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群雄  作者: 元馳 安
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誰も知らない柔道家 2




 秋田県某市に男はいた。

 男は大急ぎで東京から新幹線で秋田県まで来たのだ。


 きっかけはテレビのニュース番組だった。現在、男がいるこの市で熊の被害が報道された。


 五日連続で熊の被害に遭い死傷者が出たのだ。熊の獣害としては近年稀に見る被害となった。


 初めに襲われたのは農業を営む夫婦とその息子、そして、飼い犬ということだった。その後立て続けに四件の獣害が報告されている。


 テレビで流れた短いニュースに男は居ても立ってもいられなくなると、簡単な荷物を手に電車に乗り込んでいた。


 着いた土地は見も知らぬ土地である。


 駅に着くも一面が畑や田んぼで囲まれただけの何もないところだった。


 駅員に聞いただけでは目的の場所に辿り着くことなど出来ない男は不審者のように辺りを見回していた。


「お前さん、見ねぇ顔だな。どこのもんだ?」

 山を目指して田んぼ道を歩く道すがら、不審な男に声を掛けたのは田んぼで作業をする女性だった。

 帽子と布を被り、農作業着にモンペ、手袋に腕カバー、長靴を履いた老婆は眩しいのか、目を細めるように男を見ていた。

 老婆の目の前にいるのは丸っこい体に愛嬌のある笑顔を見せる男だった。


「◯市の職員で大原と申します。この度の熊の被害に視察に参りました」

 男が「大原」と偽名を名乗ると、老婆は疑わず男の話を信じた。それは男の誠実そうな見た目からか、ハキハキとした口調からか、男の人柄が良く感じられた。


「ふーん」


「新人なもので。以後、よろしくお願いします」


「どこさ行くんだ?」


「熊を見に行きます」

 訛りのない標準語で話すのも、この村では珍しくはなかった。

 若い男はこの村から出て行く。この村にいる若い者はこの地方の言葉を喋れもしない者ばかりだ。


「何も持たないで行ぐのが?」

 男はバッグを片手に持っているだけである。

 老婆の言わんとしていることを察した男が言葉を継ぐ。


「はい。狩猟免許も猟銃の免許も持っていませんので」

 そんな軽装で熊の視察に臨むことも、一人しかいないことも老婆には信じられなかった。


「笛は? 鈴は? スプレーあんのが?」

 人間の怖さを知る動物に限らず、“人間”を知らない動物は人間の気配を感じただけで近付かない。

 鈴は人間の気配を知らせ、笛は熊の喫驚を誘い立ち退かせ、唐辛子成分を含んだ撃退スプレーを掛けられた熊は堪らず逃げる。


 小さなバッグ片手にふらりと来ただけの男がもし、今回被害をもたらせた熊にでも遭遇したならば、命の危険すらある。


 今回の事件を知る者であるならば、事の重大さを重く受け止め、山には近付かない。

 入山規制すら敷かれているのはこの市では周知の事実である。


「今日は軽く見に来ただけですので」

 だからこそ男の言葉に初老の女性は声を荒げた。


「熊出っぞ! 軽く見だら怪我すっぞ!」

 老婆が途端に凄むと大原と名乗る男は困ったように頭を掻いた。


「そうですね。一度戻って出直してきます。この先で上司と落ち合う予定なんですけど、先に行っててもらいます。被害に遭った場所だけ教えていただけませんか?」


 初老の女性は新人の職員という男に丁寧に道を教えた。

 被害に遭った家や入山が禁止された山への登山道入り口と熊が出るとされている山道など細かなことまで老婆は話した。


「……だがらぁ、入っちゃダメなの。分がった?」

 親切な老婆心に男は深く頭を下げると、市役所とは別の方向に歩き出した。


 ◯市にある水晶山への入山には規制が敷かれていた。

 熊の被害は深刻なものとなっており、山菜採りに出掛ける今の季節に山に入れないことは地元の人々にとっても残念なことであった。


 しかし、事態の深刻さを知る地元の住民だからこそ、決して山には入ろうとしなかった。




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