川瀬、『El Dorado』へ行く
川瀬工務店の社長、川瀬 康は高校卒業と同時期に父親の跡目を継いだ。
まだ若い時分から、父親の跡目を継ぐために仕事を学んでいたが、高校時代にアマチュアレスリングと出会ったことで将来を考えるようになった。
もしかしたら、川瀬はアマチュアレスリングに出会う前から家業ではなく、別の道を考えていたのかもしれない。
それは憧れからくるものだった。
幼い頃に見たテレビの映像が未だに頭の中に残っている。
強き者たちの闘う姿だ。
生まれた時から普通ではない体で育った川瀬は自分のできること、すべきことをを考えていた。
「何の為に生まれて来たのか」
周りとは違う体で生まれてきたからこそ、憧憬なる思いを自分の生まれた意味に結び付けたかったのかもしれない。
哲学として捉えることで、その重さから跡目を継ぐ重圧を拭い去ろうとしていた。
『俺はどれほど強いのだろうか』
生きる意味として考えていた。その答えに辿り着く道のりの入り口がアマチュアレスリングだった。
しかし、突然の父の死によってアマチュアレスリングの道は閉ざされた。
将来を考える前に、まだ漠然とした未来しか見えていない時に現実を突きつけられた。
跡目を継ぐのは自分だけだと分かっていた川瀬は高校卒業と同時に働いた。
最強への道は閉ざされたかに見えたが、川瀬は体を鍛えることを止めなかった。
社員の宇多川から連絡が入ったのは、夜中だった。
眠りに就こうとした時に起こされた川瀬は、焦燥感に駆られて更に呂律の回らない説明を繰り返す宇多川の電話を一所懸命に聞き取った。
どうやら喧嘩に巻き込まれたと言うのだ。
宇多川の他に社員の阿部と安永の二人がいるらしいが、その二人が怪我を負っているというのだ。
川瀬はすぐに現場に急行した。
宇多川の側には壁に寄りかかるボコボコに顔を腫らせた阿部と安永の姿があった。
二人は川瀬の姿を確認するとすぐに起き上がった。怪我は見た目ほど酷くないようだ。
事情を説明する宇多川の隣で二人はただ黙っていた。
「店の名前だしたら、「臭ぇ」だの「汚ぇ」だの喧嘩売ってきて……阿部と安永がキレて、そいつに向かっていったんですけど、ボコられて、最後に名刺渡されました」
宇多川が一枚の名刺を川瀬に渡す。
阿部と安永は静かだった。
ビルの五階に入る馴染みの飲み屋で三人は飲んでいた。
帰り際にエレベーターに同乗したその男が三人に難癖をつけ、宇多川たちが何かの拍子に川瀬工務店の名前を出したという。
「臭い」や「汚い」と言われたということは作業着のまま飲んでいたのだろうと川瀬は思った。その手の嫌味には川瀬は慣れている。
「酒を飲んでたとはいえ、安永がやられたのか?」
「はい」
安永はキックボクシングのジムに通っている。よく練習に誘われる川瀬は安永の強さを知っている。素人に簡単にやられるような鍛え方はしていない。
「エレベーターには同時に乗ったのか? お前らが後か?」
「いや、そこまで覚えて……あっ、あいつは扉の目の前にいました! 後から入ってきたんですよ! しかめっ面でちょこちょこ後ろ見てきやがったんですよ。「川瀬工務店なのか」って聞いてきました」
糸が解けたように記憶が蘇る。
「で、俺らが「そうだ」って言ったら、その後に「臭ぇ」だの「汚ぇ」だのいちゃもんつけてきたんすよ」
「店の名前を確認してきたのか……」
「バックにヤクザがいると思ったんすかね?」
「お前たちは作業着のまま飲んでたんだろ? 作業着に「川瀬工務店」の刺繍が入ってるよ。お前が名前出す前からそいつは知ってたよ」
「あっ、そう言えばそうだ!」
名刺には『El Dorado』と「上田 和也」の文字が書かれ、その裏には簡単な地図が書かれていた。
『El Dorado』の「上田」が何の用かは知らないが、宇多川たちの諍いがただの喧嘩でないことは分かった。
エレベーター内の防犯カメラにも映像が残っているだろう、その映像には阿部と安永、宇多川の三人がその「上田」に威嚇する様子が映っていると見て間違いない。だから、その男はエレベーターに乗り込んだのだ。
喧嘩の末、たとえ「上田」が怪我を負わせたとしても非は完全に向こうにあるとは言えない。
名刺を渡してきたということは余程自信があるのだ。それは訴えることはないという、襲ったことを訴えることは出来ないという算段が向こうにはあったと川瀬は考えた。
裁判になったら確実に勝てるとは言えない。むしろ、三対一であるこちら側の心象は悪い。
裁判沙汰を起こすような会社だと業界内に知れ渡れば、それこそ生きていけない。
川瀬工務店の看板を汚すような行動を社長の川瀬が避けることも、川瀬が仲間を見捨てるような男ではないということまで計算に入れたような行動だと思った。
「上田」は自分を知っているのではないか、川瀬はそんな気がした。
名刺は挑戦状である。川瀬はそんな気がしてならなかった。
「行くか」
川瀬が一人呟く。時刻は深夜零時を回った頃だった。
川瀬たち四人が着いた先は駅の線路高架下にある場所だった。
「ここだな」
川瀬が壁を見上げながら呟く。
「中はかなり広いな」
壁伝いに周りを見渡す。
『El Dorado』は分からなかった。壁に嵌め込まれている頑丈な鉄扉は施錠してはいないが、その内側に暗証番号式テンキーの鉄扉が付いていることを確認すると諦めた。
上部には防犯カメラまで設置してある。
会員制のクラブの入り口は封印されたように固く閉ざされている。
そこが何なのか川瀬は分からなかった。
入ることは出来ないと分かった川瀬たちはそのまま帰ることにした。
川瀬は諦めたわけではない。
川瀬が狙ったの昼だった。
風適法に関わらず、飲食を提供するならば、仕込みの時間や配送がある。
営業時間前の準備があると踏んで、川瀬は従業員の出勤時間を狙ったのだ。
川瀬は運に恵まれていた。その日は月に一度の格闘技イベントがある日だった。
従業員だけでは準備が間に合わないためにこの日は別の店からスタッフが手伝いに来ていた。
午前中の早い時間から会場設営の準備のために『El Dorado』の鉄扉は解放されていた。
川瀬は自分の店を部下に任せると単身、『El Dorado』に乗り込んだ。
「上田 和也」という男を探して、真相を確かめ、非があると判断したら宇多川たちに詫びさせる。怪我を負ったのは阿部と安永なのだ。
開かれた扉の向こうに見える世界はまるで別世界のようだった。
川瀬が足を踏み入れる。
外の光が一切入らないその場所は贅沢の限りを尽くした豪華絢爛なクラブだった。
一歩足を踏み入れただけで川瀬にはそれが分かった。
体格の良い身長百九十センチの大男が店内に入るとかなり目立った。
しかし、堂々と店内に入ると従業員たちは川瀬を不審者と思わなかった。
スタッフと勘違いしているのか、周りの者は堂々とした川瀬を一目見ると気にせずに作業をしている。
豪奢な店内を隅々まで見渡す。溜息が出るほどの造りだ。
仕事柄、工務店を経営する川瀬はその内装に圧倒された。
見渡すほどの広々とした空間の中に所狭しと並べられたソファ。高級感溢れるのはソファや水晶でできたシャンデリア、梳毛で織られた絨毯ばかりではない。
何気なく壁や棚に飾ってある調度品も目を惹く物ばかりであった。
絨毯の微妙な落窪の具合から川瀬は気付いたが、その変わる前のソファの配置はまさにクラブ・ラウンジのような趣きを見せていた。
しかし、配置が変わった今、店の中央には広い何かの舞台が用意されている。
壁際のソファに座る人物に川瀬の視線は向けられた。
「上田先輩」
店内にいたのは武帝高校でレスリング部にいた二歳年上の上田だった。
上田は素人の川瀬に肋骨を折られて退部した。
「川瀬……よく来たな」
周りの者は上田と知り合いなのだと分かると更に川瀬を無視した。
まるで川瀬を待っていたかのような上田の口振りに川瀬は溜息をついた。
川瀬の勘が当たったのだ。
「うちの社員に手出さないでくださいよ。とりあえず、詫び入れて、医者代払ってくれれば、こっちも許しますから」
「あ? んなことする訳ねぇだろ! てめぇ、舐めてんのか」
「何ですか? 藪から棒に。こっいも忙しいんですよ。上田さんも忙しそうですけど」
店内を見回して上田を見る川瀬はその顔に憐れみにも似た表情を出した。
輝かしい成績を残した高校インターハイチャンピオンは今や、怪しい店のスタッフなのだ。
上田には川瀬が自分を蔑んでいるようにしか思えなかった。
上田は『El Dorado』のスタッフである。しかし、用心棒兼格闘技イベントに参戦する選手なのだ。現役の武闘派だった。
『El Dorado』で行われる格闘技のイベントは様々なルールで行われる。
上田が得意としたのは「打・投・極」有りの総合ルールだった。
「うるせぇ。リングに上がれ」
周りの者は騒然とした。
店のオーナーは一条という男だが、一条は日頃から店に来ない。店長の安岡という男に一任しているのだ。
従業員は安岡に連絡するか迷ったが、上田が目を光らせていた。
携帯電話を出そうものなら睨まれた。
川瀬は上田の言葉に舞台がリングなのだと理解した。
リングにロープは張られていない。
そのリングで試合をするのだ。
上田はこの日に試合があった。
直情的な上田の感情だが、この後の全てを投げ打ってもいいと思えるほどに川瀬への復讐は念願だった。
この時のために、アマチュアレスリングの功績を捨てて、今まで格闘技を学んできたのだ。
そのために川瀬工務店の人間を狙って襲った。
上田を見た時から謝罪の意などないことは分かっていた。
川瀬は誰も止めに入らないと分かるとリングに上がった。
その顔はどこか嬉しそうに見えた。




