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群雄  作者: 元馳 安
29/41

師の教え 川瀬の思い



 川瀬はそのまま病院に搬送された。


 当然、オーナーである一条の息のかかった所であるのは言うまでもない。


 『El Dorado』ではその過激なルール次第で十分に起こり得るアクシデントなのだ。


 そのため、店が贔屓にしている病院がある。

 多少割高に医療費を支払うことになるが、その分が守秘に掛かるマージンだった。店の存続が危ぶまれるよりは金で安全を買えることを選んだのだ。


 神崎がその場を立ち去ると戸森も後について行った。


「神崎……「あれ」、忘れるなよ」

 何も言わずに立ち去る神崎に一条が声を掛けるが神崎は歩みを止めなかった。

 小さく「あぁ」と呟く神崎に対して戸森は二人の間に言い知れぬ何かがあるのを感じた。




 神崎の家に着いた時には午前三時を回っていた。


 神崎も興奮していたようで、寝付くにはまだ時間が掛かった。


「一方的な喧嘩でしたね。それに技も使ってない」

 技とは神崎と戸森が使う「清明流柔術」の技のことである。その技を使わずに神崎が勝ったことを戸森は「神崎は余力を残して勝った」と思い込んでいた。


「一方的? 俺には短期決戦しかなかった。掴まったら終わりだ」


 ズボンの裾を捲ると神崎の足首には赤紫色の手形がくっきりと残っていた。


「それって……」


「清明流の技を使わなかったことを余裕があると言いたいんだろうが、膝蹴りも鳩尾(みぞおち)への突きも、喉への手刀も、踵の踏つけも全部が一撃必殺になり得る「技」だ。勘違いするな」

 神崎も本気だったのだ。


「タックルも想像以上だな。耳は元々狙ってたけど、吹っ飛ばされるかと思って慌てて掴んだ」


 本当は両方の耳を掴もうと神崎は考えていた。耳を引き千切ろうとしたのだ。

 しかし、川瀬のタックルに不安を覚えた神崎は片耳を掴み転がすことを選んだ。早く距離を置きたかったのだ。

 耳を引き千切れば、そのまま押し倒されて近接からの反撃に遭う確率が高かった。

 距離を取り、一拍置いたからこその川瀬の判断ミスを誘えた。


 神崎は手など抜いていない。川瀬のタックルを見ただけで、背中に冷たい汗が流れた。

 川瀬の鎖骨が折れるほどの衝撃があったのも、それだけの衝突力があったからで川瀬自身の力に他ならない。

 おまけにあの怪力である。


「これで川瀬は今よりもずっと強くなる」


「先生、狙われるんじゃないですか」


「かもな」

 神崎は嬉しそうに頷いた。


「まず、己を知れ。自分の力量を見誤るな。相手の強さが分かる。

 俺が何を伝えたかったか分かるか?」

 試すような神崎の視線には闘いの余韻が残っていた。殺気を感じんた戸森の背中には一瞬寒気がした。



 俺は本物の喧嘩を見たんだ。



「先生は相手が疲れている所を狙いましたね。

 それだけじゃない。短い時間であっても事前に相手のことを調べてたのは先生です。自分の情報は一切漏らさずに相手の手の内を見る。有利なのは先生です。

 更に言えば、何だってできましたね。武器も用意できれば、毒だって盛れる。実際に対峙する前から闘いに臨める。相手だって選んだのは先生です。

 『El Dorado』の店長だけじゃなく、客の全員が川瀬の化物じみた強さを知った。その上で先生が川瀬を倒した。喧嘩を目の前で見た店長と一条さんの中で先生の株が一気に上がりました。

 この印象は後々役に立つかもしれない。使い所がある情報だと思います。

 喧嘩に始まりなんてないって思いました。反対に終わりもない。喧嘩ってずっと続くんですね」


 橘との殴り合いなどすぐに終わっていた。喉を鷲掴みにした瞬間に潰さなかった戸森の負けであり、橘の負けである。

 ファイトは“殺し合いじゃない”などという綺麗事は口にしない。


 勝ちを得ることに手段や綺麗事を気にするのは単なる遊びに他ならない。

 最も大事なことであるが、喧嘩は勝つためにやるのだ。


 そのためには相手のことを知らなければならない。


 相手のことを何も知らず、自分の強さを過信して臨む喧嘩に勝つことはただのラッキーなのだ。

 ラッキーが続くことで本質を見誤る。

 勝ち続けた戸森は闘いの本質が分からなくなっていた。


 川瀬も同じだった。

 上田に勝ち、鬼王山に勝ったことが、更に負けたことがないという「経験」が川瀬の不明瞭な目標までの道のりを鈍らせた。



「お前も橘に固執してねぇで喧嘩を覚えろ」


「はい」

 『阿修羅道』とはどれほど過酷なものなのか。戸森の闘志に真っ赤な火がついた。






「社長、大丈夫ですか?」

 川瀬が目覚めると、目の前には部下の宇多川がいた。

 真っ白い部屋、消毒液の匂い、(せわ)しなく動く看護師、川瀬は自分が病院にいるのだとすぐに分かった。

 そして、何故運ばれてきたのかも理解した。


「まだ起きない方が良いですよ」

 無理に体を起こそうとする川瀬は今まで味わったことがない不自由さを感じた。

 首はコルセットで固定され、腕が動かないようにギブスが当てられていた。

 体の傷よりも、その傷を治すためのコルセットとギブスが何よりも屈辱だった。


 今まで一度として負けたことがない自分が負けたのだ。

 経験したことのない感情が心の底から湧き上がる。


 それは悔しさだった。


「社長、会社の方は大丈夫なんで、ゆっくり休んでください。それと、言い辛いんですけど、安永が……その……」

 バツの悪い顏をする宇多川のはっきりしない言葉を待った。


「今日、辞めました」

 その言葉に川瀬は「そうか」と呟いた。

 潰された喉では嗄れた汚い小さな声しか出せなかった。


 阿部と安永と宇多川は上田に襲われ、その仇を取るために上田のもとを訪れたのだ。


 仇を取ったことが全ての始まりだった。


 川瀬にとってEl Doradoで闘ったことが運命を変えた。

 自分よりも強い相手に出会ったことがなかった川瀬は調子に乗っていた。


 生まれて初めて敗北を味わった川瀬は屈辱に耐え切れなかった。

 何故負けたのか自分でも分かっていた。



 川瀬の受け身な闘い方が敗因と言えた。


 鎖骨を折られようが、耳を引き千切られようが、喉に手刀を打ち込まれようが、神崎を掴んで投げることで何かが変わっていたはずであった。


 鎖骨を折られたことで攻めにも受けにも自信をなくし、結果、攻めあぐねた。

 その隙を突かれて頭部への攻撃を許し、ボコボコにされて失神した。


 そして、病院に運ばれたのだ。


 川瀬は悔しさと怒りで打ち震えた。


「大丈夫ですか?」

 部下の宇多川が恐る恐る訊ねる。安永が辞めたことに対して自責の念を感じているのだと宇多川は思った。

 痛々しいのは何もコルセットやギブスだけではない。

 川瀬の顔面は安永が直視できないほど傷だらけであった。


「すまない」

 阿部と安永、宇多川の仇は取った。宇多川は自分が上田に負けたのだと勘違いしているのだろうと川瀬は思った。事実、宇多川も阿部も安永も、川瀬が病院に搬送されたと聞いた時はそう思った。そして、安永は仕事を辞めた。

 しかし、今となってはどうでも良いことだった。


「そんな社長のせいじゃないです」


 首に巻いているコルセットが痛々しく惨めだった。

 鎖骨を折られてギブスをする川瀬は自分でも惨めな姿だと思った。


 心に残った悔しさが堰を切ったように胸を埋め尽くした。


「悪いが出てってくれないか」

 絞り出すように川瀬が声を出す。安永にはどんなに汚い声でも聞き取れたはずである。しかし、動かなかった。


 傷付いた体を無理に起こすとベッドから起き上がり、窓辺へ歩いた。

 安永は止めたが川瀬は止まらない。


「社長、自分にできることがあれば何でもやります」


「一人になりたいんだ。一人にしてくれ」

 体中を痛めている川瀬は立っているのも辛そうだった。


「でも……」


「出てってくれ!」

 嗄れた声をありったけ響かせた。


 川瀬の剣幕に圧倒された安永は頭を下げるとすぐに部屋を出た。



 一番になりたい。子供の頃に漠然と考えていた思いがEl Doradoで現実味を帯びた。


 何の一番なのか?


 高校時代にアマチュアレスリングで優勝したことで満足したことがあっただろうか。

 いつも思っていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた。


 高校一年の時に始めたばかりのレスリングの試合で優勝すると、周りから持て(はや)されて自分は強いと、自分が一番強いのだと思った。

 実際は何が強いのか分からなかった。



 大人になり、リング上の異種格闘技戦で勝つと自分は強いのだと錯覚した。


 本当は誰より強いのか分からないのに。


 一番強い男になるという思いが現実味を帯びると目の前のことしか見えなくなっていた。


 ルールなど無い、何でも有りの、命の遣り取りをも想定した闘いで一番強いと思っていた。



 川瀬は体の震えを一生懸命に止めようとした。

 しかし、止め方が分からなかった。


 川瀬の目から熱いものが流れ出る。

 必死に堪える川瀬は涙の止め方が分からなかった。


 震えながら唇を嚙み締め、嗚咽を殺した。


 川瀬の男泣きだった。


 悔しさが涙となって目から零れ落ちると、後に残ったのは今まで感じたことのない思いだった。



 もう絶対に誰にも負けない。



 川瀬は「実践」の経験が少な過ぎた。





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