食の扉
宿屋に戻るカイたち一同。
何せずっしりと重たい魚を抱えての道行きだ。多少なりとも注目を集めてしまった。
『倉庫』に収めたいところなのだが、船の生簀から直接いただいてきたため、微妙に生きているのでそれも叶わず。
宿屋の女将さんに井戸のある内庭を借りるお願いをした。
「どうしたんだい、それ?」
「売ってもらいました。新鮮ですよ」
「ああ、立派なメンパルだねぇ。丸ごと見るのは珍しいけど」
大型回遊魚とまでなれば、宿屋でも仕入れは切り身になっている。
「これってメンパルっていう魚なんですか?」
「知らずに買ったのかい?」
「ははは、生簀見て、あれくださいって」
「抜けてるねえ。ぼられたんじゃないかい?」
値段を伝えると苦笑いされた。
「ギリギリ善意的って言えるところだね」
「無理言っちゃったし、お勉強代だと思っています」
「ま、あんたたち、稼いでるんだろうから良いんじゃない。いっぱいこの町でお金落としていっておくれ」
「おばちゃん、表現がダイレクト過ぎるわ。まあ、この人、結構儲けてるから事実だけど」
庭までひと笑いのトラップが仕掛けてあった。
◇ ◇ ◇
最後にさっきは居なかったでかい男がついてきて「邪魔するぜ」と女将に挨拶していき、一行は内庭に辿り着いた。
まず井戸の傍で血抜きをしてから、調理台を取り出して乗せる。カイは長めのナイフを取り出し骨沿いに入れる。
魚の三枚おろしもこの世界に来てから覚えた。色々と経験を積み、我流ながらそれなりに手慣れた処理ができるようにもなった。
「あんた、仲間は?」
「あー…、今朝別れた」
単独も無いとは言えないが、盾士の単独というのは考えにくい。
本人の技量があればあるほど特化してしまう役割でもある。そう考えてチャムは訊いたのだ。
別れた仲間との経緯を語るトゥリオの声を聞きながらカイは魚をおろしていく。
「恵まれてるわね。死に別れが当たり前のこの業の深い業界で」
「ああ、上出来だと思ってる。幸せもんだよ、俺もあいつらも」
「じゃあ、今、ホルツレインに向かっているのね」
幸せな結果だけに口も軽くなる。
「確かマーウェイのやつは、実家はモノリコ農家だって言ってたはずだが…」
「きっとその彼の行いがとびっきり良かったんだわ」
「なんでだ?」
彼はモノリコート特需のことなど知らない。
「まあ、解らないだろうけど、これから一番儲かるかもしれないから」
「なんだそりゃ?」
そうこうしているうちにカイが魚をブロックに切り出している。
「あ、鍋の用意する? それとも金網かしら?」
「ん、鍋だけでいいや。とりあえず味見してもらおうかな」
「え、料理は今からでしょ?」
「ううん、もうほぼ出来上がり」
そう言うと、小皿を取り出した彼はそこに魚醤を注ぎ入れる。次に赤身のブロックをナイフで半メックくらいずつに削ぎ落としている。
「これにその魚醤に付けて食べるんだよ」
「え?」
カイはフォークで一枚取るとチョンと魚醤を付けてパクリと口にする。
「あー、これこれ! 最高だね!」
「……」
皆は呆然としている。この世界、少なくとも西方には魚を生食する文化が無い。カイのそれは暴挙に見える。
「…ちょっと、大丈夫なの? お腹こわすわよ!」
「全然問題無いよ。こんな新鮮な魚を…、生で食べないでどうするの?」
カイは「刺身」に該当する言葉が無いのに気付いて一瞬口篭もる。
そんなのが気にならないくらいに刺身の味を堪能していたが。手の出ない皆の様子を横目に、ひょいぱくひょいぱくと食を進める。
「はー、美味しい。これが食べられるなら少々の散財なんて関係ないね!」
「ちう!」
「リドも食べる? はい」
軽く魚醤を付けてもらった刺身を手にしたリドはもしゅもしゅと食べ進める。
「ちゅ、ちゅい!」
「美味しい? 美味しいよね」
「ちゅっ!」
そうこうしているとカイは服の背中をクイクイと引っ張られる。
「ああ、ごめん。君たちはこっちに忌避感は全くないよね」
「キュキュッ!」
別のブロックを大きめに切り分けて皿に載せて置いてあげる。
パープルたちはガツガツと食べ始めた。
「キューキュイッ!」
「概ね好評みたいだね。僕らで食べちゃおうね。こんなに美味しいものをもったいない…」
そう言ってチラリとチャムを見るカイ。
「た、食べるわよ? もちろん」
「いや、別に無理しなくてもいいよ。捌いて『倉庫』に入れとけばいつでも食べられるし」
「待ちなさい。いや、待って…。お願い」
皿を遠ざけようとする彼にチャムは縋る。モノリコートと言い、カイの繰り出す料理には自分たちの常識など通用しないことを思い出す。
動揺を押し隠して平静を装い、チャムは刺身を口にする。モグモグと咀嚼する内に目が見開かれていった。すぐにもう一切れ食べて両手を差し上げた。
「美味 ──── い!」
「ま、マジか!?」
トゥリオは完全に動揺が隠せない。
「食べてみなさい! いえ、食べるべきよ!」
「お、おう…」
「どう?」
「…イケるな。なんでだ?」
「何でもクソもないわ! 美味しいものは美味しいのよ!」
美味は論理的飛躍を導くらしい。
「そりゃ、良かった。じゃあ、次はこれね」
今度は腹身を刺身にして、軽く塩を振り差し出す。
「あ ── ! 何よ! まだ上があるって言うの。勘弁して」
「うおう、こいつはどうしたことだ!」
躊躇いなく手を伸ばした二人は更なる高みに感動しているようだ。感想を言い合っている二人を置いておいて、カイはアラを煮立ち始めた鍋に放り込んでおく。
「何だい何だい、大騒ぎして?」
「あ、おばちゃん! おばちゃんも食べて食べて」
賑やかな内庭の様子に釣られて宿の女将もやって来る。
「ああ、あんたら魚を生で食べる人かい」
「ええっ! おばちゃん、これの美味しさを知ってたっていうの!?」
「いや、あたしは味見した程度だけどね、一部の漁師たちはたまに船の上じゃ食ってるらしいね。でも、宿のメニューに並べるにゃ無理だろう?」
「でしょうね。食文化の壁って意外と厚いんですよね」
女将にフォークを渡して勧める。
「おや、こいつは格別じゃないか?」
「お腹側は脂がのってますから一際美味しいんですよ。チャム、魚醤でも食べてみて」
「はー、旨味が増すわねえ」
「もうひと細工してみようか」
カイは腹身をもう1ブロック刺身にして塩を振った上からパシャの実を半分に切って果汁を降りかける。パシャはこの世界で見つけたカボスみたいな酸味の強い柑橘系の果実だ。
「ん ────── !」
チャムはすぐに手を伸ばして味わうとバンバンとカイの背中を叩く。もう声も無いみたいだ。
「はー、私、これが一番好きかも」
「おー、美味ぇな。脂と酸味は合うもんなんだな」
「こりゃ、すごいね。料理のメインでも、酒の肴にでもできそうだ」
「シンプルなのよりひと手間掛けたほうが普通の人の口には合うみたいですね」
そうしているうちにもメンパルはどんどん人間とセネル鳥の胃袋に納まっていく。
「こっちもそろそろ良い感じになってるはずだけど」
そう言うと彼はアラ汁を椀によそって皆に渡す。
「くはー、何だかホッとするわー。和むわー」
「なんつーか、染みるよなー、この味」
「いいねぇ、最高のスープだね」
皆が満足した様子なのでカイの笑顔も深くなる。好きな物を理解してもらえるのは嬉しいものだ。
「結構食べたね。大型のメンパルが半分以上消えちゃったよ」
「カイ」
「な、何?」
真摯な顔で見つめられ、動揺する。
「お金出すから、明日何匹が仕入れておくのよ!」
「解った解った。お金はいいからまた明日買いに行こうね」
「ちゅーい!」
「キュキューイ!」
上がるのは賛同の声ばかりだった。
お刺身の話です。文化の壁を破壊しようとするカイは薬なのか毒なのか何とも言えないところですが、美味しいものは万国共通だと思いたいですね。メンパルはブリみたいなものだと思ってください。




