若夫婦の事情
「六陽前って言ったわよね?」
驚いて黙ったチャムの口調がいきなり荒くなったのでミーザは少なからず戸惑った。
「はい、そう…、だけど?」
「旦那さんを見せてもらえますか?」
彼女が顧みた青年が目の前に膝を突き問い掛けてくる。
「えっと、どうして?」
「たぶん何とかなるから。今は信じて」
「え?」
背を押して立ち上がらせたチャムは真剣な顔を見せているし、獣人少女も希望を口にする。
「大丈夫ですぅ、カイさんなら」
案内される側の二人の女性が引っ張るようにするものだから、ミーザは困ってしまう。先ほどまで悲しみに暮れていたのに、どうも妙な雰囲気になってしまった。
「あっ! ミーザ! 良かった!」
夕暮れの中を駆け寄ってきた影が声を掛けてくる。
「モルセア? どうしたの?」
「何言ってるの? なかなか帰って来ないからロルヴァが心配しているのよ? あなたが時々ふさぎ込んでいるから思い詰めているんじゃないかって」
「…ごめんなさい」
彼女の様子は夫も心配していたらしい。
「こちらは誰かしら?」
「はい、この方は真珠卸し屋のモルセアさんです」
その妙齢の女性はモルセア・ヤミルガンと名乗った。真珠の卸問屋業の中でも中堅どころの家の娘で、若夫婦と専属卸し契約をしているらしい。
事故の後は商売どころではないのだが、彼女は離れる様子もなく寄り添うように面倒を見てくれているという。先代である若夫婦の両親からの付き合いとは言え、なかなかに奇特な事だと思う。
「えっと、この人達は?」
突如現れた四人には、彼女も面喰ったようだ。ミーザが心配ないと分かると警戒の目が向く。
「私達は夕方の船便で渡って来たばかりなの。この通り、冒険者よ」
「冒険者? そんな方がなぜこの島に?」
「酔狂みたいなものよ。とりあえず細かい話は後回しにしない? まずは心配事から解決しましょ」
モルセアもまた引っ張られるように、若夫婦の家に向かわされるのだった。
◇ ◇ ◇
「今からあなたの足を治します」
どやどやと大勢が入り込んできて、ベッドで休んでいたロルヴァは何が何だか分からないようだった。
掛け布を剥がれて足を見ていた青年がそんな事を言い出したので、かれは驚きを隠せない。
「本当か!? 本当なのか!?」
「はい。ですが、瞬時に元通りとはいきません。前と同じように動けるようになるには、努力が必要だというのは理解してください」
「頼む! 何でもする! いや、お願いします!」
青年は微笑みを浮かべると、気にするなというように首を振った。
「問題無さそう、カイ?」
「うん、形態形成場は欠損なく残っているから大丈夫」
何が始まるのかは分からないが、回復させてくれるのは間違いなさそうだ。
「良かった」
「でも、このまま復元しても、快復には時間が掛かり過ぎちゃうな」
彼は手元にどこからか骨を取り出す。獣か何かの骨のようだ。
「それ、使える?」
「一度分解して材料にするからね。情報は書き換えられて再現されるから問題ないはず」
皮膚を引っ張って縫い合わせただけの痛々しい傷口の側に骨を置くと、青年は何の気構えも無いように言葉を紡ぐ。
「復元」
すると、傷口の部分が盛り上がり始め、同時に置かれた骨が粉となって消えるように足に向かって吸い込まれていく。足首の関節が出来上がり、踵が生まれ、そこから足先に伸びていき、五本の指までもが綺麗に生えてきて、爪がにょきりと伸びたところで完全に修復が終わった。
「…すごい」
皆が見守る中で足は徐々に血色を取り戻し、足首はもちろん指も自在に動き始める。
「やった! 治った! 動くぞ!」
「いえ、右足の筋肉は落ちているので、走ったり出来るようになるには訓練が必要ですからね?」
「そんなんどうでもいい! 立って歩けるだけでもどれだけ良いか!」
足首に触れて体温が戻ってきているのを確かめていた青年の手を取ったロルヴァは感涙にむせぶ。
「ありがとう! ありがとう! どんなに感謝したって足りない!」
ミーザはチャムに抱き付いて声を上げて泣いているし、モルセアも目頭を押さえている。
何とか若夫婦にも未来が見えてきたようだった。
◇ ◇ ◇
涙を流し抱き合って喜ぶ夫婦が落ち着いた頃を見計らって、彼らは二人の事情を聞く。
「丁度、やっていけるって思えてきたばかりの時だったので…」
そうミーザが切り出して話は始まった。
十七歳の時に二人が結婚して一輪、ロルヴァの両親と幾つかのカンム貝の簾囲いの面倒を見つつ、採れる真珠をモルセアに卸して暮らしていたそうだ。豊かとは言えないまでも、充実した暮らしに笑いの絶えない陽々を送っていて、本当に幸せだったと彼女は述懐する。
ところがその頃、突然の不幸が起きた。
漁の手伝いに出て行った両親の船が沈み、帰らぬ人となってしまったのである。
彼らが住んでいるような小さな集落では、病気などで人手が足りなくなれば融通し合うのが普通。本当はロルヴァが向かう筈だった手伝いなのだが、若い夫婦に自分達だけで作業をするのに慣らせる為にと両親が買って出たのである。
彼を苛む後悔は尋常ではなかった。体力の落ち始めた両親でなく、自分が行っていれば泳いで戻れたかもしれないのだ。実際に、一緒に乗り組んでいた者の中でも若手の者が泳いで戻ってきたからこそ、漁船が沈没した事実が伝わってきたのである。
突然投げ出された若夫婦は、奇しくも二人だけでカンム貝の世話をしなければならなくなった。それなりに知識は有っても、ちょっとしたコツとかまでは教わっていなかった二人は忙しくする中で、何とか真珠の出荷を元通りの水準で守るべく必死に働き続けたのだという。
その傍ら、燐珠獲りに関しては村でも名うての潜り手と言われるロルヴァは、一輪数個獲れれば良い燐珠を求めて海にも向かっていた。燐珠なら一個獲れるだけで数往の間はゆとりある暮らしが出来るからだ。
未だ子供には恵まれなかったものの、真珠の出荷も軌道に乗ってきて、毎陽の暮らしが笑顔に彩られるようになってきた時に彼の事故が起こった。
ミーザの心は絶望に塗り込められたという。命あっての物種とは言うが、実際に身体が不自由になったロルヴァの面倒を見つつ、カンム貝の世話をし続けるのは絶対に無理だと思う。恒久的にとなると村人達の手伝いを頼めるものではない。それこそ、時折り海を渡って身を売ってでも彼との生活を守らねばならないかとも思い詰めていたらしい。
そんな状況にありながらもロルヴァは笑い、大丈夫だと言い続けてきたようだ。彼にしてみれば何としてでもミーザを守るつもりだったらしい。
想い合う二人の気持ちが軋みを上げている様を、モルセアは側で唇を噛んで眺めているしかなかったと語った。
「辛かったわね。でも、しばらく我慢すれば元の暮らしに戻れる筈よ」
まだ嗚咽が込み上げてきているミーザの背を撫でつつ、チャムは力付けた。
「良かっだでずぅ。間に合っでぇ~」
「おいおい、しゃべれてないぞ?」
涙でぐちゃぐちゃになったフィノの肩を抱きつつトゥリオも少しもらい泣きをしている。
「すみません。幾つかお尋ねしたい事があるのですが宜しいでしょうか?」
いきなり本題に入ってきたのかと思って、仲間達は思わず止めようとした。今しばらくはそっとしておいてあげたい。しかし、カイにはどうしても口にしなければならない疑問があった。
「まともな治療が行われたように見えなかったのですが、ここには治癒魔法士なり治療薬なりは?」
二人の事情の話です。降り掛かる不幸の嵐の中に救世主登場という展開でした。テンプレではありますが、こういうの大事だと思うんですよね。これで一応縁は繋がったので、次話からは島の現状に触れていきます。




