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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第1章 ― 新人育成編 ―
11/41

大好きな師匠

 モモは2階の窓から脱出すると、屋根へと戻った。

 敬愛する師匠の姿を探して、きょろきょろと見回す。


 と、煙突の影に潜んでいたクロネコが、音もなく姿を現した。


「師匠」


 モモはいつも通り、ピシッと敬礼のような仕草をした。

 そんな彼女に、クロネコは視線で問うてくる。


 モモはこくりと唾を飲み込んだ。


 ここからだ。


 屋敷の地下室に匿った幼い少年のことが頭をよぎる。

 これまで不幸を背負ってきたあの子には、これから幸せになる権利がある。

 そのために、このいっときだけ、モモは敬愛する師匠に嘘をつかねばならない。


 モモはぎゅっと拳を握り締めた。


 演技をしろ。


 いつも通り、自然に。

 ただ普段と同じ言動をすればいいのだ。

 何も難しいことはない。


 モモは一つ深呼吸をすると、口を開いた。


「師匠。仕事は完了しました!」


 モモはもう一度、ピシッと敬礼した。

 いつもと同じ仕草だ。


「……」


 クロネコがじっと見つめてくる。

 感情の読み取れない無機質な瞳だ。


 モモは手のひらに冷や汗が滲むのを感じた。

 心の底まで見透かされそうな視線だ。


 だが実際はそんなことはない。

 いくら彼が卓越した暗殺者といえど、魔法のように心を読み取れるはずはないのだ。


 ややあって、彼が口を開いた。


「子供は殺せたのか?」


 その問いに、モモは沈鬱な表情を作った。

 そして意図的にゆっくりと頷いた。


「……はい」


 口調も、声質も、作った。

 沈んだ気持ちを演出できるよう、細心の注意を払った。


 クロネコがまた、じっと見つめてくる。


 モモは俯いたまま顔を上げない。


 暗い夜ということもあり、前髪が表情を隠してくれるからだ。

 状況的に、俯いたままであっても不自然ではない。


 しばしの間があって、クロネコは言葉を続けた。


「子供を殺して、どうだ?」


 モモは唾で口内を湿らせた。

 心臓が早鐘を打つ。


 この受け答えを誤れば、全てが水泡に帰す。


 想像しろ。

 可能な限り具体的に。

 仮に自分が本当に子供を殺したとすれば、どう感じるかを考えるんだ。


 モモは慎重に、かつ自然に聞こえるよう言葉を紡ぎ出す。


「……後悔、してます」


 仮に子供を殺してしまったら、彼女は間違いなく後悔する。

 だからこれは本音だ。


 モモの手は小刻みに震えている。

 演技ではない。

 子供を殺す想像を具体的にしてしまい、本当に後悔し、怖くなったのだ。


「……」


 クロネコはモモを見つめている。

 小さく震えるモモを観察している。


 大丈夫だ。

 モモは自分に言い聞かせた。


 自分は演技ではなく、本心を語っている。

 嘘などついていないのだから、何も問題はない。


 クロネコが続けて口を開いた。


「これからも子供を殺せると思うか?」


 モモは身を固くした。

 想像もしたくないことだ。


 だが、だからこそ、偽らずに回答できる。

 本心を答えることができる。


「殺せます。殺すたびに、きっと後悔しながら」


 震える唇で、更に続ける。


「……孤児院のために、お金が必要なので」


 全て本当だ。


 生まれ育った孤児院を守るために、お金が必要なのだ。

 お金を稼ぐために、例え後悔しながらでも前に進まねばならないのだ。


「……」


 クロネコはモモを見つめている。

 モモは俯いている。


 モモにとっては永遠にも等しい時間に感じた。

 身体の震えは一向に収まらない。


 しばらくして。


「モモ」


 クロネコに呼ばれて彼女はびくっと顔を上げた。

 しかし予想に反して、彼の瞳は優しいものだった。


「よくやった」


 モモは全身の力が抜けそうになった。


 敬愛する師匠からの褒め言葉。

 無愛想なその一言を、彼女はいったいどれほど切望していたことか。


 モモの瞳に薄っすらと涙が浮かんだ。


 師匠に嘘をついた罪悪感はある。

 だがそれでも、二重の意味で、彼女はやりきったのだ。


 モモの胸は、得も言われぬ感情に満たされてじんわりと暖かくなった。


 いや、しかし。


 モモは気を取り直した。


 まだ終わっていない。

 油断するのはまだ早い。


 撤退が完了するまでは、気を抜くわけにはいかない。


「では師匠、帰還しましょう」

「ああ」


 大好きな師匠が、彼女の横に並ぶ。


 モモはちらりとその横顔を盗み見る。


 平凡な顔立ちだ。

 町のどこでも見かけるような、取り立てて特徴のない青年。


 しかしその彼は、キャルステン王国最強の暗殺者。

 彼女の自慢の師匠だ。


 そんな人物が、彼女のすぐ横にいる。

 モモは嬉しくなった。


 師匠、モモは一生ついていきます。


 ――あれ?


 膝が、かくんと落ちた。


 身体に力が入らない。

 その場に倒れる。


 ここは屋根の上だ。

 倒れた拍子に転がり落ちなかったのは、とても幸運だった。


 見上げる。


 師匠が自分を見下ろしている。


 ――師匠。

 どうして私は、倒れているんですか?


 師匠は答えてくれない。


 ――師匠。

 どうしてそんな、死にゆく虫ケラを見るような目つきをしているんですか?


 師匠は答えてくれない。


 ――師匠。

 もう仕事は終わったのに、どうして手にナイフを握っているんですか?


 首が熱い気がする。


 首に手をやる。

 ぱっくりと裂かれたそこからは、温かいものが流れ落ちている。


 ――師匠。

 どうして私の口からは、掠れた呼吸音しか出てこないんですか?


 ししょう。

 私、がんばります。


 一生懸命、がんばります。


 ししょうのこと、大好きなんです。


 だから、どうか、お側に……。


 し、しょう。

 おねがい、みすてないで。


 し……しょ……。


 …………。


 …………――。






 クロネコは、モモの絶命を確認すると、ナイフを仕舞った。


 子供を殺せないだけならば、まだいい。

 ミスは改善すれば済む話だからだ。


 だがミスの隠蔽まで始めたとあっては、到底看過できない。


 どの組織にも言えることだが、ミスの隠蔽は組織全体に大きな損害を与える可能性がある。

 そして大抵の場合、その損害は取り返しのつかない規模になった後で発覚する。


 そして、そんなミスの隠蔽に走らせるほど、彼女に根付いた強固な価値観。

 数年、あるいは数十年かければ価値観の矯正も可能だろうが、そこまでの手間と時間をかけてやる義理など、クロネコにも暗殺者ギルドにもない。


「さて」


 モモの後始末をせねばならない。


 クロネコはモモと同じルートで屋敷に侵入した。

 2階から1階へ。


 そして廊下の奥に、地下室への階段を発見した。


 クロネコは階段を降りる。


 扉には鍵がかかっていた。

 だがクロネコの障害にはならない。


「解錠」


 彼が唯一知っている魔法で扉を開ける。


 クロネコは地下室に踏み込むと、室内を見回した。


 どうやら食料庫のようだ。


「おねえちゃん……?」


 物陰から、幼い少年が姿を表した。

 だが期待の人物ではないとわかると、少年はびくっとして身を竦めた。


 なるほど。


 少年の袖口や首筋から覗く虐待の痕を見て取り、クロネコは理解した。

 モモはこれを見て暗殺を躊躇ったのだろう。


 だがそんなものはどうでもいい。

 殺す対象にいちいち感情移入しては、暗殺者など務まらない。

 暗殺者は、殺す対象の事情など理解する必要はないのだ。


 クロネコは幼い少年に近づいた。


 少年はおどおどしながら、クロネコを見上げる。


「あの、おねえちゃんは……?」


 質問に答えることなく、クロネコは少年の首に手をかけた。


「あ、あの……」


 ごきり。


 首がへし折れた少年は、床に倒れて動かなくなった。


 任務完了だ。


 クロネコは1階に戻り、2階に戻り、そこから屋根へと登った。


 首から血を流して絶命しているモモ。

 その死体を、クロネコは肩に担いだ。


 ここに放置しておくわけにはいかないので、ギルドまで持ち帰って処分するのだ。


 クロネコは、土気色になったモモの横顔を見た。


 そして、育成にかけた手間が無駄になったなと、胸中でため息をついた。

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