クロネコ襲撃事件
キャルステンブルグの一角にクロネコの家がある。
石造りの小さな家だ。
睡眠を取って食事をする程度のスペースしかない。
一人暮らしでもぎりぎりの住居だが、彼は自分の住まいに金をかけるという発想がなかった。
衣食住が確保できていれば何でもいいのだ。
今日もクロネコは早朝に目を覚ます。
寝室で着替えを済ませて、1階に降りる。
水場で顔を洗って髪を整える。
炊事場でコーヒーを淹れる。
黒パンとりんごを口に放り込み、ブラックのコーヒーで頭を活性化させる。
「む」
ふと食材がほとんどなくなっていることに気づいた。
元々、日持ちする野菜や干し肉、チーズ、ドライフルーツなどを除けば、食材というのは買い置きできない。
金を持っている一部の商人や貴族は、冷蔵庫なる設備を保有しているらしい。
石造りの大きな箱に溶けにくい氷を敷き詰めて温度を下げ、そこに食材を保管して日持ちさせているという話だ。
彼は実物を見たことはないが、そんなものがあれば便利だろうなと思った。
もちろん買う気はない。
彼は食事を終えると、家を出た。
きちんと施錠する。
何もない家だが、武器や手入れ道具が置いてあるため、泥棒に入られると困ることは困る。
クロネコはまず中央通りにほど近い商店街まで足を伸ばした。
キャルステンブルグはこのキャルステン王国の王都であるため、物流が盛んだ。
中央通りに出れば、大抵のものは揃う。
「へい、らっしゃい!」
「安いよ、安いよ!」
「そこのお姉さん、3つ買えば1つおまけするよ!」
まだ午前中にも拘らず賑わいがある。
人通りも、それらを呼び込まんとする客引きも活気に満ちている。
「おう、そこの黒い兄ちゃん。うちの野菜は長持ちするぜ」
キャルステン王国では、黒髪はそれほど一般的ではない。
だからクロネコにとって、こうした呼ばれ方は慣れたものだ。
「黒い兄ちゃん、眠そうなツラしてんなあ。そんなときはうちの野菜で元気いっぱいだぜ」
「ならこのジャガイモとそっちのキャベツ、それからりんご、ドライレーズン、あとそっちとそっちの……」
「まいどありい!」
紙袋に詰められた食材を受け取り、支払いの段になる。
ここで値切らず言い値で支払うような愚を犯すのは、観光客くらいだ。
ましてクロネコは守銭奴だ。
「全部で銅貨90枚だね」
「40枚にならないか?」
「半額以下はねえよ。せめて80枚」
「40枚」
「70枚」
「40枚」
「もってけ泥棒! 60枚」
「40枚」
「ご、55枚」
「40枚」
「……」
「40枚」
チャリンチャリン。
「ま、まいどありい……」
「また寄らせてもらう」
泣きそうな店主に見送られて、紙袋を抱えたクロネコは大通りに戻る。
あとは日持ちする干し肉でも買って、家に戻ればいいだろう。
そう考えて、クロネコは通りを歩く。
歩く。
歩く。
「……」
クロネコは足を止めずに歩く。
――意識されている。
人通りが多いため正確な人数はわからない。
だが確かに、複数人から自分に向けられる意識を感じる。
それも決して好意的なものではない。
どうするか。
クロネコは数秒だけ考え、結論を出した。
細い路地を曲がり、裏通りに入り込む。
そこから更に幾度か角を曲がる。
やはり間違いない。
自分を追ってくる気配を感じる。
やがて人目につかない開けた空き地に出た。
クロネコは空き地の入り口の脇に、買い物袋を置く。
せっかく買ったのだから、荒事で台無しにするのはもったいない。
彼が空き地の真ん中まで歩を進めると、それを追うように男たちがばらばらと踏み込んできた。
「おう、ちっとツラ貸せや」
「こんな場所までやってきていい度胸だぜえ」
「へっへっへ」
5人。
いずれも腕っ節自慢のゴロツキといった風体だ。
全員が同じ剣を持っている。
それを見て、クロネコは目を細めた。
普通の剣だ。
しかしひと目見てわかる程度には、品質がいい。
少なくともこんなゴロツキ連中には不釣り合いな品だ。
そもそも剣とは本来、剣術を学んだ騎士や兵士の武器であり、彼らのようなゴロツキの武器といえば素手かナイフが相場だ。
不自然さを感じるクロネコの前に、リーダー格と思しきゴロツキがずいっと進み出た。
「てめえがクロネコだなあ」
疑問形ではない。
顔と名前が一致しているときの言い方だ。
「……」
おかしい、と思った。
確かにクロネコは多くの人を殺しているので、恨みは星の数ほど買っている。
しかし彼は基本的に、目撃者は全員始末している。
だから恨みを買ったとしても、その人々が下手人であるクロネコにまで到達することは、通常は考えられない。
そうであるならば、これが怨恨の線である可能性は低い。
「てめえに恨みはねえが、ここで死んでもらうぜ」
「5対1だが悪く思うなよ」
「へっへっへ」
ゴロツキたちは深く考えずに喋っているのだろうが、クロネコにとっては貴重な情報だ。
やはり誰かが、明確な目的を持って、彼を亡き者にしようとしているのだ。
「おらっ!」
思考に耽っていたクロネコは、反応が遅れた。
「くっ!」
振るわれた剣をかろうじて横に跳んで避ける。
しかし相手は5人だ。
「おらあ!」
「死にやがれ!」
右から左から振るわれる剣。
クロネコはナイフを取り出して剣を逸らしたり弾いたりするが、防戦一方だ。
「てめえ、最強の何ちゃらとか呼ばれてるらしいなあ」
「おらっ、もっと抵抗してみろや!」
逸らす。
弾く。
受け止める。
避ける。
しかし5人に次々と攻撃されては、さしものクロネコも厳しい。
「ぐはっ!」
ついには腹部に剣を受け、クロネコは膝をついた。
じんわりと赤いものが滲む腹部を、彼は苦しげに手で押さえる。
「もう終わりかよ。最強の何ちゃらはどこ行ったんだよ、ああん?」
「そう言ってやるなよ。俺ら5人相手によくもったと褒めてやるとこだぜえ」
「そりゃ確かになあ」
「へっへっへ」
下卑た笑いを浮かべるゴロツキたち。
「く……」
クロネコは膝をついたまま、脂汗を浮かべてゴロツキたちを見上げる。
「そんなわけでてめえにゃ恨みはねえが……」
「ま、待てっ。待ってくれ!」
剣を振りかぶるゴロツキを、クロネコは必死に手で制した。
「ああん? 命乞いなら聞けねえぜ」
「最強の何ちゃらが無様だなあ」
「へっへっへ」
クロネコは苦しげな形相で訴えかける。
「お、俺を殺したがっているのは誰だ……?」
「なにい?」
「た、頼む。何も知らないままでは、死んでも死にきれない……」
腹部を押さえたまま、クロネコは肩を大きく上下させた。
「お、俺はもう死ぬが、せめて誰に殺されたかを知りたいんだ。ど、どうか、冥土の土産だと思って……」
クロネコの必死の訴えを、ゴロツキはせせら笑う。
「何とも情けねえ最強様だぜえ」
「まあ俺ら5人にかかりゃこんなもんだろうぜ」
「人間、プライドを捨てちゃお終いだよなあ」
「へっへっへ」
ひとしきり嘲笑すると、ゴロツキのリーダー格は口を開いた。
「いいぜえ。俺たちは優しいからなあ。最後に冥土の土産をくれてやらあ」
ニヤニヤと笑いながらリーダー格は続ける。
「といっても俺らも顔は知らねえのよ」
「顔を知らない……?」
「ああ。仮面をつけてたからなあ。だがま、上等な身なりをしてたから大方どっかの貴族様だろうぜ」
「金払いはよかったから文句はねえよなあ」
「おうとも。一ヶ月は遊んで暮らせるぜえ」
へっへっへと合唱するゴロツキたち。
「その剣ももらいものか?」
「そうだぜ。いい剣だろお?」
「これで俺らも騎士様だぜえ」
「いざ尋常に勝負ってか」
「へっへっへ」
剣を構えて騎士の真似事をするゴロツキたち。
「その仮面の人物について、他に特徴はなかったか?」
「ああん? 知らねえよ。もう死ねや」
「そうか」
何事もなかったかのように、すっと立ち上がるクロネコ。
「は?」
入れ替わるように、ゴロツキの2人が地面に崩れ落ちた。
ぱっくりと裂かれた喉からは、赤いものを垂れ流している。
「な、て」
ナイフが閃く。
御託を並べようとしたゴロツキがもう2人、倒れた。
「え、あ……?」
最後に残ったゴロツキが、呆けたような顔をしている。
そして絶命している4人を見て、ようやく事態を把握し、顔を真っ青にした。
「ひ、ひいいっ! ま――」
「情報提供、感謝する」
血飛沫が舞って、最後の一人も地面に転がった。
クロネコは息をつくと、腹部から取り出した血のり袋を投げ捨てた。
「さて」
ゴロツキの懐をごそごそと漁る。
すると皮袋に入った金貨が出できた。
クロネコは金貨の裏表を、じっと観察する。
次にゴロツキの死体から剣を一本、拾い上げる。
この金貨と剣は、手がかりだ。
もう用はないので、クロネコは空き地を後にする。
もちろん、入り口に置いておいた買い物袋を回収するのも忘れない。
目的も正体も不明だが、彼のことを亡き者にしようとしている誰かがいることは間違いない。
速やかに首謀者を突き止め、適切な措置を取らねばなるまい。
そしてクロネコは思った。
この件はきっと金にはならないだろうなと。