校外実習(1)
刀剣士科の校外実習の実施が決定される。
今や生徒達の人気の的になっている二人の臨時講師の申請とあっては、彼らに及び腰になってしまっている教員達は認めざるを得ない状況。速やかに受理、承認された。
場所はジェリカの森。中隔地方も北部になると、原野の中にも森林が点在する。その一つに彼らは挑戦する事となる。これまでの実習で平原の狩りはこなれてきた生徒達も、魔獣の密度が格段に上がる森の中は緊張を強いられるだろう。
現役の、それも一線級の冒険者の引率でなければとても挑めない場所での実習となった。
生徒達が乗り合わせる幌馬車が原野を進む。その前後には馬を所持する生徒が続き、左右を四羽のセネル鳥が固めている。
引率の二人の同行は当然だが、冒険者ギルドから指名依頼でフィノとカイにもサポートとしての同行が要請されていた。
(おさんどんさん、来てくれたのね。食事の面倒まで見てくれるなんて冒険者ギルドも気が利いているわ)
未だ胸のしこりは取れないものの、緊張感の無い彼の笑顔はフラグレンの心を和ませてくれる。
もちろんそれはチャムからの申請によって適ったのだが生徒達はそんな事は知らない。彼女自身も保険以上の思惑は無かった。
ジェリカの森まで25ルステンという場所の丘の上に幌馬車を止め、形ばかりの拠点にする。そこからは引率者と生徒達は徒歩で実習に挑むのだ。チャムとトゥリオが先頭になり、生徒達が一団を組み、最後にイエローに乗ったフィノがサポートに付いた。拠点ではカイが「いってらっしゃい」と手を振っている。フラグレンとアルギナは手を振り返してから、顔を引き締め目前の森の暗がりを睨んだ。
(思ったより暗いのね)
早まる鼓動を抑えきれず、フラグレンはそう感じる。
以前、旅行に出かけた時に見た隔絶山脈の樹林は樹間が広く、立ち入っても足元に困るような事は無かった。だが、このジェリカの森は鬱蒼と茂っていて、足元にも配慮が必要だ。
「的になっちゃうから明かりは使わないわよ」
光輝を使わない理由を告げられた生徒達は地面を気にしつつも、暗がりから目が離せない。いつ魔獣が襲い掛かってくるか分からず、その恐怖から逃れられないのだ。
チャムは彼らに緊張感を与える為に、フィノがサーチ魔法を使っているのも教えていない。彼女に任せておけば魔獣の接近に合わせて構成を編んで、万一に備えてくれるから心配は無いと考えている。
生徒達の息遣いが荒くなっている。私語をする余裕など欠片も無い彼らからはその呼吸音と土を踏む音しか聞こえてこない。しばらくして彼らは気付いた。その呼吸音に重なって、異なる「ハッ、ハッ」という呼気が聞こえてきている事に。
「な、何か居ます!」
我慢し切れなくなった一人の生徒が声を裏返しつつ叫ぶ。時を置かず、暗がりの奥に光点が点々と灯っていく。魔獣の瞳が放つ光だ。既に魔獣の群れに囲まれている。
「襲ってくるわよ。教えた事、忘れていないでしょうね?」
彼らの美しき指導者が冷然と告げる。
命に関わる事だ。忘れたりなどしない。囲まれても、どれだけ恐ろしかろうとも、絶対に飛び出してはいけない。冷静に、決して一人で対処しようとせず、隣の者と協力し合って戦う事。
柄を握る手が汗ばむのを時折り拭いながらも彼らは頭の中で反芻する。
「泥犬。お誂え向きじゃない。剣筋を立てないと刃は通らないわよ」
泥犬は土属性の犬系魔獣。その毛皮は泥を纏っており、粘性の高いその泥は刃を滑らせる。その上、身を翻して泥を飛ばしてきたりもし、その目潰し攻撃にも気を付けておかなければならない。群れを為す事が多く、一般冒険者でも要警戒対象である。
その泥犬も三十名余りの武装した人間の集団となればすぐに襲って来ようとはせず、じりじりと包囲の輪を縮めてきている。そして何頭かが前に飛び出してきたかと思うと、身を翻して目潰しを仕掛けてきた。
生徒達は手を翳して泥を避け、その次に来る攻撃を待ち構える。牙を剥き出し、吠え声を上げて跳び掛かってくる泥犬に生徒達が剣や槍を振るうが、有効打を与えられた者は少ない。恐怖が身体を縮こまらせており、練習した通りに得物を振るえていないのだ。
「風刃マルチ!」
驚くような数の風の刃が撃ち出されると、泥犬の群れに襲い掛かった。風刃は容易に泥を撥ね退けて、その身にダメージを刻む。たったその一撃で警戒を強めた泥犬達は、少し距離を取って攻撃を控えた。
「落ち着きなさい! いつも通り振れば刃は通るの。自分を信じて思い切り振りなさい!」
「はいっ!」
再び始まった攻撃は苛烈だったが、生徒達は落ち着きを取り戻し泥犬を斬り倒していく。一頭を倒せばそれは自信になり、次の攻撃は鋭さを増す。互いを庇い合い、穴を埋め合って着実に倒していった。
二詩くらい掛けて四十頭を超える泥犬の群れを倒し切った生徒達は、息を荒げて呆然としていたが、その顔は少しずつ歓喜に染まり、勝利の雄たけびを上げるものが続出する。彼らはやり切ったのだ。
その声は別の魔獣を呼び寄せてしまう危険を孕んでいるが、この時ばかりはチャムも咎めたりはしない。
「ほらほら、ここからも冒険者の大切な仕事よ。動きなさい」
多少は落ち着きを取り戻した頃に、チャムは号令を掛ける。魔石の回収も、討伐証明部位の切り取りも忘れてはいけない作業だ。生徒達の尻を叩く。散り散りになった彼らの作業を、周囲の警戒をしながら三人は待った。
自信を持った生徒達は、その後の戦闘も順調に切り抜けている。既に百頭を越える泥犬を倒してきているが、興奮状態の彼らは意気盛んであった。
「一度退いてお昼にするわよ。各自、後退準備」
元気な返事が上がり、整然と陽射しの下へ向けて進んだ。
◇ ◇ ◇
幌馬車の側には、幾つもの加熱魔法具が並べられ、その上に大きな鍋が架けられ良い香りを放っていた。切り分けられた長パンが皿の上に山積みにされて彼らを待っている。その横には豊富な肉串の山もあり、それを見た生徒達は自分がどれほどお腹を空かせていたのか初めて気付く。
「わあ、すごい! ありがとう、カイ!」
アルギナが飛び付かんばかりにしていると、いつもの笑顔が待っていた。
「お腹が空いているだろうけど、まずは身綺麗にしておいで」
「あっ!」
それで彼女は自分が泥だらけなのに気付き、頬を赤らめた。
フィノが作り出す温風に包まれて乾燥された彼らは服の泥を払い除けた後、男女順番に幌馬車の中で身体を拭いてきてやっと昼食にありつく。車座になり、それぞれが器を手にして食事を楽しんだ。
カイを知らない者達はその味に驚きの声を上げる。そこへアルギナやフラグレンが我が事のように当然だと説明し、彼らの指導者のパーティーの充実具合を自慢した。腹がくちくなった頃には、誰もが自分が疲れている事に気付く。
「そろそろ自分の状態が解ってきたでしょ? しっかり身体を休めておきなさい。一刻経ったらまた行くわよ」
思い思いの姿勢で休憩を取る生徒達の中で、フラグレンは身体の奥に燃え盛る炎が有るのに戸惑っている。彼女はそれなりに経験を積んできた筈なのに、それを感じたのは初めてだった。いや、初めて自覚したと言うべきだろうか?
自分の中の変化は、チャムの存在が原因であろう事だけは彼女にも解った。
実習開始の話です。一応、これがイーサル編のクライマックスバトルになるんでしょうね。派手な戦闘はありませんが、このエピソードの結論は出ます。あと数話でイーサル編も終了します。




