女王の伏兵
(なぜ、こうなった?)
正面にはクエンタ軍二千二百、背後には新たに現れた部隊およそ六百。
ラガッシ軍の挟撃は失敗し、今まさに逆に挟撃されている。
(まだ、まだだ)
「まだ数的有利は変わっていない!」
「何を言っているんです? それさえ失われているのに気付かないほど周りが見えていらっしゃらないんですか?」
◇ ◇ ◇
その通りだった。魔法攻撃を受けて戦闘に参加できなくなった兵も、迂回した先で側撃を受けて負傷した兵も、分断包囲されて武装解除された兵も、冒険者達を含めた正面戦力とぶつかり敗れた兵も、ただその場に取り残されてきている。その結果ラガッシ軍は既に三千を割り込んでいたのだった。
その状態で、ほぼ同数の兵に挟撃状態に置かれている。片や針葉樹林に潜んでいて疲労も無く意気盛んに飛び出してきた集団。片や戦闘を続けてきたとは言え、ラガッシ軍を散々悩ませてきた冒険者四人を正面に据えたクエンタ軍。形勢は完全に逆転したと言って良い。
(あの方はこれを狙ってらしたの? でもなぜあの伏兵の事までご存じだったのかしら? 彼らの事はわたくしとカシューダしか知らなかった筈)
しかし、ただの偶然とは思えない。それはクエンタ軍が取った経路が物語っている、明らかにこの挟撃状態を作り出す為に動いたとしか考えられないものだ。
(フィノさんは小手調べだって言ったわ。あれは攻撃じゃなくて挑発だったという事? ラガッシの軍を本気で追わせる為の初手!?)
そう考えればこの奇妙な用兵の全てに納得がいく。これがあの黒髪の青年カイの描いた筋書きに他ならないとクエンタは気付いた。
「クエンタ様、勝負は決したとは申せませんが、かなり有利な状況にあります。将にご指示をくだされば彼らはラガッシ殿下の軍を討ち果たすでしょう」
「待って! 彼らに降参するように呼び掛けて。あの子ならわたくし以上に今の状況を察している筈よ」
「それでは慈悲深き陛下のお言葉を伝えたいと思いますが、ただそれは殿下の矜持を強く傷付け、逆上させる危険を孕んでいるものとご理解くださいませ」
「そう、なの?」
「殿下の御気性を鑑みれば、有り得ない事ではないかと?」
クエンタは指示を保留して沈思するものの、答えは浮かんでこない。
(カイさんはどう考えていらっしゃるのでしょう?)
◇ ◇ ◇
前線は膠着状態に陥っている。ラガッシ軍は不用意には動けない状況。クエンタ軍は重大な決断を下せず指示待ち。新参の部隊はクエンタ軍の動きに合わせる構え。誰一人動かない為、ただ緊張感だけが高まっていくだけ。
「動かねえか。いや動けねえか」
「ですぅ」
フィノの頭上には数十本にも及ぶ氷の槍がずっと浮かんでいる。完全な制御下に置かれたそれが維持され続ける様に、他の魔法士は信じられないようなものを見る目で獣人少女を見る。
「女王さんの決断を待つの?」
「どっちでも良いんだけど、もうちょっと削っとかないと連中、色気を出しちゃうかな、とは思ってる」
そっと空間に光述を書き連ねながら訊いてくるチャムに、その内容を読み取りながらカイが答える。同数ではまだ起死回生を狙って襲い掛かってくる可能性を捨てきれない。
後方から、前線を刺激しないよう静々と将が部下を従えて前に出てきた。
(安全策を採ったかぁ。まあクエンタさんならそうかな)
「聞け! 先王の兵よ! 既に勝負有ったり! 武装を放棄して指示に従えば命までは取らんとの女王陛下が御慈悲をくだされた! この上は尋常にされたし!」
勧告を受けたラガッシは怒気を露わに睨め付けてくるが、そう簡単な状況ではないと理解もしていて自制していた。彼自身は。
「ふざけるなあぁぁ ── ! 弱兵共があぁ!」
「ボ ── クネェース!!」
スワーギー将軍が吠え制止しようとするが、その騎士は止まらない。彼が突出して、引き摺られるように二百騎ほどが飛び出して来る。
いつもは穏やかに笑みの形を刻んでいる犬口がへの字になり、ロッドはスッと振り下ろされた。拡散された氷の槍が彼らの頭上から降り注ぎ、血飛沫を上げて倒れる者が重なる。
「真空斬」
チャムの周囲から幾つも走った空気の歪みが襲い掛かり、血飛沫を上げる者が更に増産される。
落馬した上に全身に切り傷を作りつつも執念深く歩みを止めなかった騎士が、額から血を吹くと呆けた顔を晒しながらうつぶせに倒れた。左手のマルチガントレットを突き出したカイは、どこまでも冷たい目でその様を見ている。
「愚か者が……」
反撃の意志有りと見做したクエンタ軍の将は手を敵に向けて振り下ろす。弓兵隊から一斉に矢が放たれ、ラガッシ軍に降り注いだ。彼らは後背からも矢の攻撃を受けている。悲鳴と怒号とともに動揺が広がり、戸惑いの視線が指揮官に集中する。
「くっ! 反撃せよ!」
ラガッシには不本意であれど、これ以外の台詞が無い。抵抗しなければ被害が増えるだけで終わる。
「陛下、どうかお逃げ延び下さい。この場はそれがしが受け持ちまする」
「許さんぞ。ここは一気に駆け抜ける。付いて来い!」
「御意!」
前後の兵を置き去りにして中央からカランカ高地に駆け上がる。足は遅くなれど、針葉樹林にバラバラに逃げ込んで各個撃破されるよりは遥かにましだと思える。
高地の斜面を駆け抜けようとするラガッシ軍に、騎兵が意欲を示す。散発的に矢を射かけるだけでなく側面に突撃しようとしている。
「追わない! 混戦に持ち込まれて無駄死にしますよ! それより装甲馬車を守るように展開!」
「!」
自軍の後方にはクエンタの乗る装甲馬車が居る。行きがけの駄賃とばかりに襲撃される可能性を失念していた彼らは、ハッとして後方に回り込む。
「行くか?」
「いや、保険に過ぎないよ。連中にそんな余裕は無いから」
カイは戦い慣れないだけでなく勝ち慣れてもいない兵達に役目を与えて、深追いをさせないようにしたいだけである。今回は十分勝った。これ以上の攻撃は、敵を追い込み過ぎて無用な反撃による被害が増えるだけだ。それよりは取り残された敵兵のほうを上手に処理したほうが幾分か相手の足を引っ張る結果を得られる。
追随して戦場を離脱しようとするラガッシ軍後尾に側面から攻め寄せる。風撃で一部を薙ぎ倒し分断すると、薙刀を振り回して打ち倒していく。
フィノを後ろの魔法士隊のほうまで下げさせたトゥリオも前に出て、大盾で離脱しようとする兵を受け止めると、大剣を振り回して剣の腹で殴打昏倒させていく。
チャムはもっと器用だ。彼女はブルーの上で立ち上がり、すれ違いざまに騎馬から蹴り落としているのだ。多くの者がその姿に目を奪われ、吸い込まれるように彼女の蹴りの餌食になりにいっていた。
そうこうしている内に、分断された者達はクエンタ軍に押し包まれ、抵抗の意思を奪われ武装解除されている。状況はほぼ収束に向かっていた。
ラガッシ軍はその数を二千近くにまで減じて敗走していった。戦場には七百ほどの戦死者が転がり、それに三倍しようかという負傷者がうめき声を上げている。捕縛されただけの者は比較的運が良い方に思える。
クエンタ軍の兵は、動ける者はそのまま捕縛し、動けないほどの負傷者には魔法士を動員して動ける程度に癒して回らせる。一応の戦場処理が終わったところで兵達には休息が命じられた。捕虜をザウバまで連行しようにも、今は体力の回復が必要である。
こうしてカランカ高地会戦は、クエンタ軍の勝利で終わった。
そして支給される糧食の列には嬉々として並ぶ冒険者四人の姿がある。
会戦終了の話です。三話に及んだカランカ高地会戦はやっと終わりを迎えました。ですがまだ、何が起こっていたのかの裏側は語られていない事だらけ。次話で色々明かしていきます。いや次話からか?(笑)




