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群雄  作者: 元馳 安
12/41

天才ボクサー 5




 高藤にとってはやっと最初の三分が終わった。

 そして、そのたった一ラウンドで観衆は心を鷲掴みにされていた。


「黒田さん、スゴいっス! これ! ヤバいっスよ!」

 顔を真っ赤にさせて興奮する葉梨。


「お、おう。だから、イケるって言ったろ」

 番組会議での無謀な発言が、実は冨樫の働き掛けによるものだということを黒田は誰にも口にしていない。


 ボクシング対ムエタイの試合を実現しようとしていたのは他でもない冨樫だった。


 インターバルの間、用意された椅子にも座らずに余裕を見せるのは冨樫。

 反対のコーナーでは椅子に座る高藤が肩で息をしている様子が嘘のようであった。


「高藤さん、もっと近付かないと。近距離で“あれ”出せば冨樫にも入りますよ」

 セコンドとして付く小杉が高藤に声を掛ける。


「分かってる。一ラウンドは様子見だ」

 滝のように流れる高藤の汗は止まらなかった。


「あいつは……」

 荒い呼吸を必死に整える高藤は何かを言いかけた。


「はい?」

 

「あいつは目がいい。俺の技が見切られてる」


「見えない“攻撃”なら、当たりますよ」

 セコンドの言葉に高藤が頷く。


 TVでも大口を叩いていたが、試合前の宣伝でも冨樫の無敗は大きく伝えられていた。

 その度に高藤の脳裏にはあの日の収録の出来事が()ぎった。


「高藤さん、冨樫は負けたことがないって言ってたんで負かしてやりましょう」

 高藤は頷いた。


 冨樫は試合では負けたことがない。しかし、冨樫本人には忘れたくても忘れられない屈辱的な黒星があった。



 二分のインターバルを置いて、再びゴングが鳴った。


 高藤は冷静さを保っていた。


 殺意を押し殺して、ガードを上げて構える高藤はまだ冷静さを保っていた。

 しかし、時折放つ高藤の殺気をリングサイドでは寒気として感じていた。


 殺し合いを望むかのような高藤の威圧にリングサイドで見ていた黒田も背筋が寒くなるのを感じた。


 ナックルパート(拳の正面)以外での攻撃が許されていないボクシングでは慣れない技が多々ある。蹴り技も同じだった。


 幾人ものライバルたちをマットに沈めてきた武器が高藤にはある。


 渾身の高速ハイキックである。


 手だけしか使わないボクシングにはない、視界の外から襲い掛かるハイキックは慣れるはずもない。

 キックを知らないボクサーに避けられるはずがない。

 そのはずだった。


 冨樫が不用意に高藤の懐に飛び込み、連打を浴びせる。高藤がボディーをわざと開け、顔面へのガードを堅く閉ざすと、絶好のタイミングで冨樫がボディーを狙ってきた。

 冨樫が不用意なのは高藤が第一ラウンドで膝を痛めて追い足がなく、攻撃はないと思っているのだろうと高藤は読んだ。


 だから、動かなかった。


 絶好の機会が訪れるまで手を出さずに待ち続けた。

 そして、チャンスが訪れる。

 高藤の罠に掛かったかのように冨樫が懐に飛び込んだ。


 左ローから左に寄せ、わざと左のボディを開けると、姿勢を低くした冨樫が飛び込んできた。

 高藤が右ストレートを出すフリをして、冨樫の左に死角を作る。

 瞬間的に右手を下げて右のハイキックを見舞った。


 自分の胸の高さまで低くなった冨樫の頭部、頭の天辺を狙い澄ましたハイキック。


 ガッ。


 高藤の顎が跳ね上がる。

 当てられたのは高藤だった。

 冨樫の左アッパーが高藤の顎を捉えると、高藤は右足を空中に泳がせてマットに沈んだ。


 高藤の薄れゆく意識の中にカウントが響く。


「……スリー……フォー」

 足が言うことを聞かない高藤が頭だけを起こすと冨樫の顔がその目に映った。

 冨樫はじっとこちらを見ていた。



 もう終わりかよ。



 確かに冨樫はそう言っていた。


「殺す」

 高藤は体中の血液が沸騰しそうなほどの怒りを覚えた。


 高藤はカウント八で起き上がった。


 会場には割れんばかりの歓声が轟くが、高藤のはっきりしない意識には聞こえない。

 殺意を心の奥底にしまい、高藤は必死にダメージを回復させようとした。


 高藤の意識にあるのは一人の存在だけだった。


 目の前の天才である。



 パンチが見えねぇ……。



 高藤の素直な気持ちだった。



 どの角度でくるのか、来てもその早過ぎるスピードに反応できなかった。それは高藤のタイミングを奪い、意識外の出所からパンチを繰り出しているのである。




 しかし、高藤は焦らなかった。まだ武器があったからである。


 レフェリーの合図に冨樫が動き出す。


 不用意に飛び込むと、これまで以上に距離を詰めてきた。油断以外の何物でもない。


 高藤はすぐに飛び付いた。


 ローキックや前蹴りで牽制することも忘れて無我夢中で冨樫の首に飛び付いた。


 首相撲である。ボクシングにあるクリンチとは異なり、首を掴むだけでなく、相手の鎖骨に両肘を当て、テコの原理を利用して相手の頭を下げさせる。

 これだけでかなりの体力を奪うことができる立派な攻撃である。


 遠い間合いからキックで突き放し、近付き首相撲で相手の体勢を崩して肘や膝で攻撃するというのはムエタイでの必勝パターンである。

 ムエタイが立技最強というのも首相撲があるからと言っても過言ではない。

 首相撲だけで相手へダメージを与えることができる。


 高藤が冨樫の華奢な首根っこを掴むとその内側に潜む鍛えられた筋肉に驚いた。


 しなやかではあるが、決して弱くない。少し力を入れただけで一瞬にして金属のように硬くなる。

 弛緩と緊張の差が激しいその筋肉は、恐ろしいほどの瞬発力を兼ね備えたファイターとしては見事な筋肉と言えた。


 しかし、これまでだった。

 首相撲で終わらない。首相撲は体勢を崩して次に繋げるためのものである。


 冨樫にすっかり魅了された黒田はその光景を目の当たりにすると思わず顔を背けたくなった。


 首相撲をしてから繰り出す攻撃は十中八九がある技と決まっている。

 それはキックボクシングの試合でも見られる「膝蹴り」である。


 高藤は必勝を確信すると、その思いが自身の表情に禍々しいほど露わになった。


 これまでの思いを一撃にてそのまま返す。


 高揚感は高藤の口角を卑屈に上げた。


 その表情を見た冨樫も笑みを(こぼ)した。


 よろめく冨樫の姿勢が更に前傾となる。高藤の右足が下がると一瞬の溜を作り、刹那、必殺の膝が冨樫の顔面を襲った。


 常人ならば打ち所が悪ければ陥没骨折、良くても反撃できないほどのダメージは免れない。




 冨樫は昔を思い出していた。


 暗く殺風景な地下にある部屋。その地下室には何人ものギャラリーがいた。


 暗い部屋の中、目の前にいるのはボクシンググローブを着けた自分よりも年下の少年だった。


 人生でたった一度の黒星。


 自分が繰り出した膝蹴りをその少年はある技で返してきた。



 冨樫は高藤に首相撲で掴まれた頸部の力を緩めていた。

 それだけでなく、前屈した上半身も力を緩めてリラックスさせていた。


 下半身はサウスポーのスタンスを取っている。


 高藤の膝が突き上がる刹那、冨樫は下を向いた上半身を一気に反転させ、床を見ていた顔が天井を見上げるまで反転した。


 体の中心を軸とし、独楽のように一瞬でクルッと回る。

 その反動で右腕を高藤の顎目掛けて突き上げた。

 一瞬でタメを作り、一瞬で爆発させた。


「晴明流柔術 当身技 (せん)


 天空に光る稲妻のように一瞬で、揺れ動く炎のように煌く技。


 冨樫が人生で初めて失神負けを喫し、数日経ってから聞いた技である。


 超近接距離からのカウンターショートアッパーであった。



 あいつは何処かで必ずこの試合を見ている。再戦した時には必ず勝てるように強くなる。首を洗って待っていろ。


 冨樫からの挑戦状だった。



 顎を見事に打ち抜かれた高藤の意識は朦朧とした。

 腰が砕けて立つこともままらない高藤は前のめりに倒れそうになった。


 しかし、倒れなかった。


 冨樫が受け止め、高藤の脇の下に両腕を入れると体が前のめりに倒れるのを受け止めた。

 クリンチに見せかけるように抱き止めたのだ。


 高藤の膝が折れるのを必死に抱き止める冨樫。


「おい、まだ寝るな」


 冨樫のその言葉に高藤は我に返ると、レフェリーのダナ・ホワイトがブレイク(クリンチから離れること)を促す様子が目に入った。


 レフェリーが高藤の意識を確認する。


「Are you OK?」


 高藤が辛うじて頷く。


 フラつく足で無理矢理立った。


 レフェリーの合図で試合が再開するも両者動かなかった。

 観客の目にはどちらも深刻なダメージを受けているため動けないのだと映った。

 当たったのは冨樫のアッパーだけである。


 高藤がチラと自コーナーに目を遣る。

 セコンドの小杉は声を出すこともできなかった。


 試合が始まった時は高藤の方が大きく見えていたはずだった。


 今では同じくらいに見える。





 第二ラウンド終了のゴングが鳴った。


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