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群雄  作者: 元馳 安
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誰も知らない柔道家 1



 夏季であれ、冬季であれ、オリンピックでのメダル獲得は国の威信にも関わる大プロジェクトとなっている。


 特に金メダルに対しての拘泥(こうでい)は強い。


 理由はそれだけの価値があるからである。


 政治家たちが大勢で外交するよりも、団体種目、個人種目に関わらず、どれか一つでも金メダルを獲得した方が余程国威高揚に繋がり、その価値は遙かに高い。


 その為、国民はオリンピック選手たちの扱いたるや相当の意を表する。


 内閣総理大臣や閣僚の名前は覚えなくても金メダリストの名前は覚えるものである。


 文部科学省による選手強化のための事業ではおよそ百四十億円の予算を投じている。

 全てはメダル獲得の為である。


 かつて女子水泳のオリンピック日本代表選手だった女性は「日本人はメダル気違い」と口にし、世間を騒がせた。


 様々な種目がある中でどんな種目でもメダルが欲しいのだ。


 取り分け、日本のお家芸とも言われる「柔道」は勝って当たり前という認識がある。それは過去に「メダルを獲得できなかった」年がなかったことに起因する。


 しかし、毎年のように変わるルールが日本柔道を苦しめ、更に、骨格や筋力、圧倒的な外国人の体格に日本人はお家芸であったはずの「一本勝ち柔道」を取れないどころか、勝つことさえままならなくなっていた。

 それでも軽量級はなんとかメダルを獲得していた。


 日本人が勝てるのは軽い階級だけ。


 日本国民だけでなく、諸外国からもいつしかそう思われるようになっていた。


 そして、リレハンメル五輪、日本の柔道は各階級に一人の計六人の出場を果たすも男子金メダル取得数0個という絶望的な成績を残してしまった。


 最早、どの階級においても日本の柔道は過去のものとなり、オリンピックの試合で勝てなくなると、世界選手権で勝てなくなり、負けるのが当たり前になった。


 日本人の柔道人口はますます減り、日本人の柔道に対する思いは薄れ、柔道は衰退した。


 そして、日本柔道の復活は悲願となった。


 しかし、十二年振りに金メダルを奪取した年があった。日本の柔道界が長い雌伏に耐え抜いて、一気に爆発したのだ。


 トリノ五輪である。


 その栄光を掴んだのは弱冠十九歳の若者だった。


 石丸 聡。小学五年生で柔道を始めて、めきめきと頭角を現し、高校二年生で業堂館杯全日本柔道体重別選手権大会百キログラム級に出場し、高校在学中に優勝を果たす。翌年に同大会同階級を連覇。

 まさに柔道界だけでなく日本のスポーツ界における希望だった。


 そして、トリノ五輪、悲願の百キロ超級金メダルを獲得した。


 十二年ぶりの柔道重量級の金メダルに日本メディアは石丸を取り上げた。


 しかし、金メダル獲得後の石丸の会見に世間は騒然とした。


「俺よりも柔道の強い奴がいる」


 世界で一番を取った後の石丸のこの言葉に日本だけでなく世界の柔道関係者たち、メディア関係者たちが興味を示した。


 そして、単純な疑問が湧いた。


 五輪金メダリストの石丸よりも強い奴は誰だ?



 この問いに石丸が答えることはなかった。そして、翌年には石丸は柔道界を離れた。




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