天才ボクサー 3
冨樫と高藤の騒動から数日後、二人の確執に目を付けた者がいた。
フジマルテレビプロデューサーの黒田である。
「二人の闘いをお茶の間に届けよう」
番組会議での黒田のこの無謀な発言に首を縦に振る者はいなかった。
実現するはずもない。解決しなければならない問題は山ほどあるのである。
そもそもジム同士での折り合いなど付くはずがなかった。
金の問題、スポンサー規約の問題、放映権、日本ボクシングコミッションと日本ムエタイ協会との規約の問題、様々な柵がある中で最も厄介なのはそのルールだった。
パンチのみのボクシングと、蹴り技のみならず、肘打ち・膝蹴りまであるムエタイである。
二人の闘いは実現するはずがなかった。
しかし、二人の対戦は思いも寄らぬところから実現することになる。
プロモーターであるボビー・アラーム氏がCEOを務める興行会社バックス社は数々の名イベントを企画し、成功させてきた。
そんな氏がWBAの会長に圧力を掛けて日本ボクシングコミッションと日本ムエタイ協会に働きかけた。
二人のマッチメイクにWBAは関与していない、口を出さないということだった。
その裏では想像を絶するほどの多額の金が動いていた。
ボビー・アラーム氏の先行投資である。
試合の興行は日本の格闘技イベントを手掛ける日本のプロモーターが取り仕切る形となった。
日本のテレビ局だけでなく、日本のプロモーターも大いに喜んだ。
フジマルテレビの利益を優先させた戦略は見事に嵌り、試合の興行は即座に企画された。
というのも、別の格闘技イベントを企画していたためにそのイベントに二人の闘いを取り入れる結果となったのだ。
裏では冨樫とボビー・アラームとの間に密約が交わされていたことは誰も知らない。
日本で行われる冨樫と高藤の試合に関しての利益はボビー・アラームに一切ない。
ボビー・アラームには狙いがあった。
バックス社が手掛ける数々の興行の中にはボクシングの試合がある。ラスベガスでのタイトルマッチだ。
海外の放映権料、スポンサーからの多額の協賛金、後から入る金のことを考えればその一試合のことなど瑣末なことだった。
ホテルがボクシング興行を誘致するのは、それだけカジノの集客に寄与するからで、客を集められるボクサーは重宝される。それもハイローラーと呼ばれる高額の賭けをする乗客を集めることができる集客力のあるボクサーだ。
彼は冨樫に強烈な金の匂いを感じた。
だから投資したのだ。それはボビー・アラーム流のボクサーの育成と言えた。
そして問題は選手二人と所属ジムの意向だけとなったが、それは聞くまでもなかった。
試合は滞りなく直ぐに決まった。
ボクシングにおいて、ライセンス所有者が別の格闘技のリングに上がることは制限されている。
ボクシング関係者が不審に思わないはずがなかった。しかし、誰も何も口にすることはなかった。
両ジムにとって、特に高藤にとってこの試合は願ってもないことだった。
日本で行う事、多額の興行収益が見込まれている事、更に、勝ってムエタイ界だけでなく、格闘技界全体を盛り上げたいという気持ちもあった。
世界王者がいるとは言え、資金繰りに頭を悩ませるジムにとっては願ってもないことであった。
高藤サイドにとっては公衆の面前で恨みを晴らせるということも魅力の一つであった。
こうして「ボクサー 冨樫 進」 対 「ムエタイ 高藤 剛」の試合は実現することになった。
ムエタイの試合時間に合わせて三分、五ラウンド、ムエタイの試合ルールに則ったまさかの「肘打ち」、「膝蹴り」有りのルールで行われることになった。
しかし、一つだけ冨樫はそのルールにボクシングのあるルールを付け加えた。
「有効打によるダウンでレフェリーがカウント中、セコンドの判断でタオルを投入した場合、KOを認めるものとする」
タオル投入とは、セコンドが選手の意志に関わらず降参を表すもので、タオルを投げ入れた時点で負けを認めるものである。
ムエタイルールでもタオル投入は認められているが、ハッキリと明記されていない。
試合の形式がムエタイルールで行われると決まってから、規定が作られ、試合のルールを確認するために渡された資料を読んでいるときだった。
高藤が所属するジムのトレーナーである小杉が高藤に話した。
「タオルの投入が認められています」
ルールが載っている資料に目を通す高藤が頷く。
わざわざこの一項目が追加されたというのは何か意図があるのではないかと考えた。
「冨樫は戦う気がないのか?」
所詮はテレビ映りを気にしたパフォーマンスであり、試合などする気がないのかと高藤は思った。
しかし、同じ事を考えていたはずの小杉は契約書の内容に驚いた。
「高藤さん、ファイトマネーなんですけど」
小杉の言葉に呆れるように息を漏らした。ファイトマネーはキッチリ折半。負けても金は貰える。
いや、負けるつもりの試合ならば怪我を負う前に降参する寸法なのだろうと考えた。
高藤自身、やすやす見逃すつもりはなかった。タオル投入前に終わらせてやるという気概さえ湧いた。
「Winner takes all(勝者総取り)ということらしいです」
小杉の言葉に高藤は耳を疑う。
「“金は全て渡すから許してください”ってことですかね?」
「それとも……まさか、冨樫は俺に勝つ気でいるのか?」