連山調査行
依頼を受けていたハモロ達を置いていく訳にもいかず、その陽は彼らの狩りに付き合い、一度宿場町レスキレートに戻った。
翌陽、変に勘繰られる事の無いよう、時間をずらして街を出た一同は雲輝狼がねぐらにしている森で合流すると、北西の連山に向けて旅立った。
幸い、注意情報が出ていたのでそうそう見咎められる事も無いと踏んでいたが、一応広域サーチで確認しつつ進む。雲輝狼が森に至った経路を逆行しても良いのだが、彼らは棲み処を求めて蛇行していたので効率が悪すぎる。結果、農耕地だけ避けて迂回経路で連山への道を辿った。
群れには仔狼が居るので、60ルッツの道程を三陽掛けて狼達の故郷の連山に到着した。
しかし、その様子に皆が呆然とする。荒れているなんてものではない。下草は踏み荒らされ地肌を露わにし、細い樹木や若い樹々はへし折られている。太さが一抱え以上は有ろうかという樹は折られてはいないが、半分近く皮を剥がれて無残な姿を晒していた。
剥き出しの地肌にはところどころに傷痕が刻まれており、近寄ったカイはその様子を調べていた。
「どんな感じ? って、大きいわね!」
その樹には四本の傷痕が刻まれているが、その幅は100メック以上ある。
「これ、爪痕でしょう?」
「信じたくないけど、そうだね」
幅もさることながら、深さも尋常ではなかった。堅い樹木の地肌が削られ、繊維がむしり取られ、表面は毛羽立った様相を見せている。
「おいおい、どんな力で引っ掻けばこんな有様になるんだよ!」
「想像もつかないですぅ」
集まって爪痕の評論を始める四人を、獣人組は異質なものを見る目で見ている。
(あれ見てどうしてビビらないの~)
(さすがブラックメダルはひと味違うな)
(それだけ色々な経験を経ていらっしゃるのでしょう)
一目見ただけで腰が引けた自分達とは格が違うと思う三人だった。
破壊されているのは山だけではない。軽く見渡しただけでも多数の血痕が見られる。しかし、漂ってくるのは血臭ではなく腐臭である。
「酷い匂い~」
嗅覚に優れた獣人であればこれは余計に堪えるだろうし、雲輝狼達に至っては耐え難いものに感じるだろう。
「ここでこんな状態です。この先は戦える者だけで向かいましょう」
「そうね。ブルー達は残る者達の警護宜しく」
「キュイ!」
カイがボスに提案するのに合わせて、チャムが配置を決めた。
山中は生き物の気配が全くしない。広域サーチを使っても反応が返ってこないところを見ると、皆怪物を怖れて逃げ散ってしまったか、最悪の事態に陥ったか、どちらかだと思われる。
「何考えてこんなに荒らしちまったんだ?」
「はいー、意味が分かりませんですぅ。こんなにしてしまえば早晩食べる物も無くなって生きていけなくなりますぅ」
「まさしく狂気の沙汰よね。後先考えている風が無いわ」
綺麗な顔で、鼻面に皺を寄せて吐き捨てるように言うのは止めて欲しいとカイは思ったが、現状は彼女をそうさせても仕方がないので諦める。
「くそっ! 自滅するなら自分だけで滅べ! これはあまりにも……」
「ゼルガ、まだ我慢して~」
壊滅した故郷の姿に、狼達の瞳には悲しみの色が広がっていた。その様を見たゼルガは激発寸前の様子を見せ、ロインが慌ててその背に手を当てた。
「この惨状を作り出すから怪物なのか? どんな凶暴な魔獣だってここまではしないぞ」
「いえ、そこまで異質な存在だとは思わないよ?」
ハモロの意見に否定の言葉を口にしたのはカイだ。皆が彼に注目する。
「どういう意味?」
「食い散らかされているからだよ。これは食欲の結果。動物の基礎になる本能じゃない?」
「そう言えばたしかに……」
ハモロの目に映る光景は、死骸の山ではない。肉片など動物の身体の一部が残されているだけなのだ。
「どうやら枷は外れているようだけど、食欲に支配されてやっている事だと思うよ。大した意味も無く他者の命を奪うのは、魔に属する者か……」
黒髪の青年の瞳には冷たい光がよぎる。
「人間だけだね」
荒れに荒れた山中は非常に足元は悪いが、身体能力に優れた彼らは一刻も有れば山一つを踏破してしまう。だが、次の尾根に差し掛かっても状況は変わらなかった。
細い樹々が薙ぎ倒されて見通しが良くなっている所為もあって、それが容易に確認出来るのは皮肉としか言えない。
「好き放題やってるわね?」
「こいつは、この山全体がこんな状態だと思ったほうが良さそうだな」
トゥリオは狼達のほうをチラチラと見ながら声をひそめて続ける。
「どうも手遅れだぞ?」
「そうね。ほぼ壊滅状態だわ。せめてその怪物だけでもとっちめないと救われない」
囁き交わしていると、カイが悪い空気を吹き飛ばすような事を言ってくる。
「山向こうに居ますよ」
その台詞は、皆の奥底で沸々と煮えたぎる思いに火を点けるには十分だった。
◇ ◇ ◇
山頂部を越えると細い煙が上がっているのが見える。この周辺で暴れてそう時間が経っていないのは間違いなさそうだ。各所に見られる炭化した跡の傍を通ると、時折り熱気も感じられる。
きな臭さに顔を顰めつつ山を下りていくと、徐々にそれが見えてきた。
「虎……」
最初に呟いたのは誰なのか分からない。なぜなら誰もが脳裏にその単語を思い浮かべていたからだ。
焦げた木立の向こうに、微かに赤みを帯びた黄色い毛皮。それに黒い縞が入った巨体が小山を築いている。
「変異体だわ……」
大きさを除けばその体躯は普通の魔獣のものである。しかし、その身体は成長限界点を越え、遥かに巨大に育ってしまっている。
「炎虎かぁ」
カイはつい零してしまう。
それは彼がこの異世界に再転移してきた時に鉢合わせしてしまった魔獣である。一般的な成体でさえ、体高にして150メックはあるのだが、目の前の小山は破格の大きさを誇っている。どうにも因縁を感じる魔獣を前に、カイはため息を一つ落としてしまうのだった。
「るるる……」
雲輝狼達の喉から抑え切れない怒りを代弁するような威嚇音が漏れ出て来ている。美しくも豊かだった彼らの故郷をここまで蹂躙し、破壊し尽くした相手に対する怨嗟の唸りは自分でもどうにもならないのだろう。
「お願いだから抑えて」
チャムは彼らに背を向けつつも左手の平で制止を呼び掛ける。
今は眠っている敵を無理に起こしてから戦う必要など無い。初手から大ダメージを与えて有利に運ぶべきである。
鞘鳴りを極力抑えて皆が武器を手にした。
フィノは構成を編みつつ、徐々に放出魔力を高めていく。魔法の最大威力を引き出す為に強めた魔力のうねりは、同じく魔法を扱える者の肌にピリピリとした感覚を与える。
(ちょっと行き過ぎかも?)
チャムがそう思った瞬間、炎虎の目蓋が開き、双眸がこちらを見据えているのに気付いた。
「ちいぃっ!」
大きく舌打ちしたトゥリオが大盾を掲げ、グッと踏ん張る。と同時に、前肢が伸びてきた。
「耐えて!」
チャムは剣を水属性剣にして斬り付ける構えを取った。
魔力の発生源を狙って薙がれた前肢は、正確にフィノに向かっている。その軌道上に入った人影。低い姿勢から両拳による諸突きが放たれ、僅かに逸れた爪は盾の上端を削って通り抜ける。
代わりに弾き飛ばされた黒髪が尾を引き、大樹に打ち付けられた。
調査行の話です。調査の果てに原因となる怪物に遭遇し、という展開でした。ちょっとあざとい引きで次話に続くという訳で、今回はここでくどくど語りません。




