チャムの当惑
チャムにとって、カイとの組手は日課みたいなものだ。彼が薙刀を装備している事も多いが、もちろん拳士としてのカイとも組手している。そして、拳士の彼相手には未だかつて一本とて取った事が無い。
負けるのが嫌な訳では無い。組手を数えれば数えるほどに得るものがある。カイはそういう風に自分に対してきてくれた。
最近はスピード重視の鍛錬に彼が移行してきているので、引っ張られるように付いて行っている。神々の領域対応策のその鍛錬は、チャムの俊敏さや動体視力の訓練にもなっている。その為に重強化も伝授してもらった。
しかし、絶対なる領域をカイに使った事が無い。それはそれで彼は上手に相手してくれるだろう。だが、本気となれば絶対なる領域同士のぶつかり合いになる事は必至だ。
正直、何が起こるか解らない。技の性質からして千日手になり兼ねない怖さを感じて使う事を意識的に避けてきたのだ。
それにもし絶対なる領域まで破れてしまった時、あの技は手から離れて行ってしまいそうで不安を覚える。それほどまでに繊細な集中力を必要とする技だった。
「僕は絶対なる領域を使わないよ」
その不安を宿してカイを見つめるチャムに彼はそう言った。
◇ ◇ ◇
(ま、マルテの所為じゃないにゃ! マルテは悪くないにゃよ!)
真剣な顔で対峙する二人を前にして、猫系獣人少女はビビりまくっている。
アサルトに示唆されたものの、気軽にその言に乗った結果がこれだ。普段から二人は普通に組手しているから、今回も何でもないと思い込んでいたのだ。いつもは軽く流しているとは知っていたが、今回は試合前のような妙な緊張感が漂っている。
(まさか本気になるとは思ってなかったにゃ……)
自分の言葉の結果を考えながら話すような性質ではないと自覚があっても、こうも目の前に突き付けられれば責任を感じてしまう。しかも、マルテでは取れないような責任だ。
(今更、止めてとか言えないにゃよ~)
マルテは少し泣きそうだった。
◇ ◇ ◇
カイは左半身で正対している。それはいつも通りだ。チャムは集中力を高めて絶対なる領域の状態に持っていく。
(今までの相手とは全く違うわ、この人は。速度も技術も段違い)
チャムがどれだけ最高速で剣を振るったとしても、その速度に付いてきてしまう可能性は大だ。
普通であれば腕の長さに剣の長さを加算した状態で、その切っ先の速度に拳の速度が敵う訳がない。一般的な理屈ではそうだ。その不可能を可能にしてしまうのが、目の前にいる人物である。ましてや今は、神々の領域に耐えられる身体作りの為に、速度耐性を強化する鍛錬を重点的に重ねてきている。
(切っ先を掴まれたらそれで終わり。引き込まれて捕まえられるだけ)
切っ先を挟み込んだ銀爪が自分を引き寄せ、抱き留められる姿が容易に想像出来る。つまり、軌道と速度を見切られた瞬間に彼女の負けが確定する。
その時の自分が絶対なる領域という技に信用を持ち得ているかどうかチャムには自信がない。また最初からやり直さなければならないかと思うと気が遠くなる。或いは彼とは違う道を模索しなければならなくなるかもしれない。どちらにせよ茨の道だ。
(ダメ。先の不安ばかり考えていては確実に負けてしまうわ。集中集中)
摺り足でじわりじわりとカイが間合いを詰めてきた。銀爪の先が絶対なる領域の間合いに僅かに入った瞬間、チンと涼やかな音色を奏でる。手首や肘を柔軟に使っていたのか銀爪が弾け飛んだ。その反動を利用するように更に銀爪が振り込まれ、また金属音が鳴る。
カイは肘から先を鞭のようにしならせて間合いを削るように振り回している。これはまだ小手調べだ。この段階で軌道を見極められれば、駆け引きで負ける。手が抜けないのはチャムも承知している。
見極められないようにするには、一定の軌道で剣を振らない事だ。軌道に多様性を持たせれば、それぞれが見切られたとしても対応には一瞬の遅れが生じる。その刹那があれば剣は掴まれずに振り切れる筈だ。
(今の何!? 変な感触がした!)
切っ先から伝わってくる感触が異常を示す。爪と刃が衝突しているだけではない感触。音も変化している。衝撃音ではない、金属同士が擦れ合う異音。何が起こっているかチャムは見て取ろうと更に集中する。
剣の軌道が偏向していた。弾かれているのではない。捩じられている。チャムは瞠目した。振るう切っ先が銀爪に吸い込まれ、軌道を変えて逃がされている。つまり、これは完全に見切られているという意味だ。
(当然と言えば当然だわ。同じ絶対なる領域を使える同士だもの。同じ速度で操れるに決まってる)
とは言え、振り切るのと操作するのは難易度が一段違う。相手が、人体でも最も器用と言って良い指先を武器としているのを加味しても、その技巧は明らかに上を行かれている。
見てやっている訳では無いだろう。幾らプレスガンの弾体でも見てしまうような彼でも、見てから反応するのはほぼ不可能だと断言できる。あれは筒先と発射タイミングを見切っているだけだ。
逆に言えば、だからこそこの技巧が可能なのかもしれない。剣の振り出し、始動時の軌道、間合いから予想される切っ先の位置、この三つさえ把握すれば銀爪で切っ先を迎え撃つ事は可能になる。しかし、指先、その先の爪の先端まで神経を通わせていなければならない。ぞっとするほどの超絶技巧だった。
(もう勝負は付いているのね)
チャムの脳裏を諦念がよぎる。この迎撃法は、いつでも切っ先を掴み取れることを意味している。それで終わりなのに終わりにしていないだけなのだ。それは残酷な宣告なのだろうか?
(違う。この人はそんな事はしない。何かを伝えたいから、その意味を示す為に語り掛けてきている)
いつでもそうだった。剣と銀爪で、時には薙刀で語り合ってきた。二人はそんな関係なのだ。それに気付いた瞬間、カイの姿が掻き消えた。
(消え! ……てない! どこかに居る! 必ずまた語り掛けてくる!)
右側に気配。振るった切っ先が同じ感触を捉えた。次は左、足元、背後と、観衆を呆然とさせるような瞬動を見せてカイは動き回り、チャムはそれを迎撃していく。
やはりどの一閃からも同じ感触しか返ってこない。これは答えじゃないのだ。答えはどこにある?
チャムは正答を求めて剣を振るい続ける。間違っているのは理解出来た。そう、チャムとカイはこんな異音を立てるべきじゃないのだ。もっと心地良いそれはどこに?
(これじゃない。これじゃない。これじゃない!)
彼は理解して語り掛けてきている。この絶対なる領域に先に到達していたカイが導き出した結論が今チャムに伝えられようとしているのだ。同じ技に、同じ場所に到達した自分になら理解出来るはず。例え指先で同じ高さにぶら下がっているだけでも、彼女にも同じ風景が見えると信じたい。
この技に手が届いた時と同じ。そこに手を伸ばす事を諦めなければ、必ずしっかりと足で踏みしめて同じ高みに立てる。
(同じ風景!?)
チャムははたと気付いた。自分の大きな間違いに。そして彼女は声高く宣言する。
「重強化!」
本気の組手の話です。絶対なる領域同士の激突と見せかけて、な展開でした。答えを見出したチャムは、どんな行動を見せるのかというところで引きにさせてもらいました。残酷かな?(笑)
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