ホルムトの獣人
ノックの応答を待って政務大臣執務室に入ってきたのはベイスンだった。
「閣下、書類をお届けして参りました」
アセッドゴーン邸では「グラウド様」と呼ぶ彼だが、王宮では「閣下」と呼ぶ。どんな客人が居るか解らないからだ。
「あ、いらしてたんですね、カイさん。お帰りなさいませ」
「やあ、ベイスン。ちょっと背が伸びたね?」
目を瞬かせて訊いてくるカイに恥ずかしげに答える。
「はい、少し」
「当然だろう、成長期だ。まだグンと伸びるぞ。お前が心配せんでも良い物を食わせているからな」
「その調子でお願いします。問題あるようなら取り返しますから」
憎まれ口の応酬に、(また始まった)とベイスンは思う。グラウドは、歳の離れた悪友くらいに思っているような気がしてきた。
「何のお話です?」
気を逸らせるようにベイスンは訊く。子供に気を遣わせる仕方ない大人たちである。
謁見の間での経緯を聞いたベイスンは頭に浮かぶ疑問をぶつけてみる。
「それだと獣人だけ優遇されているように感じる者が出てきませんか?」
ホルムトに限らず、ホルツレインの人にとって獣人は野蛮人という印象だ。その獣人が優遇税制を受けていると知れれば、面白くないと感じ始める者が出てくるのは想像に難くない。
「最初は出てくるだろうね。それも少なからず」
「最初は? 大丈夫なんですか?」
ベイスンは、トレバ脱出行で自分達を甲斐甲斐しく世話をし、怪我を癒して回ってくれているフィノを知っているから、獣人が野蛮人などとは全く感じていない。だがそれは簡単に浸透しないように思える。
「反発はあるけど、生活圏が違い過ぎるから実害は少ないと考えているよ」
「変化があると思っていらっしゃるんですよね?」
「そう、ナーフスが広く出回り始めるまでの時間の問題。君はもう食べたかい?」
「はい、とても甘くて驚きました。あの食感と濃厚な甘さは癖になりそうです」
「それを知った人々はどんな反応を示すと思う?」
「反応? それは単価次第ですが誰もが欲しがると思います。……それを生産しているのが獣人だと知れば!」
試すように見てくるカイの反応を見て、頭の回転を速める。
「いや、ナーフスを北部の危険地帯で生産できるのが獣人だけだと知れば。その情報を意図的に流せばいいんだ!」
「正解」
「ナーフスが基本的にフリギアからしか入ってこないことから類推はできるでしょうけど、広く知らしめるには何らかの方策が必要ですね?」
「それに関しては考えてあるから問題無いよ」
差別されると解っていてレレムたちを招くカイではない。考え有ってやっている。
既にフィノの存在が、ホルムト市民の意識に一石を投じているのは間違いないだろう。後は、最後の一押しをしてやればいいはず。どうやらそれはカイの頭の中にあるようだ。
「僕はお手伝いできますか?」
「簡単だよ。その時はお願いするね」
「はい!」
今は少し違う道を歩んでいるベイスンだが、カイを手伝えるのは非常に嬉しいことだ。
◇ ◇ ◇
「たかるにゃ ── !」
わらわらとよじ登ってくる子供たちを振り払って立ち上がるマルテ。
「ちっちゃい人族恐るべしにゃ。集団で攻めてくるにゃ」
「あはは。猫さん、面白ーい!」
ポテポテと振り落とされながらもまた集まっていく幼い子供たち。
時はその陽の朝に戻る。
再開された早朝鍛錬で汗を流して、井戸で汚れを落とした獣人少年少女たちと冒険者たちはそのまま街に繰り出した。
街の大通りには出勤する職人たちを目当てにした露店が多く並ぶ風景が見られる。軽食を扱うその露店を片っ端から賑やかして、どんどんと胃袋に食べ物を送り込んでいくマルテたち。成長期の旺盛な食欲は四人を驚かせるほどだが、所詮は露店の軽食である。一つ一つの単価は知れており、どれだけ彼らが貪ろうとも大金というほどにはならない。
「気にせず好きなだけ食べなさい。あなたたちのお師匠は大きな財布を持っているわ」
塵も積もれば山となるのを気にして、チラチラと様子を窺ってくるミルムを安心させてやる。
「はい、ありがとうございます。では遠慮なく」
「まだまだいけるにゃー! 幾らでも食べるにゃー!」
「あんたはちょっと遠慮なさい」
「うにゃ?」
興奮状態で瞳孔が開いているマルテは戒めておく。放っておけば胃袋が破裂するまで食べそうな勢いだ。
思う存分食べさせた後は、色んな店舗をひやかしていく。女の子が多いのに服飾店などにはあまり興味を示さず、むしろ雑貨店で大騒ぎをする。隊商用地での買い物が常識だった彼らには、ホルムトの生活用品、特に金属器の安さが衝撃だったようだ。むしろ自給自足していた木製食器などは高価に見える。
「むぅ。何だか面白くないです」
「不条理」
「そうか?」
「こんなもんだろ」
男の子たちは頓着しない。獣人でもこういう点は女の子のほうがしっかりしている。
「フリギアの隊商用地という仕組みが変だったんです。今は適正価格で買えてるはずですぅ」
長頼りだった彼らは現状を把握していなかったのだろう。
「どうでもいいにゃ」
「あんたはちょっと気にしなさい」
「うにゃ?」
縦長になった瞳孔が心情を如実に表している。尻尾は次を求めてピコピコと忙しないが。
最も大盛り上がりを見せたのは武器屋だった。隊商用地ではほぼ短剣しか扱っていなかったので、多様性に富んだ品揃えは獣人たちの興味を掻き立てたようだ。
まだ十代半ばでも人族成人男子を上回るほどの体格を誇る獣人少年たちが振り回すのは良い。しかし小柄な獣人少女たちが重量級の鎚鉾だろうが戦鎚だろうが片手で軽々と振り回すのは、店主も目を剝いている。
「たまには短剣以外の武器も使ってみちゃどうだ?」
大剣派のトゥリオが特に少年たちを焚き付けてみる。
「でかい剣は男の子の夢だろ?」
「悪くないですよね。でも密林じゃ取り回しが難しいです」
大剣を持つ目に熱が無いわけではないが、バウガルは冷静だ。密林で足が使えなくなる危険性を十分に弁えている。
「破壊力は魅力だが、大振りは命を縮める」
「うーん、男のロマンなんだがなぁ」
ガジッカさえ実戦的な意見を入れてくるに至っては、トゥリオの戦況は悪い。
「斬れればいいにゃ」
「あんたはちょっと考えなさい」
「うにゃ?」
再び開いた瞳孔が疑問に揺れている。本能で生きている猫には呆れて肩を竦めるしかない。
そんな様子をカイは笑顔で見守っていた。
そんな感じで街を楽しんでいると、近くの院の子供たちにカイが見つかる。特に行き先を定めていない彼らはそのまま近くの院に引っ張り込まれた。
世間の常識よりは好奇心が勝る子供たちにとって獣人たちは御馳走だ。何の躊躇いもなく群がっていく。反射神経だけで迎え撃ちにいったマルテが幼い子供たちの波に飲み込まれていった。
散々玩ばれたマルテが解放される頃にはお昼を迎えている。職員たちからの申し出で昼食も共にすることになった彼らは、子供たちの間に挟まって食卓を囲んでいた。
あれだけ食べたというのに獣人たちは普通に料理を口にする。全くもって底なしに見える。
「あれもこれも美味しいにゃ。ちっちゃい人族は良い物食べてるにゃ」
ムグムグしながらマルテが言う。
「太らせてから食べるのかにゃ?」
「いや、食べないから!」
子供たちがどっと笑って、賑やかな食卓は会話が弾むのだった。
異邦の獣人の話です。とある一日の、ミルムグループと冒険者達の行動の内容でした。ここまでくるとお解りと思いますが、カイはホルツレインでも獣人の存在を日常にしようと画策しています。とりあえず住居の確保と馴染ませる方針は立っているのですが、それだけで事が進むほど定着した一般常識というのは甘くありません。ここからカイは第二STEPへと着手していきます。




