王の間の失望
卓の上に積み上げられた小箱の一つが取り上げられ、暗幕で光を遮られると勇者王ザイードにその真偽が示された。
「本物だな」
彼が重々しく頷くと、続いて王妃アヴィオニスの前にも異なる小箱が運ばれて確認が行われる。
「確かに燐珠。間違いないわ。モルセア、お前から先ほど言上のあった養殖法でこれらは生産されたと言うのね?」
「左様にございます、殿下。奏上させていただきました内容と同様のものを書き記した書類もご確認ください」
「こちらを」
国土大臣の傘下、海事を統括する部署の政務官が書類を王妃の手に届ける。
「内容の精査は?」
「確認致しましたところ、疑うべき部分はございませんでした。現地の状況に合致しているかと思われます。改めて現地調査の必要性は感じられますが」
「現物がここに有る以上、詮索は無駄。確認作業に留めておきなさい」
書類を戻した彼女に、政務官は「御意に」と応じる。
「今後の生産計画は?」
「すでに量産体制に入っております。生産量に関してはこちらに纏めましたので、どうかご確認をお願い致します」
跪くモルセアが差し出した書類を、受け取った秘書官がアヴィオニスに手渡す。
「この輪間約六万個と言う数字は多く見積もっているのではないの?」
「いえ、そのくらいは保証出来るという数量にございます」
重臣の列からざわめきが漏れる。それは彼らの予想の遥か彼方の上を行く予想だったからだ。
「大きさや真球度など、商品として十分な品質と言える燐珠の歩留まりからの最低予想量です。具体的に、ロカニスタン島全体で運営されている簾囲いの数が…」
ロカニスタン島全域での養殖規模から算出される母貝の数と、それらから得られる燐珠の量。それに歩留まりや、更に流れ嵐被害なども加味した値であるとモルセアは説明する。
滔々と紡ぎ出される彼女の報告に王の間の人々は熱心に聞き入っていた。
「ご苦労。良く分かりました。良くやり遂げてくれましたね?」
王妃からの労いの言葉に安堵の表情を見せるモルセア。
「お褒めに与かり光栄にございます」
「では、これよりロカニスタン島の所領及び燐珠養殖事業は王国直轄とします。現地の長老会や従事者との意見調整を行う担当官を専任・派遣。モルセア・ヤミルガン、その仲介をお願い」
「はい、御意に従います!」
重責を終えた彼女は晴れやかに返事をした。
「その代り、要望書にあった医療体制強化に伴う治癒魔法士の派遣及び、各所の桟橋の整備拡充、定期便の増便等は王国が責任をもって行います。以上」
「お待ちください、殿下!」
堪らず飛び出したナミルニーデの声が、大きく王の間に響き渡った。
「このような重要案件をこの場で王妃殿下が裁定なさるのですか!? それは横暴です!」
この案件は、重臣達にとっても寝耳に水の事だった。
それもその筈、アヴィオニスの下に燐珠が持ち込まれたのは昨陽。予定されていた通常謁見に、この案件の為に割り込みが通知されたのが昨夜。それに合わせて大臣だけでなく、関係部署の統括政務官まで招集が掛かっていたのである。
「これは明らかに御前会議にて協議されるべき案件です。その議決の後に王の間で陛下の裁定をいただくのが筋ではありませんか?」
「不要よ。この件はザイとあたしが事前に話し合って決めた事の報告でしかない。王の間を使ったのは、知らしめる為だけで協議する為ではないの」
それは流れるような進行と、充実した資料書類から重臣の誰もが感じていたこと。改めて暴露されて驚くような者はここにはいない。
「…出鱈目です。これがまともな王国運営だとお考えですか?」
「必要なら協議するわ。関係部署の調査報告がないと判断出来ない時とかならね。でも、本件は事情に精通した人間からの助言もあったから必要無かったのよ」
「殿下はきっと陛下も宮廷貴族も不要だとおっしゃるのでしょうね?」
声に冷たい非難の響きが混じる。
「馬鹿おっしゃい。時と場合に拠ると言っているの」
「その時と場合はついぞ訪れないのではありませんか?」
食い下がってくるナミルニーデに、王妃は溜息とともに口を開いた。
「それなら訊くけど? 貴女ならこの燐珠をどう使うの?」
アヴィオニスは小箱の山を人差し指でトントンと叩く。
「その利益を国庫に納める以外に何か? 膨れる軍費などに充当されるのでは?」
「その程度? 宰相?」
「軍費はもちろん、差益の高さを考えれば国庫を圧迫しつつある遺族年金の充実による軍の士気の向上、国内福祉の拡充などによる王国への求心力の向上などが考えられます」
王妃の表情は揺らがない。
宰相やその書記官は、現地との関係を密にして仲介業者を排し、差益を確保する為の方策だと受け取ったようだ。
「確かに売るわよ。垂涎の的として待ち構えている諸侯を納得させる程度にはね? でも全部じゃない」
重臣達を睥睨して、彼女は宣言する。
「帝国にも売るのよ」
「は? 何をおっしゃっているのですか、殿下?」
宰相クルファットは心底分からないという声音を出す。
「分からない? 我が国にだって帝国民は入ってきているのよ」
アヴィオニスは説明する。
敵国と目するラムレキアに入って来たがる帝国民はいない。物流は遮断されていなくとも、巻き込まれたくない商人は国境で商品の受け渡しを行う。人の出入りは行われていない。
しかし例外は存在する。唯一、燐珠を扱う商人だけは入国してきていた。
彼らは国境での武装解除に応じ、警備要員もそこに残し、取引に使う財貨だけを持って身一つでのラムレキアへの入国を許される。それだけの覚悟で商人は燐珠を扱い、そして彼らを動かすだけの需要が帝国内に有ると示していた。
その事実は国境警備も事実上統括する彼女の管理下にあった。その噂だけを薄々重臣が掴んでいた程度だったのが白日の下に晒される。
「半分は帝国内に流すわ。売り先は厳選させるけどね?」
「それはどういう…?」
「目的は利益ではないからよ」
呆然と質問してくる宰相に王妃は説き聞かせる。
帝国諸侯の全てが拡大政策に理解を示しているのではなく、異存を持つ者も少なくはない。そちら側に優先的に燐珠を渡し、それを利用した求心に努めるとともに、ラムレキアや周辺国家に対する軍事侵攻の抑止の気運を高める活動を要請する。
そして、それは日和っている諸侯にも効果を表す。これまでのようにラムレキアを攻め続ければ燐珠の供給は絶たれるが、彼の国に寄れば融通してもらえるのだと思わせる。
「これで帝国からの圧力は或る程度は抑えられるはず。民の安全確保と並行して軍費の抑制にも繋がるのよ。これほど有用な燐珠の使い道は無いんじゃないの? 有ったらこの場で教えてちょうだい」
アヴィオニスが頭の中で組み立てた施策に、誰も反する声を上げられなかった。
「無いんでしょ? これが会議に掛けない理由よ。ぐだぐだと政策論議に時間ばかり費やしているくらいなら、一刻も早くこの方策の手順を進めたいの。分かった?」
至急の案件なのだと示唆した。
「陛下は…、陛下は納得なさっておいでなのですか?」
何とか口火を切ったのはナミルニーデにだった。
「俺にはこれほどの策は立てられん。王妃に任せている」
「わたくし達では頼りにならないと…」
「悪いが、この様を見ればアヴィに任せるのが一番だろう」
ザイードは慮って口を開く。
「俺とて国政をなおざりにしているつもりはない。王妃とて判断を誤る時もあろう。それは俺が見極める心積もりがあるし、民の為とならんと思えば止める。それでは駄目か?」
彼の言葉はナミルニーデには届いていない。
その瞳には空虚だけが映っていた。
失望の話です。王の間で燐珠に纏わる一件の裁定が行われるが、と言う展開でした。今話は上手に「失望」が当てはまったように感じます。色んな意味での失望が本文に配置出来たのではないでしょうか? サブタイトルがポンと浮かんだ時はこういう傾向があります。難産な時は難産なんですが。




