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群雄  作者: 元馳 安
18/41

犯罪者 5





 菊池が向かった先はあるプロレス団体だった。


 プロレスラーなら強い奴がいて、相手をしてくれると、勝手に思い込んで向かったのであった。

 その安易な考えは(あなが)ち外れていなかった。

 偶然ではあるが、そこには“the FIST”の藤浪がいた。


 プロレス隆盛期時代に立ち上がった“新プロレスジャパン”というプロレス団体があった。“プロレスジャパンから分裂したものだ。


 藤浪は新プロレスジャパンの社長兼トップレスラーであった豬飼(いがい) 高大(こうだい)の弟子であった。

 一身に期待を受けていた藤浪は総合格闘技“STRIKE”の試合に出場した。相手は当時、STRIKEのヘビー級王者だったJ・P ブライアンという白人だった。


 ブライアンはあまりの強さに世界の総人口六十億人の頂点、六十億分の一の男と言われていた。世界で一番強いという意味である。


 藤浪はその男に総合ルールで負けたものの、ダウンを奪ったのである。誰も予想し得なかった出来事に善戦した藤浪は一躍有名となった。


 プロレスラーに真剣勝負はできないと嘲罵(ちょうば)するメディア関係者までいた中でのこれ以上ないほどの善戦をしたのである。


 格闘技関係者は藤浪を褒め称え、メディアは藤浪をテレビに出したがった。


 藤浪の絶頂期だった。しかし、ブームが去ると藤浪はメディアから消えるのだが、この時、藤浪は勘違いをしていた。自身の価値を見誤っていたのだ。


 メディアの出演が減る理由を、新プロレスジャパンに籍を置くからだと勘違いしていた。自分の価値が闘いの中にあると見出した藤浪が出した答えは脱退だった。


 こうして藤浪は新プロレスジャパンを脱退し、過激なプロレスと、総合格闘技も行う真に強いプロレス団体と銘打ち、“the FIST”を旗揚げした。


 しかし、入門する者はいなかった。


 できたばかりの頃は、入門希望者がいたもののその練習の過酷さについていけず続く者がいなかった。

 数ヶ月も経つと、扉を開けるのはチームに所属する数人と、僅かの記者だけとなり、入門希望者はいなくなった。

 そして、多額の借金が残った。


 一年が経つと誰も訪れなくなった。



 久方ぶりに入門希望者以外で扉が開いた。


 開いた扉の先に立つ男の見た目で入門希望者ではないと分かるが、その男は記者でもなく、金融関係者でもなかった。

 睨みつけるような男の目はずっと藤浪を見据えている。

 周りを見渡しながら不躾に道場に入る男を道場生たちは睨みんでいた。


「何だぁ、入門か?」

 見た目三十代後半という冴えない男はプロレスをするには(いささ)か遅過ぎた。


 藤浪には入門ではないことはすぐに分かった。

 顔色の悪さが気味の悪さに拍車を掛けている。藤浪は追い返そうとすぐに思った。


「何だ? おっさん何か用か?」


「ここに強い奴はいるか?」

 男の言葉の意味が藤浪には理解できなかった。


「はっ?」

 道場生たちが男に歩み寄る。男は藤浪の目の前まで来ていた。

 道場生たちは闘志をむき出しにして男と藤浪に近付いていた。


 自分に対して言った言葉であっても藤浪は耐えた。

 昔と今は違う。


 昔とは違い今はプロレスラーの傷害事件は同僚のプロレスラーでさえも起こり得る時代である、プロレスラーが素人に手を出すということは今後の活動は勿論、簡単に犯罪者になることだった。


 プロレスラーは今や興行を行うにも神経を使う。

 ファンは一昔前とは比べ物にならないほどに女性の層が増えた。ファン層が増えたことで、消えかけていたプロレス熱を盛り返した感があり、それは藤浪にとって絶やしてはいけない消えかけの火だった。

 体裁を気にする時代なのだ。そんな時代に傷害事件は起こせない。


 藤浪は言葉を慎重に選びながら、追い返すことにした。


「おっさん、何だ? 道場破りか?」


「そうだ」

 男の答えに藤浪が鼻で笑うと追い払うように手を払った。


「ここにお前みたいな頭のおかしな奴の相手をするのはいないよ。他を当たりな」


「プロレスのルールは知らないから、出来れば何でもありの喧嘩がいい」

 踵を返して戻ろうとした藤浪の足が止まる。


 菊池の言葉にプロレスラーの藤浪は静かに闘志を燃やした。その原動力は怒りだった。


 この男が俺と喧嘩?


 余裕を見せながら会話をする男は不用意に近付き過ぎていたことに気が付いていなかった。


 話し合いにきたのではない、自分から闘いに来たのだ。

 振り向くと同時に放った藤浪の右フックが油断した男のこめかみを撃ち抜いた。


 ドガッ!


 それは嫌な音だった。

 大地に鋼鉄のレール杭を打ち込むかのような重たい衝撃が骨の髄にまで響いた。


 藤浪の拳周りは成人男性の倍ほどあった。二の腕はふくらはぎのような太さである。

 ハンマーで殴られたかのような衝撃に体が吹っ飛び、地面に体を叩きつけた。


「誰か救急車呼べ」

 道場生で一番若い岡部が携帯電話を取り出した。しかし、電話の番号をプッシュすることはなかった。

 岡部が驚嘆の表情で藤浪の後ろを見ている。


 岡部の視線に気付いた藤浪が振り返ると、そこには立ち上がる菊池がいた。


「タフだな」

 藤浪の本心からの褒め言葉だった。


 体重が乗り、しかも、ほぼ不意打ちの突然の打撃でも菊池は立ち上がった。しかし、やはり体の自由が効かないのか、動きが鈍い。


 近付いた藤浪が首を掴むが菊池は抵抗せずにいた。


 菊池の姿はまるで悪い事をした子供の首根っこを掴まえた大人が叱るようだった。

 藤浪は身長百八十センチメートルと大柄だが、菊池も百八十センチメートル近くある。しかし、傍目(はため)から見るとかなりの差があるように見える。藤浪の体格に圧倒されていた。


 岡部と鈴木が引き戸の玄関を閉めて鍵を掛けた。

 その瞬間、この建物内には治外法権が成立した。



「痛くないんだよ」

 男は無表情だった。


「そうか、じゃあ死ね」


 藤浪が男の股下に手を入れるとウェイトリフティングのスナッチのように男を頭上まで一気に持ち上げた。


 相撲でも柔道でもレスリングでもプロレスでも何でもそうだが、『人を持ち上げる』という動作には必ず、自らの重心を相手の重心よりも下げてからでないと持ち上がらない。

 足腰を落としてから、体全体の力を使うためである。倒れた大型バイクなどは必ず、体を使わなければ起こせない。

 しかし、藤浪は腕だけの力で九十キロ以上も体重のある菊池を持ち上げた。


 藤浪に万歳の形でリフトされた菊池は地上から二メートル以上の高さを持ち上げられた。



 藤浪は持ち上げると男の顔を見上げた。


 まだ、打撃のダメージが残っているのか男は無表情だった。意識もはっきりしていないのだろう。


 藤浪が両腕に力を入れ、反動をつける。そのまま勢いをつけて壁に向かって投げた。


 九十キロもある体躯を軽々と持ち上げ、まるでボールでも投げるかのように男を飛ばした。

 ブレーキが壊れ、スピードに乗った車が壁に衝突するかのように男の身体は壁を衝いた。


 (すさ)まじい衝撃音に周りの者は怖気(おじけ)付いた。

 外傷ではなく内蔵に損傷を与えかねないその衝撃に男は死んだと周りの者は思った。

 男の体型は長身でガッチリした体格ではあるが藤浪と比べるとやはり見劣りする。



 建物内で轟音が響くと、建物の外にいた田町組の森井が

 電話の相手は組長の田町だった。二回のコール音の後に田町が出た。


「もしもし、組長、菊池がプロレス道場に入ったんですが、何かあったみたいです。中で物凄い音がしました」

 森井の言葉に田町が逡巡する。


 売人の高橋と宮崎が持っていたセカンドバッグには子供用の見守り携帯が入っていた。それにはGPS機能が付いており、森井は菊池の後を追っていた。

 森井は菊池が公園に老婆の遺体を遺棄するところまで見ていた。


『森井、落ち着け、もし、お前の言う通り菊池が高橋と宮崎をやってその後、誰かを殺して、今プロレスラーと喧嘩してるなら、菊池の使い道はある。黙って見とけ』


「分かりました。また連絡します」

 田町が電話を切ると森井は道場の中の様子を伺うべく、道場の周りを回った。すると、道場に設置された採光用のトップライト、天窓に森井は気付いた。


 足場を作った森井が天窓から中を覗くと菊池が壁際に倒れているのが目に入った。

 周りを囲むように数人のレスラーをみると森井は菊池は死ぬ、もしくは既に死んでいると思った。


 その中の一際大きなレスラーが藤浪だった。


「岡部、車に積んでどっか放り投げとけ」


 藤浪と喧嘩した者たちは皆、病院送りにされていた。

 耐久力も、スタミナも、根性もあるプロレスラーとの喧嘩で藤浪は本気で殴り、本気で投げた。コンクリートに投げつけられて背骨を骨折した者もいた。

 もう起き上がれない。藤浪には分かっていた。


 今回は救急車を要請しなかった。

 救急車を呼び、問題になるのを避けるために藤浪は菊池を捨てることにした。


 しかし、周りの者たちは言葉を失った。天窓から覗く森井も目を見開いた。


 菊池が動くと藤浪の顔は一変した。


「何も感じないんだよ」

 男は何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がって見せた。パフォーマンスではなく実際にダメージなどなかった。


 ゆっくりと藤浪に近付く。


「痛みを感じないんだ。俺の体、どうなってんだよ」


「お前……」

 その姿に藤浪は言葉を失った。

 菊池が藤浪の左腕を掴む。男が掴んだ藤浪の前腕は一升瓶のような太さだった。


「これ喧嘩だよな? 喧嘩してくれるんだよな?」


 藤浪の腕を掴む男の手に力が入る。


「お前は力はあるのか?」

 考えられない質問だった。プロレスに興味がない者でも、藤浪の体格を見れば分かる。

 プロレスを知らない素人でも、藤浪の怪力に(まつ)わる逸話は知っている。


 菊池の手に益々力が入る。それは常人では考えられないほどの握力だった。


 握る力が更に増す。藤浪が今まで経験したことないものだった。藤浪の額から汗が流れる。


「お前……どうして」

 声を出すのもやっとだった。これ以上は折れると思った。

 しかし、藤浪が何よりも疑問に思ったのはこの尋常じゃない握力ではなく、ハンマーフックでも倒れず、二メートルの高さから壁に放り投げられてもノーダメージで立ち上がる男のタフネスに浮かんだ疑問だった。

 どうして立ち上がれる? その先が言えなかった。

 

「俺は頭がおかしくなったのかもしれない。痛みを感じないんだ」

 藤浪がプロレスラーにあるまじき情けない声を上げた。男が更に力を入れたのだ。もう藤浪の左手には感覚が無くなっていた。


「闘うと薬を打った時みたいに楽しくなる。癖になって止められない。闘いたくてしょうがない」

 目が血走り、口に出す言葉も不気味だった。


 男は話しながらも手を緩めなかった。それどころか、握る力は一層増した。


「……んん……くっ……ぅうう……」

 腕を握られた藤浪が悶絶する。


 菊池の話は痛みで藤浪の耳には入らなかった。

 菊池の顔つきが変わる。

 更に、菊池が思いきり力を入れるように握り締めた。

「ぐぁぁあああーー!」


 藤浪が悲痛な叫びを上げた。左腕の骨が軋むのが分かる。折れるのではく、潰されると分かった。

 藤浪が無闇やたらに残った右腕で男に殴りつけるが、左腕を取られながらの攻撃は効かず、無駄な悪足掻きにしかならなかった。


「怖がるなよ」

 痛みで屈もうとする藤浪に構わず、力を入れる。握った藤浪の前腕が信じられないほど細くなる。


 藤浪の口角からは白い泡が出ていた。痛みに耐えかね意識が朦朧としていた。


「折れない、お前良いよ! こんなの初めてだ! お前良いなっ!」


「ぐあぁあぁー!」

 男の右腕に耐える藤浪の左腕は血が通わずに紫色に変色し、氷のように冷たくなっていた。

 しかし、血が止まろうが、細胞が死のうが、本人が弱音を吐こうが、藤浪の腕が折れることはなかった。


 骨折とは外力により骨が変形、破壊を起こす外傷である。

 つまり、構造の連続性が絶たれた状態である。格闘技者の骨折で多いのは軟骨が剥がれること、関節技で骨自体が真っ二つに折れることは少ない。


 男は藤浪の前腕を握っているだけだった。とう骨骨幹部と尺骨骨幹部である。


「お前、いいな、お前、いいよ」


「岡部、鈴木! どうにかしろ!」

 耐えかねた藤浪が助けを求める。

 助けを求められるが、藤浪でも敵わない相手に立ち向かうほどの気力はなかった。


 藤浪が助けを求めた瞬間、菊池が左手も藤浪の腕に添えた。


 今まで菊池は右手で握っているだけだった。男の左腕が藤浪の左腕に触れると藤浪は嫌がるように首を横に振った。もう諦めるしかなかった。片手でこれほどの怪力である、両腕では破壊されることが目に見えていた。

「や……やめ」

 男の両腕に力が入る。


「いいよぉっ!」


 ボゴッ。


 一瞬だった。藤浪の前腕は折れた。叫び声とともに藤浪は男の足下に崩れ落ちた。庇う左腕はへの字に曲がり、骨が皮膚を突き破っている。

 藤浪の悶える姿を冷たい目で見る菊池は恍惚とした表情で興奮を味わっていた。


 道場にはまだ三人いる。


「お前らも来いよ」





 森井は田町に連絡すると、田町の指示を待った。

 


 法的措置が取れない暴力団は法律を盾にされると身動きが取れないと思われている。

 しかし、それは表面上のことで、一度恨みを買うと徹底的に狙われる。

 田町組の組長は菊池に接触するにあたり、自身の組により有益になるようにコンタクトを図った。



 道場から出る菊池に森井が声を掛ける。


「菊池 (せい)さんですね。ちょっといいですか」


「何だ?」

 怪しい目つきの菊池が森井を睨むと森井は背中に寒気が走った。

 毅然とした態度を装う森井。


「まだ、事件にはなっていませんが、世田谷区の公園に死体が投げ込まれました」

 森井の言葉に菊池の目つきが鋭くなる。


「お前何者だ?」


「田町組の森井と申します。あなたが病院送りにした高橋と宮崎の兄貴分です」


「早速、報復か。あいつらは俺を殺そうとした。やるならお前も病院送りにしてやろうか?」


「田町組は菊池さんと構える気はありません。あなたが二人にしたことは私にはどうでもいいんです。

 二人は菊池さんに相場とは違う値段でブツを売り、更に粗悪な物を渡していたと聞きます。

 お詫びとして上物のシャブを菊池さんに用意します。それだけじゃありません。あなたが警察に追われたら(かくま)います」


「お前……何企んでる?」


「あなたを(かくま)うだけでなく、衣食住を提供します。勿論、薬も好きなだけ用意します。あなたを用心棒として雇いたい」

 菊池にとってこれ以上ない待遇だった。

 菊池が返答に窮していると、否応なしに森井が言葉を継いだ。


「早速、仕事をお願いします」


「仕事?」


「ある人を壊してほしいんです」


「壊す?」

 森井の話の突飛(とっぴ)さに思わず聞き返した。別な話に食いつかせることで、用心棒として雇うという言葉を暗に了解させたのだ。


「殺さなくていいです。後始末も面倒なんで。

 (たちばな) 正男(まさお)という高校生です」


「高校生?」


「高校生と言えど侮れません。

 『苦畏無(クイーン)』という暴走族の総長です。一対一で戦う場を用意しますので壊してください」


「殺さなければいいんだな」

 菊池の言葉に足立は頷いた。



「ヤクザは舐められたら終わりなんですよ」



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