兄弟 4
タクシンは揺れる車内の中で過去を振り返っていた。振り返ると同時に弟への思いを振り切ろうとしていた。
五年前に麻薬絡みの殺人事件が起こった。
その時、『SSC』は警察の依頼によりある麻薬犯罪組織に乗り込んだ。
警察との協力であり、護送と犯人の輸送も受けていた。
都心部にアジトを構えるその組織は『SSC』の協力により、あっさりと制圧された。
犯罪組織のアジトには麻薬密売組織の幹部のリストがあり、そのリストには政府や軍警察の有力者たちが名を連ね、その中にいたのがタクシンと同じ村出身のマリアーノという青年だったという。
タイの司法警察が射殺許可の通達を利用して「秘密を知る者」を次々と始末しているということもタクシンは耳にした。
タイの麻薬犯罪の深い闇を見た気がした。
その後、何度も耳にするある麻薬密売組織はタイの中で一番大きく凶悪な組織となり、そのトップがマリアーノだった。
タクシンは耳を疑った。
弟は国外に出ることも許されないほどの悪党になっていた。出国もそうだが、入国さえ警戒されていた。
事件後に消息を絶った弟は近隣諸国が危険視するほどの悪党となった。
自分はいったい何のために強くなったのか、ステファンのもとで修行し、様々な活動をすることで見えた正義がある。
弟は悪に染まった。しかし、兄である自分の正義は悪に染まった弟を救い出すことだとタクシンは思った。
ステファンが座る後ろ、運転席に繋がる小窓が開くと助手席に座る部下がステファンに耳打ちする。
「もうすぐ着く、全員用意しろ」
「はい!」
全員の声が車内に響いた。
ギャングやマフィアだけでなく、売人や犯罪者、スラムの子供までアウトローな人々は彼を“救世主”と崇め、十八歳でのし上がり、以降五年間地元の警察が手出しできないマリアーノの存在はタイの裏社会では絶対的であった。
何故、今マリアーノを狙うのか。
マリアーノは麻薬の密売だけでなく、潤沢した資金源をもとに武器の密輸まで手広く商売するようになった。
海外に独自のルートを持つマリアーノだが、取引が軌道に乗り出した矢先、雲行きが怪しくなったという。
交易相手が商売敵との間で抗争が激しくなり、マリアーノの商売にも支障が出てくるようになったのだ。
手助けすることで相手方との交易を再開させることと、貸しを作ることを考えたマリアーノは仲間を応援に向かわせたとの情報が入った。
人が減った今がマリアーノを逮捕する絶好の機会だと判断した警察が『SSC』に依頼したものだと、タクシンはステファンから聞いていた。
麻薬密売組織であり、武器の密輸も行うそのアジトには重火器の重装備が予想される。
極秘任務であり、秘密漏洩防止から警察との遣り取りは電子機器などは使わず、更に記録を残さないものを使った。
そのステファンの遣り取りも『SSC』のメンバーの中ではタクシン他数名の僅かな者しか知らなかった。
ステファンの神妙な顔に部下の間に緊張が走る。
「例え、仲間がいなくなろうと、SSCがなくなろうと、正義は失われることはない。お前たちの命は、お前たちの正義は未来に受け継がれる」
「はい!」
車が停車すると部下の一人がドアを開け、全員が速やかに車の前で整列した。
四人のチームが二つ、三人のチームが一つと三つのチームに分かれている。
ステファンが指揮を執る四人組「チーム 鷹」、柔軟な対応が取れるNo.3のアナンがリーダーの四人組「チーム 蟹」、機動力が武器のタクシンがリーダーの「チーム 蛇」。この三チーム十一人で数々の任務を遂行させてきたのだ。
全員が全員、類稀なる能力の持ち主であった。
そして、仲間の中でも体力、知力、機動力、判断力の最も優秀なタクシンだからこそ、三人チームのリーダーを任された。
ステファンを先頭にアジトへ向かう。
ようやく外が白み始めた。
入念に無線の通信テストを繰り返し、異常がないことを確認すると再度手短な作戦がステファンの口から説明された。
高い塀に囲われた大きな敷地内、門からではガレージとして使っている倉庫のような建物と植栽が敷地内の様子を遮蔽している。
大きな門を抜け、倉庫のような大きな建物の後方には広く建てられた平屋と三階建ての建物が建てられている。
アジトに常駐する者と各支部から往来する者との住み分けをしている他、内部でも秘密裏に活動しているために建物を分ける必要があったのだ。
平屋の地階が麻薬を製造している場所だった。
換気機能が低いために何人かが作業中に発狂したとの噂が広まり、地階での作業が明かされたと言われている。
組織の人間がアジトには常時五十人いると警察は予想した。
しかし、周辺の下部組織と仲間組織、ギャングやマフィアの数を合わせるといったい何人になるのかも警察でも分からない状態だった。
応援を呼ばれる前にマリアーノを捕獲し、撤退しなければならない。
侵入を悟られずに内部の奥深くまで、出来ることならば、マリアーノに悟られずにマリアーノのもとまで辿り着きたいところである。
加えて、麻薬の密売だけでなく、武器の密輸なども手掛けているマリアーノは重火器を持っていることが予想される。
ステファンが考えた作戦はこうだった。
まず、門を抜けて目の前にある倉庫に侵入し、倉庫裏の出入口から二手に分かれる。
ステファンをリーダーにした「チーム 鷹」とタクシンをリーダーとした「チーム 蛇」の二チームが主として動く。
No.3のアナンの「チーム 蟹」が二人ずつに分かれてステファンとタクシンのチームに与する。
ステファンたちは六人で平屋を制圧した後、更に二手に分かれて「逃走経路の確保」と「タクシンたちの援護」に回る。
タクシンたちはそのままマリアーノのいる三階建ての建物に侵入し、援護を待ちつつワンフロアずつ制圧する。
そして、マリアーノを確保し、速やかに退却する。
マリアーノは別棟にいるとのことであったが、どのフロアにいるのか、そもそも本当にいるのかは不明である。
建物内を制圧しても、マリアーノ本人がいなければ意味はない。
ステファンの作戦通り上手くいくわけがない。
しかし、想定外の事象が起きた時にどう対処するのか、対応力の高さが要求される。
その能力が突出しているのが、タクシンだった。
外から中の様子が伺えないが、建物からも門付近や塀の外の様子は監視カメラでしか伺い知ることはできない。
中では何が起きているのか分からないのだ。
門からでは倉庫しか見えない。その建物に隣接する建物は見ることができないのだ。
外を歩いて、最短距離でマリアーノに近付くのは言わずもがな作戦として適していなかった。
建物の陰にいる見張りや監視カメラに映る危険を避けるためである。
十一人という僅かな人数で制圧に向かう。
二名は車で待機し、運転手兼通信士の役割を担う。
優秀な仲間を信じ、ステファンとタクシンたちは現場へ向かった。
現場に警察の姿はなく、仰々しいアジトにお似合いの大きな門扉が静かに佇んでいた。
相手に気付かれないことが重要であり、警察との連絡はステファンが密かに行なっていた。
抜かりはないとタクシンは信頼していた。
機敏な動きで門付近の壁に張り付く。神経を研ぎ澄ませたステファンは厚手の戦闘服越しでも壁の冷たさと硬い質感が伝わった。




