防壁の中
時は少々遡る。
帝都では夜陰に紛れて城壁をよじ登る姿があった。
犬耳の獣人魔法士を背負った黒髪の青年は、銀爪を壁面に突き立ててじわりじわりと身体を押し上げる。
「ごめんなさいですぅ」
か細い声でフィノは謝る。
「全然気にしないでいいよ。軽いものさ」
「でもぉ、こうなるって聞いていたのに今陽のおやつも我慢出来ませんでしたぁ」
「その分はこの向こうで頑張ってね?」
そう言われれば気持ちも軽くなる。
「はい」
「で、何で君は僕の頭に上に乗っているのかな?」
「可愛いファルマちゃんの心遣いが分からないのかにゃ?」
灰色猫の獣人女性はカイの頭頂部に両足を置いて、壁面に手を掛けて身体を支えていた。
人相を誤魔化す為に作った頭覆いは、額から始まり側頭部、後頭部を覆う円環状になっている。
外装は基本的に白い皮で作られている。額には下向きの円弧を描く、仄かに赤い白金の金属板。それが白い鉢金のように見える。
それ以外は外装に金属は見られないが、白い皮の裏側には腕甲と同様、六角形のオリハルコン片が格子状に貼り巡らされている。その皮も二重構造になっており、内側には緩衝材として獣毛が詰められて厚みを出していた。
急拵えの頭覆いだが、凝り性のカイらしく武器防具店に並べても恥ずかしくない作りになっていた。
「いつもの茶色いのが居なくて寂しいと思って乗ってやってるにゃ。優しいにゃー」
その頭覆いも頭頂部は覆っていない。黒髪にファルマのブーツが直接乗っている。
「物足りないって思っていたんだよ。って、言うと思う?」
「もー、合流したらチャムさんに言い付けちゃいますよぅ!」
カイは女性二人分の重量をその四肢で支え、持ち上げているのだった。
「おかしいのにゃ? 可愛い女の子に足蹴にされて喜ばない男は居ないにゃよ」
「僕にはそんな性癖はありません」
ファルマの影纏い有っての事とは言え、この状況でも緊張感に乏しい面々であった。
巡回兵をやり過ごして侵入を果たした三人。城壁内は屋根上を移動出来るほどではない。通りも敷地もゆとりを持って取られている所為で路面を走るしかなかった。
街区では目立つ動きを避ける傾向の強い影が彼らに迫る。城壁内ではその制約も多少は緩むらしい。
足音もしなければ気配も感じさせない影は、三人を取り巻くように走り始める。
「ひゃん!」
例の高周波呼子が吹き鳴らされるとフィノは垂れ耳を押さえて悲鳴を上げ、灰色猫も「みゃう!」と不平の声を零す。聴覚の鋭い獣人達には相当堪えるようだ。
「まだ移動するよ。頑張って」
「はい! 大丈夫ですぅ!」
先行するのはファルマ。フィノに合わせるように彼女が走り、後尾にカイが続く。
目標は第二皇子マークナード邸。事前に調査に入った灰色猫がその位置は確認している。彼女の先導で近くまで移動する算段である。
「風刃マルチ!」
投擲武器をファルマのダガーが弾き、そこへフィノの魔法が滑り込んで攪乱し、進路の確保をする。
「急ぐにゃ。きりが無いにゃ」
「はうぅ」
魔法の起動で遅れがちになる犬耳娘を急かす。
「やっぱり背負って走ったほうが良かった?」
「そこまで出来ませんですぅ! 頑張りますぅ!」
そうでなくとも背後の金属音が止まない。青年がずっと投擲武器を防ぎ続けてくれているのだ。
踏み込んできた一人が小剣を振りかざす。フィノは意識的にロッドで防ごうとするが、刃は銀爪に掴み取られる。重い打撃音とともにその身体はくるくると舞い、彼方の路面に激突した。
振り上げられた足刀を下ろして再び走り始めるカイは、心配ないというように彼女に微笑みながら、見もせずに接近しようとする別の間諜に向けて奪った小剣を投げ付ける。弾かれてダメージを与える事は出来ないが、出足を挫くには十分だった。
「あれにゃ」
ファルマの先導は正確無比で、巨大な皇城を身近に感じる辺りまで進むと、とある邸宅を指差した。
「よし、行くよ!」
「え?」
青年は獣人魔法士を横抱きにすると突き進んだ。
躊躇いもなく突っ込んでくる様子に、立哨の門衛に戸惑いの色が浮かぶ。彼らに向けて空いている左のマルチガントレットが向けられると衝撃波が放たれた。
門衛が吹き飛ばされてがら空きになった門扉に、カイの回し蹴りが炸裂し、内側に向けて折れ飛んでいった。
門内に駆け込んでフィノを下ろすと、同じく駆け込んでくる赤い鉢金の集団に向けて彼は構えを取った。
「ふゅ ── ……」
ゆっくりと長く息を吐き出した青年は、左前腕を立てて前に出し、眼前の左拳に右拳が重なるように右前腕も立てる。上半身がひと回り大きくなったと思うくらいに、いっぱいに息を吸い込んだカイは完全に臨戦態勢だ。
トゥリオの居ない今は、彼が壁にならないと魔法士は魔法が使えない。
投擲武器が一斉に放たれると、マルチガントレットから光剣が伸びる。襲い掛かる菱形の刃は、光刃で音もなく全て斬り落とされていく。
それを牽制に間合いに踏み込んできた夜の会の間諜も一人は小剣ごと斬り倒され、一人は足刀を浴びて宙高く飛ばされ、一人は光条に撃ち抜かれてあっという間に数を減らしていく。
フィノの前には斥候士の猫獣人が備えているが、まさに鉄壁と言っていいだろう。
それでも包囲する夜の会は七~八十名は居るように見え、兵力的には開きがある。だが、彼らには自分という大火力があるとフィノは自負していた。
邸宅敷地内の足元は今、芝生に覆われていて、その下には魔法の材料が眠っているのだ。
「堅錐マルチ!」
起動音声で発現を始めた魔法構成は、大地から土の塊を呼び寄せ、形を変えると堅牢に凝固。出来上がった土の錐が雨あられとばかりに降り注ぐ。
夜の会は戦闘に於いても専門家なのだが、身を躱し小剣で打ち払っても豪雨のように降る土錐は防ぎ切れなかった。量があまりにも非凡であったのだ。
運の良い者は頭部に直撃して痛みを感じるまでもなく糸が切れたように崩れ、運の悪い者は手足に突き立つ土錐に徐々に自由を奪われ激痛の果てに倒れる。土錐を躱すのに集中してしまった者は光条の狙撃を受けて事切れた。
土錐の雨が止んだ後に立っていられた者は僅かであった。
「何だ、此奴らは! でかい口を叩いた挙句にこのざまか!? 全く役に立たんではないか!」
玄関に姿を見せた男は、背中まで伸ばした黒髪を振り乱しつつ、指差して吠え立てる。
「あれが隠剣にゃ」
「なるほど」
重装騎士に幾重にも守られたマークナードは目を血走らせて狂乱したように手を振り回す。
「誰かあの男を捕らえろ! そうすれば褒美はもちろん栄達も思いのままだぞ!」
「やっちゃいましょうかぁ?」
フィノが珍しく苛立たしげに鼻を鳴らす。
「残念だけどそんな暇は無さそうだよ?」
騒ぎを聞きつけた騎士や兵士が一斉に雪崩れ込んでくる。その数は今までの比ではない。五百近い隊に半包囲を受け、背後には重装騎士と夜の会の生き残りを従えた第二皇子。状況的には絶体絶命だと思える。
「フィノ、いいよ」
自然体で立つ青年の黒瞳が何の不安もなく向けられている。
頷いた彼女は、ロッドを持つ右の前腕を突き出すと、左の二本指で腕甲の肘から手首へと撫でる。するとそこには小さめの魔法陣と前後にに更に小振りな従魔法陣が輝線で浮かび上がった。
「重強化!」
こちらも包囲の話です。中の三人は、城壁内に突入して圧倒的多数に包囲される展開でした。二局面進行で、王道とも言える演出でお送りしております。さあ、重強化を発動させたチャム達はどんな戦いを繰り広げるのか次話をお楽しみに。




