英雄譚
邸宅の裏手に回ると祭壇がある。一般家庭であれば屋内の一画がその役割を担っているが、貴族の邸宅となれば規模の大小はあれ専用の祭壇を作るものだ。
そこには肖像画が飾ってあり、小箱が前に置いてあった。中には遺髪が収められている。その上に花束を置いた。
肖像画の男は豪快な笑顔を見せている。しかし、髪にも髭にも白い物が混じり桃色になってしまっていた。
「来てくださったんですねぇ?」
後ろから掛かった声には久しぶりに耳にする甘ったるい感じがある。
「こいつが逝ってからもう三輪だものね?」
「はい」
トゥリオはフリギアに帰国後、将軍に叙せられ男爵位を賜った。既に平和な世の中だ。単なる閑職に過ぎない。
それでも赤毛の美丈夫は後進の指導に熱心だった。強さがあれば出来る事が増える。彼はそう言って厳しく指導した。
妻のフィノも王宮の魔法研究所に顧問として召喚され、魔法士の育成に時間を費やした。夫婦での王国への貢献は大きく評価されている。
「旦那様はフィノを本当に愛してくださいましたぁ」
聖婚から六十輪が経過している。魔法士の特性として若々しさを保っているフィノも、その容姿に老いを感じさせる。全く変わりない青髪の美貌とは違う。
「意外だったわ。浮気の一つもしないなんて思わなかったもの」
「ひどいですよぅ。そんな移り気な方じゃありませんでしたぁ」
帰郷時は魔闘拳士の仲間として持て囃された。女性に囲まれる事などざらだったのに、トゥリオはフィノ以外見向きもしなかったのだ。
「まあ、帰った頃はあなたにのめり込んでいたものね」
「楽しかったですねぇ、ロカニスタン島」
聖婚の後、三往の余暇をもらった四人はロカニスタン島に渡っている。そこで思いっ切り遊び楽しみ、そして愛し合った。
彼らにとって忘れられない大切な思い出になっている。
「本当に楽しかったわ。飲んで食べて騒いで」
チャムも記憶に思いを馳せる。
「旦那様もすごく酔っぱらってしまってぇ。とてもお酒が好きな方でしたから、楽しかったんでしょうねぇ。だから三輪前も本望だったと思いますぅ」
「そうね」
トゥリオも老いてからは少し控えめにしていた。ただ、たまには羽目を外す事もあり、その酒宴でも孫や弟子が大勢集まってくれて興が乗ったのだろう。強めの酒精を立て続けに呷って、その何杯めかに後ろに倒れたっきり昏睡して、そのまま世を去ってしまった。
「リドやエルミが死んだ時もあの人落ち込んじゃったけど、トゥリオの時はとりわけだったわ」
特性で通常種より四倍近く長生きの魔獣でも、リドは三十、エルミでも六十になる頃には逝ってしまっている。
「困っちゃいますねぇ。先に逝く身では申し訳なくなってしまいますぅ」
「そんな事言わないで。あなたはまだ長生きなさい」
「でも、フィノ達がカイさんやチャムさんを置いていってしまうのは仕方ないのですぅ」
チャムは長生族だし、カイは自分の世界の時間に影響されて同じくらいは生きる。
未婚を貫いて家を守ってくれていたレスキリも五輪前に病気を患って逝ってしまった。
「フィノが居なくなったら、イエローとブラックをお願いしますぅ」
通常種で四十輪は寿命のあるセネル鳥。属性セネルは人より長生きだ。
「ちゃんと赤燐宮で引き取るから、つまんない心配は止しなさい」
「寂しくないから平気ですよぅ。お屋敷はキルケの子供達でいっぱいなのですぅ」
今も数匹の針猫が足にまとわり付いているし、彼女自身の子供達も多い。立派に育った息子が家督も継いでいる。
この十一輪後、彼女は二人に見守られつつ息を引き取った。
◇ ◇ ◇
結局、勇者パーティーを指導しながら、カイは二度に渡り魔王を討伐した。その周期は徐々に長くなっており、魔王の根絶は近いと皆に感じさせる。
赤燐宮にはセネル鳥や針猫、風鼬だけでなく、雲輝狼や土影狼など特殊な魔獣も平穏を求めて集まっている。ゼプルの出生率も上がり人口は増加傾向になっていた。
彼もチャムとの間に七十三人もの子供をもうけた。うち、二十六人が形態形成場の認識が可能で、十五人はそれを基にする復元などの魔法も使えた。技術が確立すれば形態形成場への刻印も可能になるだろう。
遺伝形質を赤燐宮は歓迎する。今後、勇者に万が一の事が有ろうと暗黒時代は回避出来そうだからだ。
ただ、女王は不満を漏らす。彼女が待望した黒髪黒瞳の子供が産まれなかったからだ。黒髪を有する子も黒瞳を有する子も何人かは産まれた。しかし、両方を兼ね備える子供はついには産まれなかったのである。
チャムが不満を漏らす度にカイは「君に似て産まれたほうが嬉しい」と言って宥める光景が定番化してしまった。とは言え、麗人は子供達を本当に大事に育て、教え聞かせるようにあの子守歌を歌った。
時が経つにつれてカイも若い頃ほどの力はなくなる。ただし、技の深みは増していき、子供達はこぞって教えを請うた。同じ高みは望めなくとも、武威にも優れたゼプルが数多く育って、少数人種でありながら大陸に名を轟かせる。
夫婦はいつまでも仲睦まじく、歳を経るほどに愛が深まったと噂する。若い頃のように連れ立って旅に出る事はなくなっても、見た目は変わらないチャムが老いたカイと腕を組んで歩く姿が当たり前のようになっていた。
その頃にはもう彼女は退位し、娘のディアムが女王を継いでいた。
◇ ◇ ◇
チャムはベッドに腰掛け、伏せって深く長い呼吸を繰り返すカイの手を取っている.
「愛してる」
皺の増えた口元が動いて囁くように伝える。
「私も愛してる。……もう大丈夫よ。先に行ってて」
(気休めね。私と彼とでは形態形成場が違うもの。彼がどこへ還るのか、私には分からない)
それが辛いが笑顔で送る。
カイは大きく息を吐くと瞳を閉じる。
チャムは二度とその深い黒を見られなくなった。
◇ ◇ ◇
「陛下……、じゃなかったチャム様。皆様お帰りになられましたが、エレイン獣民国のラメラ陛下はしばらく滞在なさるそうです」
長く務める彼女付きのエルフィンは、呼称が癖になっていて今でも時々間違える。
「あら、気を遣わせちゃったかしらね? 私、そんな風に見えて?」
「お疲れの様子は窺えますが、気落ちなさっているようにはお見受けできません」
「覚悟はしていたもの。むしろ、あの人を残して逝かずに済んでほっとしてる」
それは本音である。もう彼を寂しがらせたくなかったのだ。
「でも、意外でした」
エルフィンは話題を変えるように言う。
「いつも冷静なホルツレイン立法王国のカフシモン大使が人目もはばからずに号泣なさるなんて」
「彼はカイの信奉者だったから。世界が闇に閉ざされたように感じたんじゃない?」
チャムも軽口で返す。
「閣下の薫陶を受けた方は、皆様言葉もないご様子でしたもの」
「西方では至るところでルドウの子供達やその子孫が活躍しているわ」
彼自身と同じくらい功績を残している。
「まだまだ変わっていくわよ。私達、長生の者は付いていくのが大変だから覚悟なさい」
二人は目を合わせ、小さく笑いを交わした。
◇ ◇ ◇
二往が過ぎ、カイ・ルドウ逝去の後処理が全て終わった或る陽の朝、エルフィンが起こしに部屋を訪れるとチャム・ナトロエンは静かに息を引き取っていた。
その美貌は柔らかな笑みに彩られていた。子供達は口を揃えて言う。父が迎えに来たのだと。
ゼプル歴22015輪の事であった。
(完)
最終話でした。間違っても結論などとは申しません。数多ある理念の中の、これは一つの正義の物語。
1/13/2019正午に「あとがき」とエピローグ2を更新いたします。




