アマチュアレスリング初心者 1
遙か昔から現在に至るまで、歴史に名を残した者には圧倒的な力があった。
力とは「強さ」である。
「強さ」とは、正義であり、悪であり、暴力であり、智力であり、権力であり、勇力であり、腕力である。
凡人にはない非凡な「強さ」を持つ強き者を英雄、傑物、偉人、超人と呼んだ。
ギリシャ神話に出てくる最強の半神半人 ヘラクレス、三国志の傑物 呂布奉先、初めて中華統一を果たした秦の始皇帝 嬴政、スイスの英雄 ウィリアム・テル、江戸時代にその名を轟かせた伝説の剣豪 宮本武蔵……言い伝えや書物にははっきりとその名が記され、後世に伝えられている。
強き者たちが作った伝説である。
実在していたかは定かではないが、古くから伝えられた伝説は存在する。
その時代、最強とも言える力を持った者が伝説を作り、それが歴史となった。
その歴史は様々な形の『闘った跡』である。
どれほどの時が流れようが、決して色褪せることのない人々を魅了し続ける歴史である。
時代が違えど、国が違えど、相剋の図が違えど、ヒトの『闘い』に対する興が冷めることはない。
もし、伝説と言われるほどの強さを持った者たちが同じ時代、同じ場所にいたら……もし、彼らが闘ったら?
武帝大学附属高等学校は日本で三本の指に入るほど運動が有名な高校である。
武道なら武帝大学、スポーツなら日本体育大学と言われ、運動に力を入れている大学の付属高校はその恵まれた環境から、毎年優秀な成績を修めることで、武道では高校日本一との認識があった。
アマチュアレスリングという競技がある。
古くは五千年前、古代ギリシアでレスリングは科学と神の芸術と見なされ、男性の最も重要なトレーニングとも言われていた。
そして、第一回近代オリンピック競技にも認定され、現在、日本でもレスリングの人気は高い。
高校一年生の川瀬 康はアマチュアレスリング部の練習場を訪れていた。
見学に来たと言い、道場内に入らせてもらえたのである。
そこで対応したのは上田だった。
上田は武帝高校レスリング部の主将である。
上田のことを探していた川瀬にとって、最初に話せたのは都合が良かった。
川瀬が上田に二、三質問すると上田の態度が急変した。
武帝高校三年生の上田は簡単なルールを説明すると軽くスパーリングをしようと言い、川瀬を無理矢理着替えさせた。
武帝高校の部活には大学生も時折顔を覗かせる。
武帝高校と武帝大学は同じ敷地に併設されており、高校から大学までエスカレーター式で上がることもできる。
武道の頂きを目指す若者たちが集まるそこは、同じ場所にある付属学校だからこそ、そこにOBなどの垣根がないほどに交流が盛んであった。
この時、偶然この場にオリンピック銀メダリストの大上がいた。
この日の三週間前、大学二回生でオリンピック銀メダルを獲得した大上 優が道場に顔を出すと、まるでアイドルが来たかのように生徒たちは騒ぎ出した。
この時、大上は川瀬を初めて目にしたという。
普段、高校生のことなど気にも留めない大上は川瀬から目が離せなかった。
新入生が日頃の練習や合宿の辛さに耐え切れずに次々と辞めていく九月という、見学としては季節外れの時期的な珍しさもあったが、一番の理由は川瀬の体格が大上の目を引いた理由だった。
百八十センチの身長に制服越しからでも分かるほど筋肉が盛り上がっていた。
開けた更衣室で川瀬が下着を脱ぐと周りの者はその姿に驚嘆した。
「何かやってたのか?」
堪らず上田が声を掛ける。
「はい?」
言葉の意味を理解できない川瀬が聞き返した。
武道やスポーツの経験者はその練習を続けることでその運動に適した体つきになる。
柔道やレスリング、相撲などは耳が畳やマット、地面、または相手と接することで擦れて内出血を起こして潰れる。ギョーザ耳とも言われる形に変わることがある。また、相手と組み合うため、肩の筋肉は盛り上がり、下半身が太くなる。
空手は拳立て伏せや巻藁突きをし、拳を鍛えることで拳胼胝ができることもある。蹴り技の稽古をすることで股関節が柔らかくなり、足がしなやかに伸びる。
また水泳選手は背中の菱形筋を猛烈に鍛えることにより、肩幅が広くなるなどといった体の変化がある。
「運動はしてたのか? ラグビー、ウェイトか、柔道か……その体つきで空手もあり得るのか分からないが、何かスポーツとかはしていたか?」
分厚い筋肉で覆われた川瀬の肉体は徹底したトレーニングと食事管理で鍛え上げたボディービルダーのような見せる筋肉があった。
プロレスラーや柔道家、ヘビー級の格闘家のような脂肪は一切なかった。
「いえ……あ、体育の授業で柔道はしました」
身体的な変化は一朝一夕でできるものではない。
継続して鍛錬することで得られるものは技術も勿論そうであるが、肉体的な変化もある。
鍛えている者にとってはその肉体の変化は何ものにも変えがたい目に見える強くなった証であり、自己陶酔に近い感覚を覚える。
男は筋肉が付くこと自体がステイタスなのである。
『僕はトレーニングをしたことがありません』
川瀬がそう言っているようにしか聞こえなかった。
川瀬のこの発言は長年鍛錬を積み重ねた者たちへの挑発とも取れる言葉だった。
上田の目付きが鋭くなる。
「……早く着替えろ」
「はい」
川瀬の物怖じしない態度も言葉も上田の癇に障った。
大上は道場内で事故を起こさないように、いつでも止められるように道場に足を踏み入れた。
上田は高校生でありながら、大学生に劣らない実力を持っている。
しかし、“やり過ぎる”ことが玉に瑕であった。
フォール(抑え込み)で勝ち負けを決めない。
ルールに則ればピンフォールと呼ばれる一秒でも背中が着けば決着ということをさせなかった。フォールし続けて相手に参ったをさせる。
それだけに留まらず、フォールからタップを取るよりも、関節技を極めてタップを取る。酷い時にはそのまま折ることもあった。
本来ならアマチュアレスリングのルールに関節技はない。
上田の“やり過ぎる”行動にも先輩たちは黙認してきた。
理由は単純に上田が誰よりも強かったからである。
上田は高校一年生のときから階級を変えて、インターハイだけでなく様々な大会で何度も優勝している。
今からこの二人はレスリングルールで試合う。
川瀬がレスリング道場を訪れたのにはある理由があった。
それは、同級生の友人が腕を折られて無理矢理退部させられたからである。
お昼休みのことであった。
教室に友人の姿がないことを不審に思いながらも、ただの風邪と思った川瀬はそのことを口には出さなかった。
しかし、昼食時に友人のことを聞いた川瀬は激昂した。
武帝高校では試合前には必ず学校に登校しなければならない。授業を受けなければ部活動を行うことを認めていないのだ。
川瀬が不審に思ったのはこの月に行われる試合が友人の初試合であり、辛い合宿を乗り越えて楽しみにしていた試合だからである。
部内で何があったかは分からないが、不当な扱いを受けたのであれば許せなかった。
川瀬が怒りを露わにしたところを十年来の幼馴染である三橋はその時初めて目にした。
そして、その様子に寒気がした。
レスリングの部室に向かっている時に上田のことを話した。
上田は武帝高校の有名人である。その輝かしい功績は朝礼などで毎回表彰されるため全校生徒が知るところであった。
川瀬がぼそりと呟いた言葉が三橋の脳裏に浮かぶ。
「そいつ、強いのかな」
共に部室まで同行した三橋には上田と川瀬の間でどのような会話が交わされていたのかは分からない。それでも上田の態度を一変させるような遣り取りがあったことは間違いなかった。
今は幾分か表情が和らいでいるように思える。
試合着などないが、開け放たれた更衣室で着替える川瀬の顔がチラと目に入った。
ルールも分からないような素人である。スパーリングといえど、これから相手にするのはインターハイチャンピオンの上田。
川瀬は臆することなく、その目には闘志が伺えた。
そのことが三橋を不安にさせた。
川瀬の友人である三橋もいつでも救急車を手配する準備をした。
大上とは反対に三橋の心配は余所にあった。
川瀬は出生当時、体重が七千グラムもあり、髪は肩まで生え、前歯がすでにあった。
彼が生まれた病院ではNICU(新生児集中治療室)もあり、小児科が有名な病院だった。
あまりに大きな新生児に周囲は驚いた。七千グラムの新生児に与える十分な母乳など出るはずもなく、数日の間だけ新生児室で預かると不思議なことが起こった。
翌日に自力で寝返りをうち、生後三日で掴まり立ちをしたのである。
病院の助産師や医者は信じられない様子だった。誰もそんな経験をしたことがなかった。
両親は驚いたが、息子の齢では有り得ないほどの体の大きさに惑わされ、両親は不思議と納得した。そして丈夫なことを驚くよりも嬉しさの方が勝っていた感情は川瀬の成長を不審に思わなかった。
これはただ単に大きく生まれ、成長が早かったというだけのことではなく、齢とは別に同じ背丈の子供に比べ筋量が圧倒的に多かった。
『ミオスタチン関連筋肉肥大症』
ミオスタチンというタンパク質がある。
動物の体内で常に作られている筋肉の成長を抑制し、筋肉の成長を適度に保っているものである。
筋力トレーニングなどによりミオスタチンの生成量が少なくなるとそれが筋肉の肥大・増幅に繋がる。つまり体内で生成されるミオスタチンが少なければ少ない程、筋量は増加の一途を辿り肥大し続ける。
筋肉が増え続けてしまう「病気」である。
川瀬は常人の二倍以上の筋肉量があった。
そして、川瀬は生まれながらにして生命の危機にあった。
川瀬を診断する医師は愕然とした。
いくらミルクあげても新生児の血糖値が上がらないのだ。
程度は深刻ではないものの、その低血糖の体は栄養失調という診断がくだされた。
川瀬は幸運だった。生まれた病院での処置がなければ、生きることも叶わなかったかもしれない。
川瀬は両親の期待に応えるようにすくすくと健やかに育っていった。
川瀬は幼少期、少年期において喧嘩をしたことが一度もなかった。それは川瀬 康の優しい性格とある事件がきっかけであった。
小学二年生で既に百六十センチの体躯に腹部には筋が入り腹筋は割れ、肩から腕にかけての筋肉は異常に盛り上がり発達していた。
同じ年齢の子供と比べ、体格と体力と身体能力が違いすぎていた。
学校生活での小学生特有の格闘ごっこは川瀬の相手をするときは常に危険と隣り合わせであり、川瀬の幼心でさえその危険さを理解していた。
その周りと違う境遇と川瀬の聡明な考えと両親の愛が優しい川瀬の人格を形成した。
そんな川瀬の周りには人が集まった。
そして、川瀬や友人たちが一生忘れないであろう大事件が起こる。
それは、川瀬が小学三年生の時だった。
下校途中に乗用車と衝突する事故が起きた。
川瀬は突然車道に飛び出す赤ん坊を庇い車に撥ねられたのだ。
車道に面した精肉店はその立地とは裏腹に地元の皆に愛され繁盛していた。しかし、店と車道を仕切るガードレールなどの欄干は無く、車道の交通量に比例し事故が絶えなかった。
ほんの一瞬の出来事であった。
店から突然出てきた、歩くことを覚えたばかりとみられる赤ん坊、母親が目を離した一瞬の隙に店を出た。
その時に車道に飛び出す赤ん坊を確認できたのは川瀬だけであった。
そして後方から来る車から助けることができるのも川瀬だけであった。
赤ん坊との距離は三メートル程、そして、後方から来る車は川瀬たちのすぐ後ろまで迫っていた。
川瀬は迷うことなく車道に突っ込み、弾みをつけて赤ん坊を抱くように跳んだ。
突っ込むのとほぼ同時に抱き抱えて車に撥ねられた。
急ブレーキの音よりもぶつかった時の音の方が大きかったことがその場を殺人現場へと変えた。
事故を目の当たりにした通行人は衝撃音の大きさで赤ん坊と庇った小学生は助からないと思った。
そして、運転手のブレーキを踏むタイミングが遅れ、赤ん坊を抱き両足が地面から離れた川瀬の体は地面と水平に吹っ飛んだ。
地面に着地してからも勢いは衰えず、転がる川瀬の体が止まったのは友人たちから十二メートルほど離れた信号機の前であった。
川瀬が飛ばされた距離と、中央が減り込みエンブレムがグシャグシャになった車のフロントグリルと、辺りに重く鳴り響いた衝撃音が衝突の激しさを物語っていた。
通行人は数秒間、動きが止まった。
赤ん坊の母親の叫び声が響き渡り、周りの時が動き出した。
ある者は叫び、ある者は救急車を呼んだ。
下校を共にしていた友人は狼狽えた。友達が十メートル以上も飛ばされた事故現場を目の当たりにすることも、目の前で友達が死ぬことも小学二年生の精神では耐え難かった。
突然、下校を共にしていた友人の一人が十メートル先の川瀬の元に走った、後に続くように皆が川瀬に向かって走り出した。
「やっちゃんが動いてるっ!」
一番に走り出した友人が遠くで寝たままの川瀬を見て叫んだ。駆け寄った友人たちが目にしたものは、倒れながら赤ん坊の頭を撫でる川瀬の姿であった。
立ち上がった川瀬は擦り傷だらけであったが、驚くことに擦り傷と打撲しか傷を負っていなかった。
それでも体中の傷はボロボロの衣服を紅く染めてその痛々しい姿を友人たちは直視できなかった。
赤ん坊の母親が駆け寄ると川瀬は赤ん坊をそっと渡した。
赤ん坊は母親の顔を見ると大声で泣き叫び、その姿を見て川瀬は赤ん坊に何もなかったことを安心したように笑った。
それ以来、川瀬の周りに集まる人の数が増えた。
そんな川瀬少年が夢中になっていたものがあった。
ボクシング、空手、プロレス、様々な格闘技である。
その競技で一番を賭けて男たちが闘う姿に興奮した。
川瀬が興味を持ったのは『強い人』であった。
幼い頃から『普通』ではない自分はテレビの画面に映る強い人を見て思うことは単純なことだった。
僕はどのくらい強いのだろうか。
どこまで強くなれるのだろうか。
一番になれるのだろうか。