胸装
今一つ納得いかない風なフィノに、平仮名と片仮名の対応や漢字の意味を教えていく。
「この角々した漢字っていうのには、それぞれ意味があるんですね?」
「そうだよ。こういうのを『表意文字』っていうのさ。この世界の文字は表音文字。意味は解らなくても発音はできる文字だね」
トゥリオはもう匙を投げているようだが、フィノは一生懸命理解しようとしているのが解る。
「僕から見ると漢字って楽なんだよ。だって読めなくたって大体の意味は解るんだから。知らない漢字でも類似の漢字と文脈から何となく意味は解るでしょ? でも表音文字ってさ、単語の意味を知らないとさっぱりじゃない? どれだけの数の単語の意味を覚えれば会話ができるようになったり、文章で意思を伝えられるようになるのか気が遠くなりそうなんだけど」
今思えば、死活問題だからこそ異世界の言葉を習得できた。それでも一言語が限界だったろう。国ごとに言語が違っていたら挫折していたかもしれないと思う。
「それは考え方の違いっていうか、発想の違いからくるものですよねぇ」
「まあね。人間、使い慣れている物のほうが楽って感じるものだろうし」
その辺りのギャップを埋めるのは尋常なことではないだろう。
「解りましたので、これください」
満面の笑顔であっけらかんと言ってくるフィノ。
「いや、それは勘弁してください」
「えー、いいじゃないですかぁ。カイさんは自分の物作れば」
「無茶言わないで。これほどの精密機器はいかな変形魔法や変性魔法でも再現はできないから」
「じゃあ、大事に保管してあげますねぇ」
どうやら意地でも返したくないようだ。
「これはちょっとね。この世界には異質過ぎてあまりに危険な代物なもんだから、扱いが難しいんだ。悪いけど返してね」
「ぶーぶー」
「どんなに臍曲げても駄目なものは駄目」
「いい加減にしておきなさい、フィノ。カイも時々は見せてあげられるでしょ?」
仕方なくチャムが仲裁に入る。
「うん、そうそう誰も入ってこない部屋の中とか、こういう四人だけの時とかは貸してあげるから、それで納得して」
「しょうがないんで我慢してあげますぅ」
いつの間にか立場が変わっている気がする。
珍しく押しの強いフィノに寄り切られてしまった形である。
◇ ◇ ◇
場所はいつものホルツレイン王宮練兵場。作業台を取り出したのは時間が丁度空いたからである。
獣人騎士団は今、挨拶を兼ねて一度里帰りしている。ミルムたちには自分たちが帰るまで旅立たないよう懇願されているので時間を持て余していた。
そこへ王宮から、正確にはセイナから招待があってきたのだが、その理由は現在カイの足元を駆け回っている。そして結構啄まれたりもしている。蹴りが入らないだけ良しとすべきなのだろうか?
体高が30メックほどに育った、ホルムト生まれの第一陣のセネル鳥の雛、二十羽である。産卵から丁度一往で孵化し、二巡経った雛は駆けたい盛りであり、好奇心旺盛であり、縦横無尽に暴れ回っている。
少し前までパープルたちに乗って、ずっと引っ張り回していたのに、まるで疲れを知らないようにまだまだ元気いっぱいなのだ。まだ歯が生え揃っていなくて嘴で甘噛みするだけなので助かっているが、歯まで生えていたとしたら今頃ズボンはズタボロだったろう。
そんな経緯で王宮練兵場で時間潰しに、兼ねてより考えていた製作作業に入ることにしたのである。
「それでは要望の多かった胸装製作に入りたいと思います」
チャムとフィノからは熱心な拍手が来る。彼がずっと拒み続けていた胸装作りに、やっと首を縦に振ったからだ。
理由は幾つかある。やはり南方北方問わず行き来する冒険者稼業。暑熱激しい北部に於いて、レザースーツを着続けろというのは些か酷だと認めざるを得ない。北部で一陽活動すれば、下は汗だくになる。運動量も多く、ダイエットの必要もない女性陣にはただの苦行でしかない。
更には防刃耐魔繊維の完成も大きい。紡績職人に依頼した、大量に入手した水王蜘蛛の糸で織った布が出来上がってきて、その布による戦闘服が洗い替えを含めて一人頭何着も仕上げられたのだ。この戦闘服もカイのお手製なので、男性陣は上衣とズボンなのだが女性陣にはスパッツと短いスカートが作り上げられている。女性陣は自分の意見を通すためにここは譲歩した。戦闘服だけでは防御力に不安は残るという観点から胸装製作を押し通したからだ。
「これは苦渋の決断です。様々な条件をクリアしたからこその決断ではありますが、とても大切な理由があるのです!」
無念さを強く滲ませた表情は、レザースーツに心残りがあることを顕著に表している。
「僕たちは比較的活動量の激しいパーティーとなりました。そこに潜む危険を僕は見過ごせなくなってしまったのです。類い稀なる女性美を誇る我らが女性陣は……」
カイの演説はどんどん熱を帯びてきた。
「常に垂れる可能性と戦い続けてもいるのです!」
「良いからさっさと作りなさい!」
「速やかな完成を望みますぅ!」
「あ、はい。ごめんなさい」
彼の熱弁は違う形で響いたらしい。
とは言っても、胸装作りは武器類や盾、鞍なんかより遥かに易しい。極論すれば、サイズだけ把握していれば出来たも同然である。
バストを覆う部分を手っ取り早くミスリルで成形すると、鳩尾を防御する分割甲も作り、小さな金属リングで接続する。裏に毛足の短い毛皮を張り付けて装甲は完成。
飛び火蜥蜴の皮膜を成形した伸縮ベルトを左側に付け、右側は留め具にして背中に回して装着する構造にした。これなら一人での脱着も容易だろう。
胸装は地金の白銀色をそのまま生かした簡素な配色。しかし、両胸と鳩尾部にそれぞれ鋭角突起付きCを三つ組み合わせた彼らの紋章が窪みで配されている。そこには起動線が引かれていて、裏側に隠されている光盾の刻印に繋がっている。これはあくまで非常用だ。身体の正面しか防御できない光盾では魔法防御にも限度がある。だからと言って魔法散乱では、減衰分の威力が魔法士には命取りになり兼ねない。
「さすがね。良い感じだわ」
恐ろしい程にサイズがぴったりなのはこの際目を瞑ろう。そこを追及し始めると、あまりに酷い気がするから。これだけの性能・機能を有する装備は、専業冒険者でも数往分の稼ぎが飛ぶ。
「あー、楽ですぅ」
装備したフィノは、しっかり保持される双丘が肩の負担にならなくて嬉しいらしく、ピョンピョンと飛び跳ねている。誰かさんの目が奪われてしまうので止めてあげてほしい。
「やっぱり鎧下だけって案は…?」
「却下よ」
事前に、胸装装備の代わりに上着を鳩尾までの短衣にする提案を打診された。
「何で重要臓器だらけのお腹を晒して戦わなきゃならないのよ?」
「大丈夫! 僕のやる気が何倍にもなるから!」
「あなたの士気のためだけに命を賭ける気にはならないわ」
彼のビキニアーマーの夢は断たれてしまう。
跳び上がって太腿に嚙り付いた一羽の雛をそっと外して抱き上げつつ、落胆の顔を見せるカイだった。
胸装作りの話です。装備強化ではなく改良と言うべきでしょうか?暑熱対策と言う名目で、身体の線は隠されるものの、装備を格好良く可愛くする方向に振ってみました。




