暗躍する者(1)
「トルテスキン大司教猊下でいらっしゃいますか?」
西アルガ地区教会で昼の説法を終えた大司教にそっと近寄って来た男が声を掛ける。お付きの神聖騎士が間に入るが、彼は下がるように合図をした。その男は剣も下げておらず、刺客の類には見えなかったし、暗殺者ならそもそも声など掛けずに襲いかかってこよう。
更に言えば、穏やかな笑みを顔に貼り付け、手元にはそれなりの大きさの皮袋を携えていたのがトルテスキンの注意を引く。それはおそらく付け届け。何らかの陳情があって自分の所に来たものだろうと予想されたからだ。
大司教となると、そんな事も日常茶飯事となる。事情が許す限りは対応するし、当然そのほとんどは上納しなければならない。しかし、どれほどの額を受け取っているかなど本人しか把握していない事だ。上納額など胸三寸である。
「何かご用かな?」
トルテスキンも笑みを浮かべて鷹揚に対応する。
「お願いが有って参りました。少々お時間をいただいても宜しいでしょうか?」
「うむ、聞こう」
男が皮袋を両手で捧げるように差し出したので、ゆっくりと受け取り、軽く中身を確認する。その中には10フント金貨が多数収まっており、さすがの彼も目を見張る。
現金な事に、途端に上機嫌となったトルテスキンは男に問い掛けた。
「場所を変えるかね?」
「いえ、あまり目立つ訳には参りませんので、こちらで宜しいでしょうか?」
「良かろう」
そこは教会の通用口。表通りからは影になっており、他者の目を引く事はない。その男には、そのほうが好都合なのだと理解する。
「実はハンザビーク侯爵閣下にお取り次ぎいただきたいのですが、猊下ほどの方なら可能であろうとお願いに上がりました」
「む、それは……」
大司教の位に在ろうと侯爵位に在る貴族、それもハンザビーク侯爵ほどの重鎮となれば、面会も難しくなる。ましてや得体の知れぬ者へ渡りを付け、会わせるとなればかなりの難行となるのは間違いない。
「ご無理は申しません。今陽のところは顔繫ぎだけで結構ですので、そちらはお納めください」
「其の方、何者だ?」
それほどの大枚を顔繫ぎだけに使える資金力が有るとなれば、只者でないとトルテスキンは推察する。その相手を今、この場で逃がすとなれば今後の自分の立場に影響が出ると考えるのが権力者という生き物だ。
「彼のお方の使者と申し上げればご理解いただけますかと?」
「そういう事か」
そう言われれば思い浮かぶのは北方三国連合の立役者の存在だ。ラダルフィー侵攻ではメナスフットも大きく版図を広げている。その分、アトラシア教会も布教範囲が広がり、新たな信徒獲得にも目を逸らせないほどの影響が有ったのは否めない。
『西の金庫』と呼ばれていたホルツレインでの勢力を失った今、その開拓による財政回復は馬鹿にならない。その使者を邪険に扱うのは彼の将来に無視出来ない影響を与えてしまうだろう。
「待て。解った。何とかしよう。だが、どうにせよ、時は必要だ。ハンザビーク侯爵閣下ほどの方に渡りを付けるにはそれ以外の物も必要になる。解るな?」
「無論でございます。しかして、それほどとなると私の一存で動かす訳には参りません。主に伺いを立ててみませんと」
「それも当然であろうな。しかし、其の方の主は何を企んでおる? それが我が国や教会の不利益に通じるとあれば、軽々には動けんぞ?」
自分に転がり込むかもしれない大金は惜しい。だが、それで失脚を余儀なくされるほどの失地を得るようであれば危険のほうに天秤が傾く。この場合は確認をして保険を掛け、こちらの安全が或る程度は担保されないようでは賭けに出る訳にはいかない。この使者が扱える情報ではないかもしれないが、それならそれで情報も要求しておけば済むだけだ。
「それは……」
「どうした?」
使者は、大司教の警護に立つ神聖騎士達のほうに目をやって意思を伝える。
「この者らは目で警戒しておるだけだ。耳は何も聞いておらんゆえ、案ずる事はない」
「そうですか」
使者が語り始めた話にトルテスキンは瞠目する。
彼の主が目を向けているのは南の海だという。例えばそこを帝国艦艇が通過しようとする。その時、平穏無事に通過したいと望むのは当然だろう。しかし、現在メルクトゥーは西の列強の一、ホルツレインと接触を持っていると言うのだ。発展著しいメルクトゥーがホルツレインと通じ、南の海に海軍を展開するのは非常に困る事態となる。
「その場合に、貴国にはメルクトゥーの背後を脅かしていただきたいと主は考えております」
「それは如何ともし難いぞ。我が国は平和を奉ずる神に導かれし国だ。他国への侵攻なぞ余程の大義が無ければ出来はしない」
「大義ならお有りになるでしょう? 信徒を救出するという大義が」
ホルツレインはアトラシア教会の排除に動いている。そのホルツレインとメルクトゥーが結ぶとなれば、アトラシア教信徒達は迫害を受ける可能性が少なくない。その信徒達を救出する時こそメナスフット軍は正義の進軍を開始する時ではないか?
「おお!」
素晴らしいとトルテスキンは手を叩く。
「さすがの知恵者。其の方の主は神に愛されておるな」
「お褒めに与かり光栄にございます。その為には王国の中心に在られる方にご協力いただかねばなりません。その為ならば主は出し惜しむ事など無いと愚考しておりますれば、猊下は如何なさいますか?」
北方三国連合の裏に帝国の影がチラついているのは王国も教会も察している。その帝国が西に目を向けているとの情報だ。それだけでも価値があるが、ここで帝国と手を取り合えるとなれば、王国の利益も計り知れない。この賭け、決して分は悪くないとトルテスキンは読む。
「動くのか、其の方の国は?」
「すぐの事ではないでしょう。ですが、準備には時間が掛かるもの。今、この話は地歩固めとしての事にございます。策とはそういうものとご理解くださいませ」
「うむうむ解るぞ。そうであろう。後に其の方は良い選択としたと喜ぶ事になろうぞ?」
「ご理解いただけたようで幸いにございます。どうか今後ともよろしくお願いいたします」
トルテスキン大司教は上機嫌で大きく頷き、それに深々とした礼を返した使者はその場を後にする。
大司教を誤解させるに足る特徴を持つ黒髪の青年が。
◇ ◇ ◇
時は遡って六刻前。
夜陰を切り裂いて紫色のセネル鳥が原野を走る。時間は四の刻。そう時を置かず暁を迎えようかという頃、西から走り来たセネル鳥は東大門を窺える位置にまで来ると減速した。そのまま街道脇で一休みすると、昼の白焔が上ると共に門衛が開けた大門をくぐってポーレンの街に入る。
その足でまだ人出の少ない大通りを抜け、冒険者ギルドの扉を開く。そう時間を掛けずに出てくると、今度は露店を冷やかして朝食代わりに腹ごしらえをした。ふいと裏路地に姿を消したかと思うと、次に現れた時にはただの平服に変わっている。
次に開き始めている大通りの各種商店を巡り歩きながら、耳をそばだてている。その目が、食料品店の前にたむろしている男達のほうへ向くと、何気なく近付いていった。
「おい、今陽は西アルガ地区教会で大司教様が御説法くださるらしいぞ」
「そうか、なら行かねばな」
(うん、これかな?)
ポーレンでも珍しくない黒髪の青年カイは独り言ちる。
暗躍の話です。次話はまた「楽しい~」シリーズです。ここまでお読みいただければお解りの事と思いますが、メナスフット編のクライマックスバトルは魔人戦です。それまではこんな感じで進めるつもりです。「楽しい~」シリーズは色々バラエティーに富んでいる内容にするつもりですし、置いておきたい伏線も有るので、中身はバラバラです。
しかし、普通に贈賄する主人公もどうかと思うのですが、最近は守銭奴主人公も金にものを言わせる系主人公も横行しているので問題無いだろうと判断しました。クリーンな正義漢を目指している訳ではないし、目的によっては手段を選ばないのも彼は彼なりに筋道を通しているように描いているつもりです。




