天才ボクサー 1
日本での冨樫 進の知名度は高かった。
誰もがその名前を一度は耳にしたことがあった。
彼はボクサーである。
戦後間もなく、日本人初のボクシング世界チャンピオンが誕生し、八年後に二人目となる世界チャンピオンが誕生すると、日本に空前のボクシングブームが到来した。1960年代のことである。
やがてボクシングの人気が低迷し、台頭するように様々な格闘技が次々に押し寄せた。
ボクシングの次にはプロレスが人気を博し、その波が消えると、キックボクシングなどの打撃格闘技や、寝技もある総合格闘技の隆盛が見えた。
そしてその格闘技ブームも消え失せた。
やがて格闘技はテレビに映らなくなった。
理由は至極単純で誰も見なくなったからである。
そんな時勢にボクシングという競技を再度日本の世に知らしめた男がいた。
冨樫 進である。
スーパーライト級(百三十五~百四十ポンド)において、日本チャンピオンになった冨樫は「無敗の王者」という偉業を達成するも、それだけではテレビ局が取り上げることはなく、やがて、WBA(世界ボクシング協会)スーパーライト級の世界ランカーにまで登り詰め、ようやく少しずつメディアから取り上げられるようになった。
ブームが過ぎたボクシングを日本のメディアが取り上げるにはただ強いだけでは駄目だった。
しかし、冨樫は強いだけではなかった。
一つは勿論その強さにある。更に若さ、そして、一番注目されたのがその容姿だった。
鍛え上げられたその肉体に俳優顔負けの美形の持ち主だった。恐ろしい事に顔に傷が無いのだ。
そして、日本のメディアが彼を一躍スターとして挙って注目した二つの切っ掛けがあった。
一つは日本人でただ一人しか成し得たことのない偉業を無敗で果たしたことだ。
ラスベガスでの世界タイトルマッチである。
人気のない日本人の軽量級ボクサーでは有り得ない興行であった。
ボクシングの本場、アメリカのラスベガスでの試合を本気で考えるならば、日本のスポンサーやテレビ局との柵を断ち切り、前座のノンタイトル戦で実績を重ねて知名度を上げていくか、海外の強豪に日本で勝ち、リターンマッチを海外で行わなければならない。
それには膨大な時間と金の問題があった。
何故実現に至ったのか。
勿論、黒星の無いその圧倒的な強さもあり、闘いに振りに客を寄せるだけの華があったことは確かだった。注目度も高かったのが海外のプロモーターの目に留まった要因の一つと言える。
しかし、それだけではない。メディアだけではない。世界の格闘家たちが大注目した試合がその前にあった。
WBA(世界ボクシング協会)のロベルト・メンドーサ会長が海外のプロモーターに勘案して冨樫のその試合を見たのがきっかけでラスベガスのタイトル戦を決めたと言われている。
目にしたのはボクシング界ではその名前を知らない者はいないと言われる名プロモーターのボビー・アラーム氏で、本人から直々に冨樫が所属してするジムにオファーしたというのだ。
そのラスベガスの試合も、世界の格闘家が大注目した試合のマッチメイクさえも冨樫の狙いによるものだと知る者は少ない。
遡ること六ヶ月。




