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魔闘拳士  作者: 八波草三郎
帰ってきた少年
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礼美

「がーーいーー!!」

 櫂は目を丸くさせる。姉の礼美のそんな姿を見るのは初めてだったからだ。

「ごめんなさい! ごめんなさい! あたしがっ…! あたしがヘタレとか根性無しとかばっかり言っちゃったから嫌になったのよね! もうそんなこと言わないから居なくならないで!」


 確かに礼美には子供の頃からけなされることが少なくなかった。

 決して暴力を嫌ったり、殊更に平和主義を訴えたりはしなかった櫂だが、姉には一線を引いて寛容を貫いていた。

 それは相手が女性であるのと、守るべき家族に手を挙げるような行為を彼の信念が許さなかったからだ。ただ、そんな姿勢が礼美には逃げ腰に映り、増長させるに至り、弟は何をやっても女である自分にさえ声を荒らげることのない存在と意識づけられていた。


 その結果、折に触れ礼美に「ヘタレ」だと言われてきたのだが、実は櫂はそれを気に掛けてもいなかった。

 ところが礼美はそれを気に病んでおり、櫂の失踪の原因であると考えていたようだ。その事実は櫂の中に苦い笑いの種を植え付けてきたが、今はそれどころではない。


「姉さん、落ち着いて。僕は決して姉さんの言葉を苦に逃げ出したわけじゃないよ。姉さんを嫌ってもいないから安心して」

「ほんと? 絶対に? あたしが嫌いじゃないの?」

「本当だよ。姉さんは僕の大切な家族だから」

 さすがに櫂も「愛してる」とか恥ずかしい台詞は口にできなかったが、本心を伝える。礼美は完全に納得してはいない様子だったが、嗚咽はおさまってきたようだ。

「ほら、もうそれくらいになさい。お化粧が溶けて顔がグチャグチャよ」

「母さんだって目が真っ赤じゃない…」

 礼子に諭されて礼美は洗面所に向かう。

 タイミング的に礼美に連絡を取ったのは礼子の仕業であり、礼美の行動を非難してくる母に一言くらいお返しがしたいと思うのが礼美という人間だった。


 時を置いて居間のソファーテーブルを囲み、お茶で舌を湿しつつ家族で言葉を交わすひととき。

 この七ヶ月、礼美は母に苦しい思いをぶつけ泣き腫らすことが多かったそうだ。そう言われると櫂は自らの罪深さを思い知る。

 しかし、この状況は櫂にとっても不可抗力だったのだ。だからと言って本当のことを話せば、警察だけでなくむしろ病院に連れていかれるだろうと容易に予想できるから、そうそう口にはできない。この苦境を乗り切るために櫂は積極的に七ヶ月間の様子を訊く。


 父母は当初こそ探し回ったり、各所に連絡を取ったりして消息を求めたが、ひと月もすれば警察の組織力を頼るしかないと考えたようだ。


 問題はやはり礼美だった。

 信販会社に勤める礼美は全く仕事が手につかず接客なぞとても任せられる状態でなかった。

「とりあえず警察にお任せして仕事先に迷惑の掛からないようにしなさい」

 そう両親に諭されても精神状態は一向に回復しない。

 彼女を多少なりともまともと呼べる状態まで引き戻したのは、交際相手の矢崎慎二朗氏の功績だった。

 商社勤めで多忙を極める彼が、本当に小まめかつ親身に礼美の相談相手になり、時間を掛けて何とか日常を取り戻したのだった。


 その所為か礼美は少々慎二朗に依存しがちになり、その様子が慎二朗の心に刺さり、不謹慎ながらひと月前にプロポーズを敢行。良い返事を貰えた慎二朗と礼美の結婚が来春に決まっていた。

 そこへ櫂が戻ってきた以上、何の思い残しもなく二人も周囲も結婚を喜べる。礼子はとても満足げに笑い、礼美も少しは笑みを見せるようになった。


 櫂は慎二朗とも面識があるにはあるのだが、今度謝罪と共にゆっくり話せる場を設けてくれるよう、姉にお願いする。彼女はもちろん快く承諾し、その席を楽しみにしている様子。


 櫂が改めて慎二朗の人となりを知り、場合によっては頼み事をしたいと考えているとは思ってもいないようだ。

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