雲狼事件の真相(2)
モバリタ郷は獣人郷の類に漏れず、山間部の谷あいに位置していた。
そこに同輪に生まれたゼルガとハモロ、ロインは幼馴染としてずっと一緒に育つ。そんな彼らの遊び場は郷内だけに留まらず、周りを囲う山々も含まれた。
無論、山には危険な魔獣も存在する。獣人郷に生まれ育った子供達がまず学ぶのは、その魔獣から逃げる術だ。
それもそう難しい訳ではない。獣人郷が構えられるような場所は、豊かな山岳地域が選ばれる。そこに暮らす魔獣は、無理に獣人を襲わずとも生きていける場合がほとんどだ。
つまり魔獣のほうでも仔獣人相手に深追いはしてこない。遭遇しても素早く逃げ出せば諦める。幸い、山だけに藪に隠れ、木に登りと逃げ場所には事欠かない。瞬時に判断して、上手に逃げる方法だけ学べば山は怖い場所ではない。
中には逃げる必要とてない魔獣も存在する。草食魔獣と、人を襲わない魔獣がそれに当たる。前者は獣人にとって獲物になる訳だが、後者は干渉し合う必要もない。
豊かな山に住む獣人達は駆除目的以外で肉食魔獣を狩ったりはしない。それは暗黙のルールに近かった。無駄にお互いを削り合う必要など欠片も無いのだ。
しかし、それは大人のルールである。獣人郷の子供達にとっては、危害を加えてこない魔獣は遊び場に住む隣人なのであった。
ゼルガが彼らに出会ったのは、魔獣からの逃げ方も巧みになり、そう怖れる必要が無くなった頃だった。
ハモロやロインと追いかけっこしていた彼は、とある場所で雲狼の群れに行き当たる。逃げ回るのに夢中になっていたゼルガはかなり深くに踏み入り、彼らの縄張りに入り込んでしまったのだと気付いた。
いきなり姿を現した仔狼に対して、雲狼は威嚇も何もしなかった。そのまま非干渉を貫く構えだったのだが、幼い彼はその姿勢を受容と見て取ってしまう。
一瞥をくれるだけで、寝そべったまま動かない雲狼の親に近付くと、その身体に触れ毛皮の感触を楽しんだ。今思えば無謀に過ぎる行いだが、その時のゼルガには躊躇いなど無かったのである。
ゼルガを探していたハモロとロインが見つけたのは、雲狼の背中に頬ずりをしているゼルガの姿だった。
さすがに唖然とした二人だったが、落ち着いた様子を見せる群れに恐怖はすぐに薄れ、好奇心のほうが勝ってしまう。駆け寄った二人もべたべたと触れたり毛皮を撫でたり、ロインなどは首にがっしりと抱き付いたりなどする。
いささか迷惑げな様子も見られたのだが、興奮状態の三人にそんな空気は伝わらない。そうしている内に警戒心は完全に薄れ、群れの中央辺りから雲狼の仔狼が駆け出してきた。
その後はもう、推して知るべしである。組んず解れつ土塗れ草塗れとなって遊ぶ仔狼と仔犬達。それが雲狼の親達に見守られていた。
その陽から三人の主な遊び場所は雲狼の縄張りとなった。
きちんと報告もした三人だったが、彼らの親は咎め立てしなかった。モバリタ郷の歴史に於いても、そういう事例も幾つか言い伝えられていたらしい。それが郷に悪影響を及ぼした事は無いようで、特に止める必要性を感じなかったそうである。
その後、三人と雲狼の関係は数輪に及び、代替わりを繰り返しながら続く。彼らが狩人として働くようになっても、時折りは獲物を融通などしていたと言う。
そして三人が郷を出て冒険者として身を立てる決意をした時、悲しみと祝福の中での別れとなったのだった。
◇ ◇ ◇
そんな経緯が有って、彼らの雲狼への思い入れは格別のものがあった。
「ゼルガ達がレスキレートに来て、一往くらいした時に雲狼がこの高原に棲み付いたと情報が流れました」
彼らにしてみれば信じられない話だった言う。雲狼の性質をよく知る三人は、よほどの理由が無ければ絶対にこんな人気の多い場所に棲み付く事は無いと知っていたからだ。
「すぐにこの森に来て、理由を探らなければならないと思ったのです」
気付かれないようそっと忍び寄った三人は、本当に雲狼の姿を確認して衝撃を受けたらしい。
「ゼルガ達は堪らなくなって、この群れと接触する決意をしました」
最初はかなり警戒されたようだが、三人の執拗な説得によって雲狼達は心を開いた。
「それで、なぜそれほど人間との接触や諍いを嫌う魔獣がこんな所まで出てきたのですか?」
頃合いと見てカイは核心となる問題に言及していく。
「この子達はね~、追い出されてしまったんだって~」
「正確に言うと、逃げ出したってのが正解だと思う」
「逃げ出した? 彼らの棲み処で何があったのか君達は把握しているの?」
それは調査に出向かなければ判明しない事実だと思っていたチャムは、首を傾げながら尋ねる。
「ああ、ここから西に結構行ったところに山が連なっているところが有るらしいんだ」
「ええ、有るわよ。そこがきっと雲狼の棲み処だったんだろうってカイが言ってたもの」
「え~、そんな事まで分かっちゃったの~、カイ」
彼は街道図を取り出すと、その推論に到った経緯を説明した。
「可能性としては高いと自負していましたが、正解でしたか?」
「うん、大正解~。すごいすごい~」
この辺りになると雲狼もボスがやってきて、街道図に見入っている。問題を解決したいと言った冒険者達の話に耳を傾ける気になってきたらしい。
「で、この連山に何が有ったのかしら?」
「その……、怪物が出たって言うんだ」
ハモロの口は重く、しかも伝聞口調である。それは違和感以外の何物でもない。
「はっきりなさい。調査に行ったんでしょう?」
「いや、行ってない。ハモロは聞いただけ」
「聞くって誰によ。ボスに聞いたとでも?」
「…………」
視線は彷徨い、どうすべきか悩んでいる様子を見せる。
「聞いたんだと思うよ。ボスに」
「ちょっと! あなたまで何を言い出すの?」
「それは幾ら何でも無謀ですぅ」
言い募ろうとする二人を手で制して続ける。
「よく考えて。彼らは二属性も扱えるほどに魔法演算領域を進化させた種だよ。それ相応の知能が有ると思うべきじゃないかな?」
「それは知能は高いでしょうね? でもそれと会話可能かどうかは別問題!」
カイは「そうだね」と言いつつ、ニッと笑う。
「やって見せてもらえる、ロイン?」
「はいはい~」
彼女は適当な長さ太さを備えた、屈曲した木の枝を拾ってくる。柔らかそうな地面の所に皆を手招くと、ボスに木の枝を咥えさせた。
「……嘘でしょ?」
ボスが地面に文字を書き始めるに至って、チャムは驚愕に顔を歪ませた。
それは山に入り込む冒険者の遺留品から始まった。その依頼票やメモ書き、時には書籍を入手した雲狼達は、代を重ねる間にそれらから文字を学ぶ事に挑戦した。
そして、語彙は少ないながらも一部の個体で読み書きが可能な段階にまで知識を深め、ボスとそれを取り巻く主導者達に伝授されてきたのだ。
それが皮肉にも、一族の危機に際して有効に作用するに至ったのである。
【信じてもらえるか?】
その文字にカイは快く頷いた。
「宜しければ教えてください。何が起こったのかを」
こうして歴史に類を見ない、人と魔獣の筆談が始まったのであった。
真相中編の話です。続いて、獣人少年少女側の事情が語られる展開でした。雲輝狼接触の経緯です。彼らが協力に至るまでは、生い立ちについて綴っておかねばなりませんでした。真相の話は次話で終わる予定です。




