ」
「そうか」
こんなに頬の緩んだハゲタカを見るのは始めてだ。
「おい、息子はどうしたって顔だなあ?」
「いや」
「息子もすげえぜ。あいつこの前、地区の馬術大会で3位入賞しやがってよお」
「そうか」
「騎士になれるんじゃねえかって言ってやったら、剣はからっきしだから馬の育成に携わりたいとか言ってよお」
「そうか」
「立派だろ? そう思うだろ?」
「そうだな」
ハゲタカはデレデレしている。
「おい、女房はどうしたって顔だなあ?」
「いや」
「あいつも気立てが良くてだな。例えば……」
「仕事の話に入りたいんだが?」
「お、おう」
「昨日、5人のゴロツキに襲撃を受けた」
「ほう。お前さんを襲うなんざ、とんだ命知らずもいたもんだなあ」
呆れた仕草をするハゲタカに、クロネコは肩を竦める。
「誰かの依頼を受けていたようだった」
「そいつを探せと?」
「話が早いな」
クロネコは回りくどいことが好きではない。
だからこそハゲタカのことは気に入っていた。
「金は取るぜ」
「無論だ」
「なら、やらない理由はねえなあ」
ハゲタカはにいっと笑う。
「俺はお前さんの依頼、好きなんだぜ」
「金払いがいいからだろう?」
「当たり前だろ」
あけすけな物言いをするハゲタカを、むしろクロネコは信頼もしている。
金を重要視するという点で、2人の価値観は一致していた。
「ようし、必要な情報をくれ」
「ゴロツキから聞き出したが、依頼人は仮面を被った身なりのいい人物だったそうだ」
「ほお?」
「奴らは身なりがいいから貴族だろうと口走っていたが」
「ああ。そいつは短絡的な思考だなあ……と、普通なら言うところだが」
「違うのか?」
ハゲタカはさもありなんと頷いてから、ちっちっと指を立てた。
「身なりとは別の理由で、俺もそいつは貴族じゃねえかと思うぜ」
「別の理由?」
「仮面だよ」
首を傾げるクロネコ。
「お前さんは貴族の常識になんざ興味はねえと思うが、あいつらはよく風変わりな習慣を持っていてな」
「例えば?」
「例えばだが、クロネコ。お前さんは顔を隠したいとき、どうする?」
「覆面だな」
布と裁縫道具があれば誰でも作れるため、安価で手軽だ。
実際クロネコも、リンガーダ王国での仕事の際には覆面を着用していた。
「貴族の常識は違うんだ。あいつらは顔を隠したいときは仮面を被る」
「何故だ? 手間だろう」
仮面といえば金属製か木製だ。
加工には職人の技術がいる。
手間も時間も、そして金もかかる仕事だ。
「あいつらはいかに仮面に手間暇かけたかで、自分の財力と権力を示すんだよ。まあ仮面に限った話じゃあなくて、屋敷の造りや調度品についても同じだがなあ」
「無駄な金をかける必要はないと思うが」
「俺らとは真逆の価値観だからなあ」
ハゲタカは無精髭を擦る。
「ちと話が逸れたが、つまり顔を隠すチョイスとして仮面を選択するなら、そいつは十中八九……」
「貴族ということか」
「そういうこった」
「なら、これはその貴族が誰かを絞り込む助けになるか?」
クロネコは、ゴロツキたちから回収した金貨と剣をテーブルに乗せる。
「ほおお。こいつは珍しい。王国金貨じゃねえか」
ハゲタカは金貨を摘み上げると、しげしげと眺める。
「俺もそう思って持ってきた。今時そんなものを使う連中は限られているだろう」
「そりゃあ王国金貨なんざ不便なだけだからなあ」
この国に流通している金貨は2種類ある。
1つは共通金貨。
そしてもう1つが、キャルステン王国金貨だ。
共通金貨は、この大陸にあるどの国でも使用できる。
国によって通貨が異なると、国を跨ぐ商売にいちいち支障が出るからだ。
反対に、キャルステン王国金貨はこの国でしか使えない。
それにしても商売人はほとんど共通金貨を使用するし、店によっては王国金貨での支払いは受け付けてもらえないほどだ。
このご時世で未だに王国金貨を使用しているのは、王族か、あるいは愛国心が強い一部の保守派の貴族くらいのものだ。
「この剣もか?」
「ああ」
ハゲタカは王国金貨をポケットに押し込むと、剣の観察を始めた。
「ふぅむ。一山いくらの駄剣じゃねえな。品質がいい」
「お前なら、武器屋から対象を特定できるんじゃないかと思ってな」
「まあ、やってみる価値はあるな」
ハゲタカは刀身を布で包んで、剣も預かった。
「前金だ」
「おう」
クロネコが放った皮袋を、ハゲタカが受け取る。
「にしてもこういう依頼なら、カラスに振ってやりゃあいいものを。あいつ喜ぶぜ」
「あいつは武器に詳しくないからな」
「まあ、そうなんだが」
ハゲタカはまた無精髭を擦る。
その仕草を見ながら、クロネコはふと思い出した。
「そういえばリンガーダ王国で仕事をしていたときも、カラスのことをよく気にかけていたな」
「ああ。まあ何つうか……。娘みたいに思えるんだよなあ」
「実の娘と年が近いからか?」
「それもあるが、カラスの奴はしっかりしてるように見えて、たまに危なっかしいとこがあるからなあ」
「娘を見守る父親の気分か」
「まあ、そんな感じだなあ」
ハゲタカは剣を抱えると、立ち上がった。
「数日もらうぜ」
「俺の命があるうちに、対象を特定してくれ」
「ならじっくり時間をかけても大丈夫だな」
ハゲタカは冗談めかして笑うと、会議室の扉に手をかけた。
ふと振り返る。
「何だ?」
「成功したら一杯奢れよ」
「ああ」
ハゲタカは満足そうににやりとすると、今度こそ扉から出ていった。
その背中を見送るクロネコ。
ハゲタカはベテランの情報員だ。
安心して任せていいだろう。
むしろ心配すべきは自分の身だ。
財力のある貴族が、たった一度の襲撃で諦めるとは考えにくい。
次はゴロツキより上等な戦力を揃えてくることだろう。
そして人間とは、一歩誤ればすぐに死ぬ生き物だ。
それは最強の暗殺者であろうと例外ではない。
狙われているのがクロネコ個人である以上、ギルド全体を巻き込むわけにはいかない。
しかしそうだとしても、マスターに話くらいはしておくべきだろう。
そんなことを考えながら、クロネコは会議室を後にした。