ルドウ基金(1)
凱旋式から数陽、カイたち冒険者は王宮の客間に収まっている。
カイとチャムには勝手知ったる部屋なのだが、トゥリオには遠退いていた格式張った対応であり、ましてやフィノには縁遠い場所以外の何物でもない。国王アルバートに挨拶をして礼も済ませていれば、この居たたまれない気持ちも多少は薄らぐのかもしれないが、現在のホルツレイン王宮は戦勝後の論功行賞の審議と授与、戦傷者への恩給、戦死者遺族への年金の算定などでてんてこ舞いなのである。
記録に鑑みれば、過去の戦乱に比して戦死傷者は極端に少数に収まっているとは言え、それを疎かにするのは軍の運用上絶対にあり得ない。客分である彼らのことはとりあえず後回しになっており、彼らが国賓であることだけ通達されるに留まっていた。
「はー、寛ぐわー。たまにはこういうふわふわのソファーでぐだぐだと骨休めしないとねぇ」
「無理ですぅ。フィノは落ち着きませんよぅ。フィノもあのお庭の場所を貸していただければ十分なのです」
それはセネル鳥たちが占拠している王宮練兵場の一角を指している。
パープルたちはそこで自由に寝起きし、雑草や虫を啄んだりしている。朝夕にはカイたちが帰還行軍の傍らに農民の訴えに応えて駆除した魔獣の肉と、そのお礼に受け取った野菜が振る舞われる。走りたくなれば練兵場の柵内は好き勝手に走り回れるし、呑気なものであった。
フィノはそれをうらやんでいる。
「慣れてもらわないと困るのよ。あなた一人、庭住まいになんてできないじゃない。だからせめてってことで私と同室にしてもらったんでしょう?」
「はぅー、でもこのお姫様みたいな暮らしに慣れるのはいけない気がしますぅ」
「当たり前だと思うのはダメだけど、満喫するくらいには慣れなさい」
それもまたフィノには高い壁になりそうだ。
(何か室内飼いにするか屋外犬にするか話してるみたい)
そんな微妙な気分になるカイだった。
油断すると着替えまで王宮メイドに補助されそうになってしまうとかフィノの愚痴を聞いていたら、客間の扉がコンコンとノックの音を立てる。許可するとメイドの一人が顔を覗かせ来客を告げる。エレノアたち、親しい者であればこんな手続きは踏まない。そういう風に話を通してあるので皆、首を捻る。
現れたのは、クリーム色の簡素な長袖上衣に同色のキュッと絞った膝丈スカートを履いた、怜悧な雰囲気を持つ妙齢の女性だ。キョトンとしているフィノを除いて、顔見知りでないことを目配せで確認し合ったカイとチャムは、トゥリオに疑問の視線を集中させる。(また手癖の悪い)という意味を込めて。
「いや違うぞ! 俺の客じゃねえ!」
「本当?」
「誰が異邦の地の、ましてや王宮でそんな無茶するかっての!」
そうまで言われると間違いなさそうで、当ての無くなった一同は顔を見合わせる。その答えは客の女性が出してくれた。
「カイ・ルドウ様でいらっしゃいますね? なかなかいらしてくださらないのでお迎えに上がりました。あなた様にはやらなければならないことが山ほどあるのです。どうぞこちらへ」
つかつかとカイに歩み寄ってきた女性は彼の腕を掴みグイグイと引っ張っていく。
「あ……、あれー?」
そのままどことも知れぬ場所に連行されていくのだった。
◇ ◇ ◇
『ルドウ基金』。
それは蓄魔器とモノリコートの売却利益の一割の提供で運営される資金団体の名称である。
本来、「基金」というのは営利団体の原資などの基本となる運営資金を指す言葉になる。しかし、このルドウ基金はホルツレイン王家とアセッドゴーン侯爵家からの利益提供で、国家福祉を目的とした運用を行う基金を指すと同時に、この基金の運用団体の名称ともなっている。
「あなた様はそのルドウ基金の代表となっています」
ホルツレイン王宮の三階にある広めの一室に連れていかれ、執務机に座らされたカイはその女性の説明を受ける。何となくそのまま付いてきてしまった三人の冒険者もまだ状況を把握できないでいた。
「遅ればせながら自己紹介させていただきます。私は代表補佐と経理長を兼務させていただいておりますイルメイラ・クラッパスと申します。イーラとお呼びください。どうかお見知りおきを」
彼女は見かけに違わず効率重視のようで、美辞麗句は好まないようだ。
「現在、ルドウ基金が運営しているのは託児孤児院のみとなっておりますが、それでも代表の決裁をいただかなければならない案件はそれなりにございますのでお願いいたします」
カイが初めて座るはずの執務机の上にはかなりの量の書類が既に鎮座していた。
このルドウ基金の設立を提案したのはグラウドだ。
孤児院の設置はカイがアルバートにした請願で進められていたのだが、その設置予算に蓄魔器で得られる利益の一割の提供を申し出た。御前会議の場でされたその提案に相乗りする形で新たな提案をしたのはクラインだった。
彼は王家が権利を持つモノリコートの利益の一部も同様に孤児院設置に提供すべきだと主張する。それそのものは国家の予算ではないので誰にも異論は無かったのだが、問題はこの二つを合わせると相当の金額になってしまうことだ。実際のところ、その提供資金だけで孤児院の増設は間に合ってしまうほど。
それならばもう孤児院の運営団体を創設してしまえばいいという方向に議論は転がっていってしまう。
それにはアルバートが異論を唱える。孤児院の運営はあくまで国家の援助する福祉事業でなければならない。単なる運営団体では営利事業者、商会などと区別できなくなる。そこでグラウドが捻り出した案が福祉目的資金運用団体の創設である。先の二つの元権利者であるカイを代表に据えた『ルドウ基金』という資金運用団体にして、その運用先に孤児院を充てることで営利事業者との差別化を図る提案をする。これは名案とばかりにその提案は全会一致で可決される。
ここでカイを引き合いに出して代表に祭り上げたのは、彼をホルツレインに縛ろうとする思惑があってのことだ。国家に属するのを厭うカイだが、自らが請願した孤児院施設の運営ならば辞退するのは難しいだろうという目算が働いている。少なくとも彼が代表を務めるルドウ基金が在るならば、魔闘拳士の本拠地はホルムトであると主張ができる。そんな大人の論理も裏にあってのことだ。
そこで必要になってきたのが、実際に資金管理と運用を行う人材となる。カイ本人は今後ホルムトに永住することは叶わないだろうから、誰かに代行してもらわなければならない。
そして白羽の矢が立ったのが彼女、イルメイラ・クラッパスだった。アルバートの御用商人であるクラッパス商会の商会長の三女が彼女の出自。金銭管理に非凡な才能を示す彼女は、商人の子として生まれるべくして生まれたように思えるが、商取引の世界もまた男性社会なのだ。
女性の身であり更には三女という立場では彼女がこの先その才能を発揮できる場所はかなり限られるであろうと思われた。そんな愚痴染みた相談をクラッパス商会長から聞いていたアルバートは当初、財政が傾きつつある地方貴族の家に嫁がせようかと考える。そんなところに出てきたのがこのルドウ基金の話だ。これ幸いとばかりにイルメイラをルドウ基金の経理長に推挙する。
国王の推挙の栄を受けたのももちろんあろうが、活躍の場を得られると聞いた彼女は一も二も無く了承し、ルドウ基金の代表補佐兼経理長の椅子に収まったのだ。
そして今に至り、カイは彼女が差し出したルドウ基金の運営状態を示す書類を目にしているのだった。
ルドウ基金設立の話です。以前に名前だけチラ出ししたルドウ基金の話はここに繋がっている訳です。本人の知らないままに代表にされていたカイがルドウ基金をどうしていくかはこれからの話になります。




