セネル鳥の活躍
「うにゃ ── ! 泥んこにゃ ──── !」
散々転がされて色の変わりつつあるマルテが吠える。
「酷いにゃ! ズルいにゃ! 手を抜いていたにゃー!」
「獣人郷に居た頃のことかい?」
「そうにゃ。あの頃はもっと弱かったにゃ」
「そうです。ミルムも頑張って手が届く所まで近付けたと思ったのに」
彼女は悲しそうな顔で訴える。
「非難されても困るんだけどね。だって全く手の届かない所にいても練習台にはなれないでしょ」
郷で鍛錬していた間も少しずつレベルは上げていっていたのだ。
「君たちの実力に合わせてこちらも上げていくさ。その証拠に僕はマルチガントレットを最初から装備していただろう? チャムだって刃潰しの剣じゃなくて木剣を使ってる。反射的に身体が動いて君たちに絶対に怪我をさせないようにさ」
「マルテたちが恐かったのかにゃ?」
「そうだよ。油断して斬り込まれたら僕たちだって身体が勝手に反撃してしまう。普段からそういう風に訓練しているからね」
「剣の刃を潰してあるだけじゃ突きなんて使えないもの。もしもの時が恐いから」
マルテの顔がにぱーっと笑顔に変わっていく。
「それなら仕方ないにゃ。許してやるにゃ」
他の者たちも笑顔で顔を見合わせているところを見ると、少しは納得したらしい。
実際に、繰り広げられた攻防は驚異的な速度で行われており、観戦していた騎士たちの中にも全ての攻防を見切れていた者は居なかった。
獣人少年少女たちの反射速度は驚愕するに値すべきほどのものであったし、それに対応できる冒険者二人も人間離れしていると思えた。中にはただ、獣人たちがコロンコロン転がっているだけに見えていた者も居たほどだ。
もっとも、アトラシアの騎士と魔闘拳士の決闘を観戦した者は、彼の本気はこんなものではないと知っている。
その後、集められた獣人少年少女は二人から指摘を受ける。速度と反射神経に頼り過ぎなこと。自分たちだけで鍛錬していた所為か、流れを外された時に動揺で一挙動遅れること。気配を殺し切れず意表を突けないこと。追い込まれた時に無駄な力が入っていること。握りの抜きと絞りのメリハリが足りないこと。
この指摘は過去の鍛錬時にも行われていた流れなので彼らは懐かしい思いを胸に真面目に聞く。
「まあ、全体には目を瞠るほどの上達ぶりだったわ。きちんと言われた通り鍛錬を続けてきたのね。嬉しいわ」
「うん、期待通りだったよ」
そう言われて彼らは盛り上がり、それぞれがハイタッチを交わしている。
そしてそのまま洗浄に回される。彼らは頓着せずぱっぱと衣服を脱いで下着だけになってしまう。獣人族はその辺りの倫理観が緩い。見られることをそう気にしない。気にしたのは騎士たちだ。一瞬は注目したものの、彼らの騎士道精神に則り目を伏せて速やかに散っていった。
湿度の高いこの地域であれば、フィノは簡単に大量の水を取り出す。バシャバシャとかけられてはカイとチャムに洗われる。トゥリオは躊躇いがちに少年たちを洗ってやるが、カイは気にせず少女たちも洗う。彼女らが気にしないのなら彼も気にしない方針だ。むしろ彼女らが彼に洗われるのを喜んでいるなら、である。
ついでに二人も濡らした布で汗を拭い、出立の準備に入るのだった。
◇ ◇ ◇
北部近くの亜熱帯を東進しているために、森林帯を避ければ足元は丈が高めの草が蔓延っているか湿地帯かになる。どんな馬車であれど湿地は避けたいので、斥候を出して調査させながらの旅程になる。
警護の列に五騎のセネル鳥が加わったのは大きい。馬は蹄の面積が狭いので湿地を苦手とする。魔獣出現率も高いこの地域を足元も気にしつつの移動は困難だ。
比してセネル鳥は悪路踏破性が非常に高い。地面が固ければ蹴るし、柔らかければがっしりと掴む。湿地に入っても数歩走ってから(あれ?)という反応を示すくらいだし、騎乗者が下りなくとも簡単に抜け出してしまう。
そのうえ、九騎とも属性セネル。遠距離攻撃能力がある。魔獣を発見しても相手が複数でない限りは間食に化けてしまうだけ。寄り道になるが、カイたちもそのくらいの役得は許してやらねばなるまい。
ここでカイが注目したのはパープルと同じ雷属性を持つカリクだった。
クルムとファランは風セネルで風刃、ナンチェは水セネルで氷結弾、ピッケは土セネルで岩弾などを繰り出して魔獣を倒すのだが、雷セネルのカリクは雷砲を放つのだ。これは雷の槍に見えるような高速の雷撃塊であり、パープルと同じ雷電ビームではない。
実際、多彩な魔法を操るフィノでさえパープルの使う雷電ビームのような魔法を知らないと言う。性質的には彼女も扱う雷電球に似ているが、かなりの適性が無ければそれをビーム状にするのは難しいだろうと分析する。よって扱う者の居ないその魔法形態には名前が無いのだ。
「君の魔法は珍しいの?」
「キュリ?」
強く意図していないセネル鳥の放つ魔法だ。本人さえ与り知らぬものだろう。やってみたらできた類のそれだとしか思えない。
主に感性で魔法を使う魔獣では仕方のない事だ。時に突飛な思い付きを実現するのだから、リドのような変身魔法が実現してしまったりする。
「パープルが居た群れには、君のような雷電ビームを使う子が居た?」
「キュキュ」
首を左右に振って否定する。
「カリク、他には雷セネルの知り合いは居る?」
「キュルキュイ」
「その中には彼みたいなのは?」
「キュキュ。キュルキュキュイキルキュ、キュラリルキュウ」
「ごめん、長文は解らないや」
リドやパープルたちから情報を引き出すとなると、正誤を問うくらいが精々である。付き合いの短いカリクにはそれが解らない。むしろカリクは勧んで自分たちと意思疎通をしようとするカイのような人間が珍しくて、つい普通に通じるものだと考えてしまった節がある。
「キュラリル」
「キュゥ」
どうやらカリクはパープルに窘められているようだ。
この時カリクは、だからこそパープルは『王』なのだと説明したかったのだが、意思は通じない。そもそも『王』の概念を人間に伝えるだけでも至難の業と言えるだろう。
この遣り取りをカリクの上で観察していたセイナは思う。遣りようによってはセネル鳥と意思疎通ができるのではないか、と。先ほどのような長文はいくら何でも無理だとしても、もしかしたら単語くらいは拾えるようにはなるのではないか?
その試みで彼女の努力は実らず、失敗に終わる。あまりに社会生活の在り様や精神文化が違い過ぎて困難を極めたのが理由なのだが、それはまたかなり先の話である。
◇ ◇ ◇
順調に進んだ旅程は縦断街道に達する。そこからの道行きは更に順調になるのだが、地方貴族が歓迎の宴などで引き留めに掛かる。それでホルムト帰還を遅らせたくはないとクラインは思うが、都市を回避しては王家への求心力を高めようとする目的が果たせない。本末転倒にならないよう都市では民の歓迎を受け、貴族の歓迎は適当にいなしつつ進むしかない。
この視察で王家の人気が上がったのは確かで、中でもセイナとゼインの人気は急騰する。愛らしい容貌は市民の心を捕らえて離さなかったようだ。
それでも旅程は進み、一行はホルムトに無事帰還する。大袈裟な行進は無いが人々の歓喜の声を受けつつ城門をくぐる。その後には、王の間で王太子一家が国王に帰還報告をする。
その場でまた彼が爆弾発言をするのだが、まだそれをアルバートは知らない。
組手の終わりとパープルの話です。ドラマの少ない終盤は急ぎ足で進みました。それでも今まで触れなかったパープルの話は入れておかないといけなかったのですが、割と簡単に纏まってくれたのでホルムト到着です。




