魔獣遭遇戦
ホルツレイン国内に入ってからの旅程は順調だ。
それはホルツレインという国が治安というものに十分な注意を払っているからと言って良いだろう。
国が国民の安全を図るのは義務と言って良いだろうが、安全というのはそれほど直接利益を生み出すものではない。
魔獣に荒らされる作物が減って収穫が増えると言ってもそれは全体の収穫量から見れば大きな割合を占めているわけではないし、野盗に村々が襲われて人的損失が出ると言ってもそれでいきなり極端に収穫量が減るわけでもない。
国防のように極めて大きな損害を生み出すリスクに対する保険のような考え方と違って、保安のコストパフォーマンスは決して良いとは言えない。
しかし、商売にとっては安全は金を払ってでも欲しいものだ。
大手商会が地方都市に支店を開くとなれば魔獣や野盗に襲われて商品に損害が出るリスクは加味しておかなければならない。隊商になれば商品の全損どころか人的にも壊滅という事態も考えられる。もし、販域の治安が良ければ、このリスクを低く見積もることができる。
各国がそれでも保安に予算を裂くのはここに理由がある。
商人なら損益分岐点が低いところに集まるだろう。商人が集まれば供給が上がるとともに購入意欲も上がって需要も後追いしてくる。需要が上がると更に商人を集める結果になる。
このスパイラルが経済の活性化を生み、税収を跳ね上げていく。この世界で安全というのは遠まわしに利益を生み出すのだ。
侵略さえも収益手段と考える世界で、ホルツレインの国策は極めて健全だ。
しかし、そんな国であっても魔獣の脅威は厳然として存在するし、野盗盗賊の類を絶滅させるのは困難な事業である。そこに冒険者の存在が不可欠となってくる。
魔獣の数的コントロールも商隊警護も国の警備部門だけで行うのはコストが掛かり過ぎる。であればこその冒険者ギルドであり冒険者という生業だ。
そんな事情があっても隊商という零細企業ではリスクに支払う予算を商品にそのま還元するのは難しい。そこで真っ先に削りたくなるのは警備予算となる。
できるだけ少ない警護で旅を終えたい。そう考える隊商が多い中、バーデン商隊は警備に投下している予算は多いほうだろう。それは家族と呼べる従業員への配慮であり、実の家族を大事に思う意識の表れだ。
それでも災難というのが思いがけず訪れるのは皮肉としか言えない。
◇ ◇ ◇
辺境と違って街道は森から数十ルステンは距離を取られているが平原に住む魔獣も存在するし、人影を見ただけで森から出てくるほど腹を空かせたものも居ることは居る。そんな魔獣を冒険者達は積極的に狩っていたが、その陽は様子が違った。
「速度を緩めてください」
カイの要請に笛で連絡を取り合った馬車全てが足を遅くする。
「突っ切るにはもう遅いかぁ。やり過ごせるならそっちのほうがいいね」
チャムが扉を開けて顔を覗かせるとカイはぶつぶつと自問していた。
「どうしたの?」
「うん、ちょっと待って。止まりましょう」
御者への指示を変えるとカイはタニアを持ち上げて「中に入っていようね」と伝えてチャムに渡す。
何事か起こっているのを察して大人しくはしているが、不安は隠せていない。前の経験がタニアを旅嫌いにしてしまうのは心苦しい。ここはできるだけ早く事態を収束させたいと考える。
「右前方から群で迫ってきているよ。そのままなら前方を通過するとこだけど…」
そこからどう動くか分からないから言い淀む。
「迎撃の準備だけしておくべきね」
「う…ん、動きがおかしいな。これは追われて…、る?」
そう思えた頃、十数ルステンほど向こうの森から灰色の獣の群が飛び出してきた。
「炎狼!?」
火属性の狼魔獣だ。向こうからも馬車群は見えているはずだが見向きもしない。二十頭ほど数えたところでにわかに騒がしくなり、衝撃音と「ギャン!」という苦鳴と共に一頭が空を飛んだ。
最後尾の炎狼を跳ね飛ばした張本人が白茶けた巨体を揺すって森から駆けだしてきた。
「ちょっと、嘘…。岩石熊…」
主に山岳部に分布する土属性の熊魔獣で、平原部ではそうお目に掛かれない。
熊系全般に言える強力な膂力と意外に高い俊敏性、なにより厄介なのが全身を覆う岩の鎧だ。物理攻撃の通りが非常に悪い。
上級のパーティーが前衛で攻撃をいなしつつ足留めし、大出力魔法でダメージを重ねてやっと仕留められるくらいの難敵である。
街道近くまで炎狼の群を追いかけてきた岩石熊だが、馬車群を見つけて立ち止まる。人間を炎狼より狩りやすい餌だと判断したらしい。
「仕方ない。やるか」
進み出ると「皆さんは手を出さないでくださいね」と言い置いて岩石熊に近付いていく。無謀にも自分に挑んでくる餌に、岩石熊はゆったりと歩み寄ってくる。
「私も行くわ」
「危ないけど、手伝ってくれる?」
「もちろんよ、相棒」
詰まった距離に岩石熊は二本足で立ち上がり、威嚇の唸り声を発してきた。
と、すぐさまマルチガントレットを装着したカイは駆け込んで一撃を浴びせる。注意がカイに向いたところで側面に回り込んだチャムが斬りかかると、岩を削る音を立てて剣が弾かれる。立て続けに二撃三撃と放つがまったく通じない。
「下がって!」
「時間稼いで。魔法をぶち込んでやるから」
効かないと解るとすぐにチャムは戦術を切り換える。
「冷気系でよろしく。これもあまり効かないんだよねぇ」
数歩下がって光条を撃ち込むが岩鎧の表面を溶かすのが関の山だ。
突進してくる気配を見せたため、風撃を連続で当てて出鼻を挫く。そのまま連撃で拳を振るうと、肉体を叩くのとは全く違う鈍い音が響いた。
繰り出してくる前足の攻撃を躱しながらカウンターを入れていたカイだが有効打は少ない。小さいダメージが蓄積していっているだけだろう。
「避けて!」
カイが横に転がって避けると空間に浮かんでいた光の文字が溶け消えて、氷礫を含んだ冷気の嵐が岩石熊を直撃する。が、霜が降りた身体をひと振るいすると再び牙を剥いてくる。
「あれが効かないとか勘弁して!」
チャムが悲鳴を上げるが、結果は変わらず多少動きが鈍くなった程度だ。
「一回休んでて、弱らせてみるから」
ヒュッと空気を吸うと、ストロークもテンポも上がった連撃が放たれて岩石熊の足が止まる。
岩石熊も負けずに力を溜めた前脚を振り下ろすが、交差された両腕にブロックされる。そのままだともう片方の前足の追撃を受けるが、先に一度沈んで捻りを加えた蹴りを胸に叩き込む。
たまらず後ろにたたらを踏む岩石熊。
「力負けしないとか、どれだけなのよ!」
それにはさすがに驚いたチャムだった。
しばらく攻防が続くと、あからさまに岩石熊の動きが悪くなってきた。
時に前脚で防御をするような動作さえ見せてくる。
そうしているとカイが一瞬視線を送ってきた。
身構えていると、覆い被さるように掴みかかってきた岩石熊と真っ正面から手を組み合う。力比べを嫌った岩石熊が大きく口を開けて噛みついてこようとする。
「チャム!」
その瞬間に膝を突いたカイに向かってチャムは衝動的に駆け込んでいく。
青年の背中と肩を一歩ずつ踏むと、眼前に差し出した剣を岩石熊の口腔内に力の限りに突き込む。剣先が骨を砕く感触の後、スッと入る。すると岩石熊はビクンと震えて動かなくなった。剣が脳に達したのだ。
「…やった?」
仰向けにゆっくり倒れてズシンと音を立てた岩石熊にチャムは喜びを噛みしめるのだった。
◇ ◇ ◇
商隊のほうからワッと歓声が上がって幾つもの足音が聞こえてきた。
冒険者たちが口々に称えてくるが、緊張が切れたチャムはへたり込んで引きつった笑いを返すのが精一杯。馬車も近付いてきてタニアも駆け寄ってきたのだが、チャムの様子に肩に手を置いて「大丈夫?」と訊いてくる。
何とか自分を取り戻して「ちょっと疲れたわ」と返して岩石熊のほうを見るとカイがその死体を探っている。こちらを見ているチャムに気付くと「はい!」と討伐証明部位の耳を放って寄越した。
「何してるの?」
更に死体を撫で回しているカイに訊くと「宝探し」という答えが返ってきた。
「「「宝探し?」」」
チャムやタニア、更に続いたオーリーが異口同音に疑問を呈する。
「岩石熊ってね、魔法で取り込んだ岩石を鎧にしているんだけど、好んで鉱石を探して岩鎧にしていたりするんです」
ポンポンと岩石熊の身体を叩いて続ける。
「そうすると良いものを貯め込んでいる時があるんですよ、運が良ければ」
再び手をかざして探る様子を見せると「当たりかな?」と呟く。魔力の高まりが感じられると、手が触れていた胸部の岩塊が浮き出してきた。
その岩塊が外側から分解されるようにパラパラと岩粒を落としていくと赤ん坊の頭ほどもありそうな半透明のゴツゴツした物体が現れる。
「これは! 宝石の原石!」
オーリーの驚きは瞬く間に周囲に広がった。
「これはとんでもなく大当たりでしたね。どこかの洞窟か何かで拾ってきたんでしょうか?」
「そうかもしれんが、これは値が付けられるかどうかも怪しいような代物だぞ」
ポンと渡された原石を矯めつ眇めつしていたオーリーは自分では評価しきれないと言う。
「それじゃあ困りますよ。だってそれはオーリーさんの物なのですから」
「何だって! そんな話はないぞ。岩石熊を倒したのは君たちじゃないか?」
「でも今は依頼遂行中なんです。契約上、討伐した魔獣の討伐証明部位は本人が貰ってもいいことになっていますが、それ以外の拾得物などは隊商責任者であるオーリーさんに所有権が移ります。だからそれはオーリーさんの所有物になりました」
「いや、それはあまりにも…」
突然の事態に対処できなくなったオーリーは言葉を濁そうとする。しかしカイは追い討ちするように告げた。
「ホルムトまでまだ時間は充分にありますよ。よく考えてみてください」
「しかし…」
オーリーはあからさまに戸惑う。
「とりあえず預かっておく。だがまだ私の物だと認めたつもりじゃないぞ」
「有って困る物じゃないと思うんだけどなぁ」
(いや、そういう押しつけ方されると困るし)とチャムは思ったが、口にはしないのだった。
この三分の二くらいの分量だと考えてたのに書き出したらとんでもなく膨らんでいった。バトルシーンは文字数食うのね。