拳の意味
幼い櫂の中にあったのは、極めて単純な英雄願望だった。
絵本や童話の英雄たちは剣を取り、刀を取り、勇気を以って、知恵を以って、友情を糧に、愛情を糧に平和を守り、世界を救っていた。
成長すると共に自覚させられる。その中でも自分が得られる物が意外と少ないことを。特に得るのが難しいのは武器だ。彼の居る日本では物理的なそれの所持はほとんど認められていない。ならば残るのが自身の肉体そのものだ。これだけは誰にも禁じることはできない。拳を強く握ればそれは牙になる。考えなければならないのは結果に伴う責任だけだ。
もう一つ困ったのは、図式的に捉えていた『正義』が酷く抽象的でかつ相対的であることだ。全ての芯になるべきそれが容易に揺れ動くのは少年には納得できない。
しかし、或る時彼は名案が閃いた。正義が世界の中心に、つまり外側にあると考えるから変動してしまうのだ。それを自分の真ん中に据え付ければいい。そうすれば社会に揺り動かされることなど無くなる。
そんな誰もが一度は考えるような過程を経て確立し、彼はその『正義』を柱にする。
ただそれは危険な考えだとも自覚していた。外的要因によって変質しなくなっても、感情で変化するようであってはならない。常に疑いの目を持って確認し、間違いが無いよう管理しなければならない。そうやって櫂は自分の正義を強化していった。
普通の人が社会生活と人間関係の中でぶつけ合って擦り減らしていくその柱を強化することに注力してしまった。
それが正しいか誤りか評価などできないだろう。一定確率で存在するタイプなのだから。
ただそこに権力が伴った時には問題が生じる場合がある。大概にそれは二極化してしまう。英雄か暴君かどちらかに。歴史上、何かを成す者は太い柱の持ち主であっただろうと想像できる。
櫂には、彼とは異なる太い柱の持ち主が身近に居た。従兄弟の拓己だ。彼がどういう思考過程を経てそれを確立するに至ったかを櫂は知らない。だがそれは極めて強固なものだった。
平和を貴び調和を愛する心。それが拓己の中心にどっかりと座る柱だ。それを認識した時に櫂は非常に驚いたものだ。優柔不断と紙一重のそれをそこまで強固にした拓己に彼は敬意を抱いた。だから彼の判断を重視し、尊重することが多くなった。
確かにそれは無用の対立を防ぐのには有用だった。親に迷惑を掛ける確率はぐっと下がる。一つだけ不満があるとしたら周囲に与える影響力だ。拓己の平和主義は完全に保守であり、環境を変える力は無い。そう櫂は考えた。右の頬を打たれた後に左の頬を差し出せば喜んで打つ人間のなんと多いことか。
それでも善意で世界を救えると拓己が信じるならば、その傍らで見ていたいと思う櫂だった。
◇ ◇ ◇
母の礼子が空手道場への入門を勧めてくれたので通ってみることにする。
拓己の傍らで彼と彼の信じるものを守るならば、いざという時の牙は研いでおかなければならない。それが拓己の本意ではないにしても、世界が善意でできていない以上、守りの力は必要なのだと彼は思うのだ。
武道というものに先入観や思い入れは無かったのだがかなりの適性があったようで、自分でも解るくらいにめきめきと上達していく。研ぎ澄まされていくその武器の力に櫂はワクワクが止まらなくなる。上達という要因は人を簡単に貪欲にさせる。のめり込み過ぎないよう、でも必要な分は手に入れようと櫂は空手に打ち込んでいた。
師範はその力が凶器に成り得るものであり、容易に振るうべきではないと説く。いつもそれが不思議に思えたので一度疑問をぶつけてみたことがある。
「この力が不要の物ならばなぜ先生は習得したのですか?」
おそらく聞かれ慣れた質問なのだろう。師範はすらすらと答える。
「鍛えているのは拳ではない。それを扱う心なのだ。それこそが強く在らねばならない」
「でも心は感情でできているようなものだと思うんです。不動で在れる人間なんて居るんでしょうか?」
自制心こそが重要と説く師範だが、櫂は心というのは感情の乗り物のようなものだと考えていた。容易に揺れ動きそうなそれよりは、もっと違う柱が大事だと思う。
「そう在ろうと努力することこそが武道の神髄。生涯を賭けてその道を極める姿勢が人を強くより良くするのだ」
「はぁ、解りました」
実際のところ、櫂は全く納得などしていない。感情を排そうとすれば人はただの人形になってしまう。しかも最後のほうは論点がズレてほとんど宗教思想みたいに感じる。それ以上の論議には有用性は全く感じなかった。
彼に必要なのは拓己を守れる力だ。その技術を教えてもらえるならば問題無い。
しかし、出る杭は打たれるのである。櫂の台頭に危機感を抱く上級生たち三人は、彼を組手と称して取り囲んでいる。
「ちょっと調子に乗ってるみたいだから稽古をつけてやるよ」
ほら来た、と櫂は思う。こうして感情に簡単に乗りこなされている輩が武道を習得しているというのだから、精神修養にどれだけの意味があるのか解らない。
「いえ、結構です。組手の相手には困っていませんし、もう少しこの型を身体に染み込ませたいので」
「まあ、そう言うな。実戦に勝る稽古は無いんだぞ」
「確かに一対複数の組手なんて、先生の前ではできないかもしれませんね」
席を離れている師範の座をチラリと見て彼は言う。
「解っているんなら付き合えよ」
「善処します」
突きを入れてきた一人の拳を左前腕内側ではじき、後ろから掛かってくる相手に右回し蹴りを送り込む。まさか一番に攻撃を受けると思っていなかった相手はもろに腹部に蹴りを食らって身体を折る。流れで一度身体を引いて残り二人を視界に入れると、蹴り足強く一気に右の相手に踏み込んでいった。
一連の動きは、始める前から櫂が相対位置を頭に入れていたからで、ここからはアドリブになる。
相手は三人なので手加減する余裕はない。牽制で入れてきた左の突きを左手の平で外へ払うと、そのまま右肘を左脇腹に打ち込んだ。ゴキリと嫌な感触がして肋骨が何本か折れたと確信する。相手は堪ったものではない。本来、空手では使わないはずの肘打ちが入ったのだ。人体では一二を争う硬い部位の強撃で、一撃にして撃沈してしまう。
二人倒れて怯んで上体の下がった相手に、飛び込みタックルで両膝を取り、転がせる。膝立ちながら相手の鳩尾に正拳を入れて黙らせると、後ろから襲い掛かってくる蹴りから復帰してきた残り一人の足を振り返り様に刈り取り、転倒した相手に速やかに歩み寄って右前腕を踏み砕く。
ここまでの動きが一分強で行われて、カイの周りにはただ苦鳴を上げるだけの三人が横たわっている。
三人は応急処置をされて病院に搬送されていった。
戻ってきた師範はその惨状に当然櫂を叱責する。彼は正当防衛を主張するが、師範は一切取り合わない。事は道場内で起こったので事故扱いにはなるだろうが、師範の責任は問われるだろう。櫂はその日限りで破門となった。
幸いなことに相手方から民事訴訟の訴えなどは無かった。何より目撃者多数なのだ。上級生の横暴を苦々しく思っていた者たちは櫂の行状も已む無しと思っていたのだろう。
◇ ◇ ◇
少々困ったのは櫂本人だ。道場で得られていたはずの技術も、そこに居た稽古相手も一遍に失ってしまった。それだけは彼にも必要だったのだ。
時間を持て余している彼は拓己の所に自転車を駆って遊びに行ったのだが、そこでも怒られてしまった。どうやら母親経由で話が伝わってしまっていたようだ。
「武道をやるのは良いことだと思うよ。櫂くんは喧嘩っ早いからどこかで発散しないとダメだろうし。でも、やり過ぎちゃ意味無いからね」
「ごめん」
拓己のお説教を受けて這う這うの体で退散する。
まだ早い時間だったので、気晴らしに遠回りで帰路に就く。すると聞き慣れた、人間の身体が畳を打つ重い響きが耳に届く。興味本位でそこを覗くと、立派とは言えないが十分な道場がそこにあった。
(こんなとこに道場なんかあったんだ)
自転車を止めて道場入り口まで行くとそこには予想外の光景が展開されていた。言うなればごちゃ混ぜだ。竹刀を持つ者も居れば、薙刀を構える者も居る。もちろん徒手が一番多いようだがそれは異様な有様だ。
「ここは何の道場ですか?」
門下生の一人が彼に気付き、問い質す視線を送ってきたので訊いてみる。
「諏訪田道場だ。なんか用か?」
「見学は可能ですか?」
どうにも要領を得ない。仕方ないので責任者に訊いてみようと思って許可を求める。
「待ってろ。諏訪田師匠を呼ぶから」
「お願いします」
師匠? 余計に解らない。
出てきた男は剣呑な雰囲気を纏って櫂を睥睨してくるのだった。
櫂主観の子供の頃の話です。ここ、こんなに長くなる予定は無かったのに、余りに地の文が続き過ぎたので戦闘シーン入れたら、諏訪田道場の門までしか辿り着けませんでした。しかも冒頭部分はえらい難産で普通の倍くらい時間を食ってしまった。さあ、スタートから加速まではしたから後は流れてくれると良いんですけど。




