霧中の対峙
翌陽は珍しくの雨模様だったので無理に動かず、次の陽に再び高原に向かう。
「おはよう、ハモロ」
冒険者ギルド前でちょうどハモロ達と行き会った。
「あ! チャム、おはよ……、クシャン!」
「どうしたのよ? 風邪?」
挨拶の途中で顔が歪み、くしゃみをする獣人の少年。
「ちょっと鼻がグズグズするだけだ。動いて汗かいたら良くなるから」
「あら? 休めないの?」
困ったような笑いを見せ、それを否定してくる。
「昨陽も依頼が入っていたんだけど、あの天気で行けなかったから今陽は納品しないと」
「大変ね。無理しないのよ」
「ありがと~。ロイン達でフォローするから大丈夫~」
「そうなさい」
そこで彼女の言葉を妨げてカイが前に出てきた。ハモロの肩に手を置くと「復元」と口にする。
「あ……、れ!?」
「どうした?」
「身体がだるくない。寒気もしなくなった」
ゼルガの問い掛けに、ハモロは身体の各所を見ながら復調に気付く。
「やっぱり少し熱が有ったみたいですね? これで問題無いですか?」
「すごい~! 回復魔法使えるんだ~!」
ロインが喜びを表し、カイに「ありがと~」と言いつつ抱き付いた。
「あ、ありがとう」
「気にしなくていいですよ。何か有ったらいけないですからね」
「でも、助かった」
黒髪の青年は微笑んで見せてから頷いた。
「僕達は雲狼のところへ向かうので」
「うん! 頑張ってね~!」
「じゃあ、……」
彼が通り抜け様に何かを口中で呟いたように見えたが、それを聞き取る事は出来なかった。
◇ ◇ ◇
(どういう事?)
チャムはブルーの背の上で首を捻っている。
(「後で」って言ったように見えたんだけど、今夜に会う約束でもしていたかしら?)
「キュルル!」
思考に沈みがちになる彼女に、高原が見えてきた辺りでブルーが注意を促す。
「あ、もう着いたのね。ありがとう、ブルー」
「キュイ!」
チャムが首筋を撫でると、彼は満足げに返事をした。
雨上がりの湿った高原はそれでなくとも霞んでいたかもしれない。だが、今そこは雲狼の領域。歩を運ぶに躊躇わせるほどの濃い霧に包まれていた。
「用意周到といったところかしら?」
視覚はあまり頼りにならない。不意を突かれる事の無いよう魔力のうねりに留意しつつ霧を掻き分けていく。
「一度贈り物したくらいでは、やっぱり歓迎はしてもらえないかぁ」
「さんざん不信の種を撒いてきた人間相手に、いきなり信用しろっていうのは無理なんじゃねえか?」
「おー! トゥリオが魔獣相手にその心を慮れるなんて成長したねぇ」
「立派ですぅ、トゥリオさん。人は陽々成長するものなのですねぇ」
「キュラッ、キュルリ、キュー!」
「ちゅりりー」
パチパチと手を叩いて褒められるが、その内容に憮然とした顔をするトゥリオ。いささか緊張感に欠ける一行である。
高原の中ほどと思われる辺りまで歩き、立ち止まって様子を探る。
「どう? 動いてる?」
「全然。森の中だね。警戒されている」
サーチ魔法で相手の位置を確認するが、前回と同じく仕掛けてくる気は無さそうだと思えた。
「どうしたものかしら?」
「動かなければお邪魔するだけ。根比べするつもりは無いからね」
普通の冒険者なら濃霧の中、森への侵入など狂気の沙汰だが、気配の察知や魔力の感知、サーチ魔法など手段に事欠かない彼らなら無謀とも言えないだろう。それでも危険度が上がるのは事実であり、トゥリオとフィノは気を引き締めて掛かる。
「……動いたね」
そのまま森に入り込もうと前進を開始すると、しばらくして群れの一部と思われる個体が分かれて森を出てきた。その個体が、彼らを待ち受けるように展開する様がカイの脳裏に映る。
「仕掛けてくる気でしょうかぁ?」
「すぐに分かるよ」
カイはパープルの背から降り、少し離れて付いてくるように言う。他の三人も下鳥すると戦闘態勢に移行する。トゥリオはすぐに大盾を取り出してフィノに後ろに入るよう合図した。
「マルチガントレット」
霧が薄れてくるのを目にした彼は、その向こうに雲狼の姿を確認した。
雨の名残の雲が上空の風に吹き払われ、焔光が差し込んでくる。その光は狼の影を浮き立たせ、そして向こうからもこちらの姿が同様に見えているのだろうと思わせた。
「ちょっ!?」
「……マジか?」
「ちゅちっ!?」
そして、その影が変化を見せる時がやってきた。
◇ ◇ ◇
この相手は、少し脅かした程度では効果が無いと初めて接触した陽だけで雲狼達にも分かった。
これまでのような手段では退ける事も諦めさせる事も出来ないと思われる。それは相談でも同じ結論に至っていた。
こちらも新たな策を講じなければならない。だが、一朝一夕に画期的な手段を生み出すのは無理だ。
まずは一歩進めた技を繰り出すつもりの彼らだった。
◇ ◇ ◇
「話に聞いちゃあいたがよ、こいつは確かに衝撃的だな?」
雲狼の影が立ち上がり鋭利な刃物を手にする。
「真っ当な人生歩んできた人なら恐慌を起こすのは間違いないかしら?」
「こんな……、こんなの本当におとぎ話でしか有り得ないと思っていましたですぅ」
白い薄闇の向こう、こちらの様子を窺うようにゆらゆらと揺れる人影が不気味にその存在感を示していた。
「左」
カイの冷たい平坦な声がチャムの耳朶を打つ。霧がうねりを見せたかと思うと、突然にそれを割って人影が現れる。柄に手を置いていた彼女は、抜き打ちでその攻撃を捌いた。
「チィン!」
金属を打ち合わせた音は霧に吸い込まれていつもほどは響かない。
(ん?)
チャムはその感触に強い違和感を覚えた。
「熱矢マルチ!」
半分目隠しをされた状態で、半包囲の隊形を見せている狼人間達の波状攻撃を受ければ捌き切るのは難しい。その負担を前衛のカイとチャムだけの背負わせるのを嫌ったフィノが、精密制御された牽制の火矢の魔法を打ち込んだ。
ところが、足元に魔法を打ち込まれた狼人間は瞬時にその位置を変え、一斉に刃物を掲げて駆け寄り始めた。
「熱矢マルチ!」
その挙動をあまりに危険だと感じた彼女は、今度は牽制ではなく命中させる軌道で火矢を放つ。しかし、火矢が命中した筈の狼人間は次の瞬間には別の場所に移動していて、再び刃物を掲げる姿勢を見せる。詳細に聴取した範囲では判明しなかった狼人間の機敏な動きにフィノは激しく動揺していた。
甲高い金属音が連続して起こる。
狼人間の攻撃は完全に一撃離脱が徹底されており、斬り結ぶような事は無い。彼らがこの霧を利用しての戦い方を熟知しているのは当然のこと。この状況は想定内とは言え、容易に引っ繰り返せるものでもない。しかし、武技に於いて遥かに上回る二人の技量が拮抗状態を生み出している。
時間としてはそう長いものではない激しい衝突が続いたが、狼人間がその動きを止める事で再び対峙状態に変化した。
「魔法が効きませんですぅ」
フィノが半泣きの声を上げる。彼女の魔法は牽制の用も成していなかった。
「続けて。これだけの数に一斉に仕掛けられたらさすがにキツいわ」
「守ってやるから落ち着いて狙え」
「はい」
その会話の脇で、カイが相手の様子を探りつつ呟く。
「こう、かな?」
差し出した右拳をパッと開き、払うように振って見せる。
すると、一体の狼人間が輪郭から崩壊するように消え失せてしまった。
衝突の話です。いよいよ狼人間と対峙する時が来る展開でした。もう謎解きに入っている筈なのに、内容的には謎を深めてしまっているような気がする。まあ、次話からは一気に明らかにしていきますので。




