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群雄  作者: 元馳 安
13/41

天才ボクサー 6





 第二ラウンド終了のゴングに救われた高藤は疲労困憊の様相で椅子に座ると、辛そうに肩で息をしていた。


「あいつは、はぁはぁ……何故、ずっと動き、回って……いられるんだ?」

 一ラウンドが終わって言いかけた言葉がようやく出てきた。

 痛々しく顔が真っ赤に腫れ上がり、目が開けないほどだ。

 口の中はザクロのように切れている。

 水分を口に入れるが、吐くときは真っ赤である。


「はぁ、はぁ……ずっと、足を使って、ずっと、打ち続けてる……いつか、スタミナ切れを、起こすはずだ……はぁ、はぁ……ずっとはないはずだ……四ラウンドが勝負だ……」


 息切れのために途切れ途切れになりながらも譫言(うわごと)のように繰り返す。

 高藤の鋼鉄の心はまだ折れていなかった。


 しかし、前の二つのラウンドで積み重なったダメージが体の自由を奪っていた。

 セコンドの小杉が思わず首に巻いているタオルを握り締めていた。


「セコンドの判断によりタオル投入を認めるものとする」


 唯一追加されたこのルールが高藤の救いになろうとは夢にも思っていなかった。



 これでタオルを投入すれば笑い者になるのは高藤であることは明確であった。

 しかし、投入しなければ高藤の体が危ない。


化物(ばけもの)か」

 セコンドが呟く。



 冨樫のファイトスタイルは極めて異質だった。

 それは無呼吸で延々と殴り続けていられるようなスタミナだった。


 それだけではない。ボクサー型でありファイター型のような、ボクサーファイター型のような闘い方をしていた。


 小柄な体格でありながら、世界ヘビー級王者にまで登り詰めたマイク・タイソンはファイティング原田の機敏で無尽蔵のスタミナがあるかのような動きを真似たと言われている。それをインファイトで行い、KOの山を築いた。


 マイク・タイソンの機敏な動きを冨樫はトレースした。



 そして、第三ラウンドのゴングが鳴った。



 第三ラウンドのゴングが鳴ると同時に高藤は果敢に攻めた。


 冨樫の階級は軽量級ではあるが、一つ上からは中量級と呼ばれる選手層の厚い階級となる。たった三キロの差であり、その差がとてつもなく大きな壁なのだ。


 冨樫と高藤は十キロ以上の差がある。


 前傾姿勢の冨樫に対してアップライトスタイルで距離を縮める高藤。

 普段ならキックから入るところを果敢にパンチで攻めた。


 距離を縮めようとすると華麗なフットワークで(かわ)され、キックを当てることもできなかった。


 それでも追った。ただ機を伺っていた。逃げながら打つカウンターはボクシングの常套手段なのだ。


 ボクシングは自分の距離で闘うスポーツである。

 打たれずに打つことができる距離で闘う。

 ボクシングのパンチの応酬は突き放すことで自分の距離を作る。

 もしくは下がって、相手が追ってきた時に距離を作る。それがカウンターである。そのため、カウンターは力が要らない。相手が向かってくる力を利用するのである。

 

 下がることで能動的な動きができる。


 試合でも見せたことのない高藤のボクシングのような動きだった。


 ボクサーならば必ず、カウンターを合わせてくる。ジャブかフックに合わせることだけを考えた。「肉を切らせて骨を断つ」という高藤の最後の悪足搔きだった。


 高藤の最後の武器。


 高藤が右のローキックを繰り出すと勢いそのままに右を放ったときだった。


 ガラ空きの高藤の左顎を狙った冨樫の右フックが見えた。


 本来であればガードは上げたまま前蹴りで距離をとるか、近ければ首相撲に移行する。


 高藤は左足を下げたまま、右ジャブを引くと同時に左ストレートを繰り出した。


 「スイッチ」である。


 右フックが高藤の肩に当たると、瞬時にダッキングで避ける冨樫。


 高藤の攻撃は続いた。


 右爪先を独楽のように回転させる。

 鞭のようにしならせた足が冨樫の頭部目掛けて襲い掛かる。


 左ストレートから追撃するように左ハイキックを放った。


 脅威のハイキックは利き足だけではなかった。


 渾身の“左”のハイキックだった。


 「当たったっ!」と思った高藤の左足に衝撃が走った。

 眼前で高藤の左ハイキックはブロックされた。

 冨樫のエルボーブロックであった。辛うじてガードできたものの、その衝撃は凄まじかった。

 衝撃で冨樫の体が後方に飛んだ。


 左ハイキックがガードされたのは信じられなかったが、高藤に千載一遇のチャンスが訪れた。


 ロープ際まで飛ばされた冨樫が猛追する。


 右ストレートを冨樫の細い顎目掛けて放った時だった。


 高藤の顎に衝撃が走った。


 追い撃ちを掛けようとする高藤は右ストレートを狙われ、瞬時に態勢を立て直した冨樫からカウンターを受けた。


 瞬時に体勢を立て直し、的確にパンチを撃ち抜く。冨樫の優れた体の柔軟性と強い背筋力を持った証だった。


 高藤の膝が折れると、そのままマットに手を付きダウンした。


 審判が判断できなかった一回を含む、本日三度目のダウンだった。


 ボクサーがノックアウト(失神)した時の身体に与えるダメージは深刻なものであり、一度のノックアウトで選手生命を絶たれることもある。

 そして、選手生命はなにも身体的な故障だけではない。


 鋼の心が折られたのだ。


 何とか立ち上がるが、高藤の体からは明らかに闘志が消えていた。もう、武器がなかった。

 何故、見慣れないはずのキックが避けられるのか。高藤には理解できなかった。


 八カウントで試合は再開された。


 意気消沈する高藤へコンビネーション・ブローを叩き込むと、甘いガードの上から拳がすり抜け、顎を打ち抜いた。


 高藤のガードが下がる。もう意識が遠のいていた。


 続け様に冨樫が繰り出したのはなんと肘打ちだった。


 クリンチするかのような距離まで接近した状態で冨樫の右肘が高藤の顎を打ち抜いた。


 膝が折れ、高藤が沈むと高藤が小さくなった。


 背筋を伸ばすように冨樫の姿勢が上がる。


 この時、姿勢を正した冨樫は初めて高藤よりも大きく見えた。


 前傾姿勢ではキックは出せない。


 膝が折れて腰から崩れる高藤の頭部を押さえつけるように冨樫はグローブを添えた。


 意識が混濁し、立つことさえままならない高藤は倒れるだけだった。


 重力に逆らうことなく崩れ落ちる高藤の顔面を狙った技。


 一瞬の溜めから冨樫が放った一撃は必殺の膝蹴りだった。



 グシャッ。



 冨樫の膝が高藤の顎を貫く。


 たとえ僅かでも残さないように冷酷に全ての意識を刈り取った。


 アリーナ全体に響き渡るような衝撃だった。


 意識のない高藤は手を付くこともできずに体ごと倒れた。


 膝蹴りに入る前にセコンドの小杉が慌ててタオルを投げ入れていたが、レフェリーが止められるはずもなかった。


 ボクサーの冨樫の膝蹴りが入った瞬間、レフェリーが二人の間に割って入り、両手を交差させて試合終了の合図を送った。



 観衆が総立ちとなったさいたまスーパーアリーナには地鳴りのような轟音が鳴り響いた。


 遅れるようにゴングが鳴る頃には冨樫はコーナーに戻っていた。



 リング上で行われる勝名乗りや、インタビュー、写真撮影を一切拒否した冨樫は早々にリングから下りた。




 さいたまスーパーアリーナの熱気と興奮が冷め止まぬまま格闘技の祭典は幕を閉じた。


 興行は大成功を収めた。




「やっとだよ」


 車に乗り込むと冨樫はシートに深く体を沈めた。

 トレーナーでもあり、今回セコンドも務めた小松は冨樫を労い何も言わななかった。


 そんな中、冨樫は静かに口を開いた。


「誰も俺が勝つなんて思ってなかったんだよ」


「自分は勝つと信じてました」

 車を運転する小松は真っ直ぐに前を見つめながら口を開いた。


「前言撤回」


「……何がですか?」


「あいつは、高藤は『まぁまぁ』だった。ラスベガスには強い奴いるかな……」


「ラスベガスですか?」


「WBAの会長は今日の試合を見てる。プロモーターのボビー・アラームがムエタイでチャンピオンに勝てるくらい強いなら口添えしてやるって言ったんだよ」


 高藤に喧嘩をふっかけたのも、マッチメイクを持ち掛けたのも、全ては冨樫が(たばか)ったことであった。


 全てはラスベガスでの試合のためだった。

 しかし、それも通過点にしか過ぎない。


 冨樫のセコンドを務めた小松は冨樫の末恐ろしさに何も言えなかった。



 WBAから正式なオファーが来るとラスベガスでのタイトルマッチが決まった。


 先の対ムエタイ戦で魅せた刺激的な試合をラスベガスのギャラリーが望んでいるとのことだった。


 この数ヶ月後、冨樫は一躍スターとなる。

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