街の暮らし
カイが異世界に来て三輪の陽々が経っていた。
あの晩餐会が来訪六往の頃だから、あれから二輪四往もの時間が過ぎている。
喋れもしなかった彼が表舞台に現れ、並みいる挑戦者を退け、ホルムトの話題を独占するまでは実にめまぐるしい一輪だったが、魔闘拳士がクライン王子をも破るという暴挙を演じてからは挑戦者もポツリポツリと現れる程度に減り、その後は多少はゆとりのある暮らしに変わっていた。
ちなみにこの異世界の1公転周期は一輪で表され、360日である。
一輪は夜の黄盆の満ち欠けの十往に分けられ、それぞれが36日。夜の黄盆の模様が大きく変化する六日を一巡とし、六巡で一往が形作られる。
つまりこの世界の月の公転と自転は一致していないのだ。
1日は一陽で表され、昼夜は20分割されて五刻くらいには夜明けを迎え一陽の生活が始まる。
その下の単位が少し理解し難かった。一刻72分ほどを十二に分けたのが一詩6分なのだが、この吟遊詩人が一曲を歌い上げるくらいの時間が最小単位でこの下は無い。
どうやら異世界の人々は分刻みに縛られるような、忙しない暮らしはしてないらしい。
「夜の黄盆」と呼ばれる衛星が存在し、一年の日数の大きな差が無いのを知ったカイは、人類が発生し同様の進化をするような惑星では重力の大きさも似通ってきて公転周期も同じくらいになるのだなと思った。
ホルツレインは大きな季節の変化はなく、自転軸変位は小さいようだ。
北に行くと暑く南は涼しいと聞くと、ホルツレインの存在する大陸は南半球に位置すると予想できる。
ホルムト以南は有数の穀倉地帯で盛んに農耕が行われ、ホルムトから北に行くほど密林地帯が次第に増えていくため豆などの穀類や果樹の栽培が主になっている。
ホルムト周辺も帯状に森林が存在し、そこが冒険者達の狩場だ。
この都市は、川の位置との兼ね合いと、南北の物流の中継点として発展したと思われた。
◇ ◇ ◇
その頃になると街を駆け抜ける黒髪の少年の姿は馴染みになっていた。
朝の喧騒の中、不埒に及ぼうとする無頼漢を駆け抜けざまに戒めていくのだ。
その陽も街娘を強引に裏道に連れ込もうとしていた男の襟首が引っ掴まれ5ルステンほども引き摺られる。
「いででででででっ! 何しやがる!」
「あ、やっぱり痛い?」
「痛いに決まってんだろうが! 何だ! 何もんだよ、手前ぇは!」
「…? 正義の味方?」
「なんで疑問形だよ! ふざけんな!」
この頃になると男は露天商たちに指を差されて笑われている。それに気付いた男は顔を真っ赤にしてそそくさと逃げていく。
カイにしてみれば「覚えてやがれ!」という捨て台詞が欲しかったのだが、男にそんなサービス精神はなかったらしい。
「カイちゃん、今日も面白かったよ。おいで、ニケイの実をあげるから」
「おはようございます、おばさん。今日もお美しいですね?」
「物貰えるからって本当に現金な子」
周囲の皆がケラケラと笑っている。
こういう風景はもう彼らにとっては日常になってきていた。
こんなことを陽々重ねていればトラブルの相手が複数であるのも少なくない。そのことごとくを少年がいとも簡単にのしていくともあれば半ば見世物に変わるのに時間は掛からなかった。
それなら無法が減ってもいいと思われるかもしれないが、ホルムトほどの大都市であれば人の入れ替わりは激しく犠牲者には事欠かないのだった。
◇ ◇ ◇
露店も店仕舞いの頃になるとカイも帰ってくる。その時は大概お土産を適当に撒いていく。
「おじさん、これあげます」
カイが露店台に肉の塊をドンと置く。
「おい、こりゃ10ラクテ以上はあるじゃねえか! そんなに貰えねえよ」
「いいですよ、今度、肉串分けてください」
「そんなん容易い注文だがよ。約束だぞ。絶対来いよ!」
「楽しみです。おじさんのところのタレ、美味しいですから」
「おお、好きなだけ焼いてやっから腹空かせて来い」
「はい」
パン屋の店先を通り掛かったカイは見知った少女を見つける。
「ルーネちゃん、店番? 偉いですね」
「うん、お兄ちゃん。お母さん、今お買い物」
「そう、じゃあこれお母さんに渡してくださいね」
「なにこれ、すっごいお肉!」
「ルーネちゃんがお腹一杯食べても平気ですよ」
「やったー! お兄ちゃん、ありがとう。ねえ、パン持っていって」
「いいんですか? じゃあ貰っていきますね」
また10ラクテほどの魔獣の肉を置いていく。
大型の魔獣を狩れば時には100kg以上、こちらの単位で80ラクテ以上といった量の肉が手に入る。
屋敷に持って帰ったりもするが、そうそう消費できるものではない。1ラクテ=1.2kgでも一食で食べられはしない。せいぜいが300g、1.2g=1ポスだから250ポスくらいで十分だ。
『倉庫』に入れておけば腐ったりはしないのだが、その単位が1コルテ=1.2tの領域までいってしまうのは避けたいものだとカイは思っていた。
街で話題の黒髪の少年は貴族街から現れて、貴族街へ帰っていく。その身元を気にする人間も居ないことはないが、彼らにとってカイは愉快で気さくで自分たちの味方の優しい少年。
それだけで十分なのだった。
日常話です。ここら辺に入れておかなきゃいけない単位系の説明を詰め込んでしまいました。申し訳ない。読みにくいかもしれませんね。




