兄弟 2
孤児院で育てられたタクシン、マリアーノ兄弟とアーナンタの三人はいつも一緒に遊んでいた。
森に囲まれた村には何もない。農作業に従事する大人も作業が終わるとすることが何もなかった。
村には何もない、隣町から時折流れてくる穴の空いたボロボロのサッカーボールでさえもこの村では宝物の様に扱われる。村には何もないのだ。
サッカーのルールを知る者などいないため、見よう見まねでボールを蹴る。空気の入っていない弾まないボールを蹴る遊びを村の子供たちは楽しんでいた。
何かで遊ぶと村の子供たちが集まる。
帰る家は木造の何もない家だった。この村ではみんなそうだ。
この村に鉄骨やコンクリートで造られた近代的な家屋などなかった。
当時十一歳だったタクシンとアーナンタ、そして二歳下のマリアーノの三人はいつも一緒にいた。
仕事は農作業で他にはやることもない、人が多いこの村には特別やることはない、それは大人も同じだった。
ある日、隣町から穴のないボールが流れ着いた。泥で汚れて傷だらけだったが、今までにない最高の新品だった。
三人がそのボールで空き地で遊んでいると、町の子供たちが集まり、十人以上に膨れ上がった。
そこへアーナンタの兄のカオサイと仲間のサームチョン、クムルアンがおもむろに近付く。
クムルアンがにべもなくボールを横取りした。
クムルアンが空に向かってボールを放ると、ボールは綺麗に真っ直ぐ上空に高く高く飛んだ。
そのボールは元の姿で弟たちに返ってこなかった。
一番高い所に届き、落下する直前、クムルアンが背中の銃を取り出すと、空中のボールを撃ち抜いた。
「パンッ」という弾ける音に子供はみな体をビクつかせた。
クムルアンとサームチョンがハイタッチを交わし高笑いした。
まるで力を誇示するかのように誰にも逆らうことを許さなかった。
村の子供たちはサッカーを知らないまま遊びが終わった。
静まり返る子供を無視し、三人は何がしたかったの分からないまま去っていった。
去り際、アーナンタの兄、カオサイがアーナンタに近付きアーナンタの頭を撫でた。
「悪いな」
申し訳なさそうに謝る兄の言葉にアーナンタが頷くと、カオサイは仲間と共に去っていった。
発砲音に麻痺した耳が回復するも、アーナンタもタクシンもその時の強烈な音が耳にずっと残っていた。しかし、マリアーノだけは違った。
カオサイは村の不良だった。悪い仲間と付き合いを始めてから人が変わったと村のみんなが口にしていた。
アーナンタだけは兄の優しさを分かっていた。
カオサイはクムルアンとサームチョンから逃げることができなかった。
もし、逃げたら親だけでなく、弟にまで危害が加えられると知っていたからだ。
カオサイはギャングに対して憧れを抱いていた。それが過ちだと気付いた時にはもう遅かった。
クムルアンたちと出会い、町で日本人観光客に対して窃盗や詐欺を働いたこともあった。
タイのギャングは必ずと言っていいほど武器を所持している。タイでは拳銃の所持が合法的にも認められる事もあり比較的入手しやすいのだ。
カオサイはクムルアンたちとギャングの真似事をするしかなかった。仲間を抜けることは許されなかった。
海にほど近い廃屋が兄たち三人の溜まり場だった。
「金を稼ぐには強盗が一番手っ取り早い」
クムルアンはいつも金の話をした、この時も三人は金策を立てていた。
「銀行を襲うか。その方が稼げる」
サームチョンはいつも突飛な発言をする。サームチョンには知性が欠けているのだ。
「捕まったら死刑だ」
クムルアンが吐き捨てる。
「じゃあ、何がある?」
「ガス車を襲うか……来週の月曜日だ」
電気、水道、ガスの整備が十分にされていないこの村には二週間に一度、プロパンガスがガス車によって運ばれる。
現金での支払いのため、ガス車に乗車する職員が集金した金を管理している。その金を奪おうと言い出したのだ。
「ガス車が村に入る前に俺が車を止める、サームチョンが助手席のガラスを破ってドアを開けて乗り込み、銃で運転手を脅してる間に、カオサイが助手席にいる奴と運転手を引き摺り出す。お前たちで車を奪って俺が荷台に乗って逃げる。それで金を頂く」
「いいな!」
クムルアンの計画に声を上げて賛同したのはサームチョンだった。カオサイは何も言わなかった。
ガタッ!
突飛聞こえた物陰からの音に三人が反応した。
「誰だ!」
クムルアンが拳銃を取り出すと三人に緊張が走る。
物陰から現す姿に驚嘆するカオサイ。
そこにいたのはマリアーノだった。
マリアーノは三人の話を聞いていた。
クムルアンもサームチョンも顔が険しい。
子供と言えど、村の者に口を割れば噂は一気に広まりガス車を襲うことはできない。
「お前、もし誰かに告げ口したら分かってんだろうな」
マリアーノの体は震え、声を出そうにも返事をできずにいた。
「もし、失敗したらお前が誰かに告げ口したってことだ」
不良三人が浅はかな考えで計画した企みなど成功するはずがなかった。
マリアーノは子供ながらガス車を遅い金を奪う計画は成功しないと思った。僅か九歳である。
翌週の月曜日、作戦は無惨にも失敗に終わった。
運転手と助手席に乗ったガス会社の職員は二人とも銃を携帯していた。二丁の銃にビビったサームチョンとカオサイは二人を引きずり出せず、構えた銃をしまい逃走した。
クムルアンは二人の様子に愕然とした。
警察を呼ばれることもなく、三人は惨めにも逃げ出した。村の笑い話になった。
「クソ!」
本気で成功すると思っていたサームチョンが石を蹴り飛ばす。
「お前らじゃ無理だった」
「お前もだろ!」
クムルアンの言葉にサームチョンが噛み付く。
「まさか二人とも銃持ってるとは思わなかった」
「運転手も助手席にいるやつもデカくて強うそうだった」
「あいつら無線みたいなの持ってた。きっとすぐ警察と連絡が取れるんだ」
言い訳が飛び交う三人にはもうこの村では何もできない。
「クソっ! あのガキがタレコミやがった! ぶっ殺してやる!」
行き先のない怒りの矛先がマリアーノに向けられる。
「マリアーノは誰にも何も言ってない! 変な言いがかりは止めろ!」
カオサイが宥めるもサームチョンの怒りは収まらなかった。
「弟の友達がそんなに大事か?」
クムルアンの言葉にカオサイは何も言えなかった。
「連れて来い、俺らがどれだけ怖いのか村の奴らは分かってねぇ」
見せしめにマリアーノを手に掛けるのだとカオサイは思った。
「僕じゃない……」
声に振り向いた三人が目にしたものはマリアーノの恐怖に引き攣った顔だった。
「僕は誰にも言ってない! 本当だよ! 信じて!」
「嘘つけ! お前が言ったからガス車の奴らが反撃できたんだ! ガス車を襲う計画をお前以外誰も知らないんだぞ! お前が言ったに決まってる!」
襲撃された時を想定して訓練していることなど、クムルアンもカオサイも分かっていたが、頭の悪いサームチョンだけが分からなかった。
失敗を十歳にも満たない小さい子供の責任にするサームチョンは哀れという他なかった。
「お前が他人にバラすバラさないは些細なことなんだよ。大事なのは俺らが舐められないことだ。金も手に入らない、反撃されたらビビって逃げる、俺らは村の笑い者だ。お前には悪いが死んでもらう」
タイにおいては周辺諸国から不法に入り込んだ身元不明者や犯罪組織が日本に比べて多く、繋がりを生かした捜査も難しくなる。
加えて、事件が起こった場合も警察は自身や組織の利益を優先して動くのが普通である。
タイ警察が持つ逮捕権等の権力を利用した賄賂がタイでは蔓延している。
そこで警察は法の支配の下で堂々と大きなお金を得られるグレーな産業には積極的にアプローチしてくる。ここから少しでもお金を流してもらうために、賄賂などを要求するのである。
都心での警察の動きでさえ緩慢である。村に至ってはいないも同然であった。
兄のタクシン、弟のマリアーノは孤児である。施設で育った身寄りのない子供を殺してもこの村で兄弟の死を悼む者はいなかった。
「悪いな」
クムルアンの言葉にマリアーノが静かに口を開く。
「お兄ちゃんたちはお金が欲しいの?」
マリアーノの言葉にクムルアンが止まる。
「……そうだ」
「僕が……もし、お金がいっぱい手に入れられたら、考えがあったら、僕を助けてくれる?」
マリアーノの懇願する様子には含みがあった。しかし、マリアーノの発する言葉に三人は食い付いた。
「ガキが生意気言うんじゃねぇ!」
サームチョンの怒声にマリアーノが体をビクつかせる。
サームチョンに手を伸ばし、その肩を小突いたのはクムルアンだった。
「何だ?」
クムルアンがサームチョンを制して話を促す。
「森の近くのホテル『モーテル』を襲う」
マリアーノの言葉に三人は眉根を顰める。
「モーテル?」
タイは今でさえ資源貧困国の一つと言われているが、周辺国ではいち早く近海で天然ガスが発見され、油田の開発が進むなど、少なくとも1997年の経済危機まではタイの電力事情は安定していた。
その当時、タイをエネルギー強国と印象を持つ者は多い。
ラオスの水力開発もタイを中心に準備が始まっていた頃である。
富裕層も増え始め、経済成長真っ只中のタイでは貧富の差が著しく開いていた。
貧しい町の住民が貧しさから抜けることはなく、田舎と都会との暮らしぶり、全く異なる働きぶりから、その差が埋まることはなかった。
田舎は半ば自給自足、農業や、自営、出稼ぎで収入を得ている。財産を残すことなどできなかった。
そんな村にも都心から森や海に足を運ぶ者がいた。
貧しい村のまだ開拓されていない森は未知なる可能性を秘めているとされ、海外の科学者、地学者、各専門家は足繁く通う者までいた。
そして外国人が宿泊する施設がホテル『モーテル』だった。
「『モーテル』には金持ちがいる」
マリアーノの言葉に二回りも年の離れた三人は呑まれた。
ホテルを襲撃するなど、考えるはずもない。
モーテルを襲撃するという発言は九歳児の発想とは思えず、二回り以上も年の離れた三人は不気味なマリアーノに恐怖さえ覚えた。
悪魔はこの時からその才能の片鱗を垣間見せた。
ホテル『モーテル』の造りはこの村には珍しい豪華なものだった。全部で三十部屋あり、一部屋一部屋がスイートルームのように広く造れるように広大な土地にホテルを構えた。
ホテルの名前を付けたのは地主だった。
経営者は自動車旅行者のために作られた簡素な宿泊施設というmotelの意味を知らずに『モーテル』と名付けた。
入り口には“motel”と書かれた巨大な看板が堂々と回っている。
マリアーノは三人に策を話した。




