国境を越えて
「すみません、陛下。僕はトレバ皇国を滅ぼすことにしました」
避難民たちには偵察に出ると言って、パープルに乗って距離を取ったカイはアルバートに遠話を掛けていた。
【事情は理解した。そなたは決断したのだな】
「はい、本当は陛下と相談してご都合に配慮すべきなのでしょうが、無理です。僕はこの国の存続を許せません」
【……そう決めたというのなら余には止められん。このまま順当に敗戦に追い込んでも現行政権が維持される限り、似たような惨劇は繰り返されるであろう。そなたはそう考えたのだな?】
アルバートは大きな息を一つ吐いてからカイの心情を言い当ててくる。
「もちろん感情的な面は否めませんが、基本的にはそうです」
【余にも同じ未来が見える。しかし、そこまで追い込むためには我が兵、我が民の被害も覚悟せねばならん。容易に決断できぬのだ。解れ】
「その辺りは僕にも考えがあります。陛下の負担にはならないように何とか……」
【そなたなら一人でも彼の国を滅ぼしてしまうかもしれん。だが、全てを背負わせるつもりはないぞ】
アルバートも、彼に親心に近い思いがある。あまりに苛烈なこの息子は危なっかしさも感じさせるのだ。
【昨陽、決議して既に出兵準備に入っている。兵力は三万。副官にガラテアを付けた】
「副官? ガラテアさんが?」
【司令官はクラインだ。王太子としてかなりの裁量を任せた。話し合って決めるが良い。我が国と彼の国の行く末を】
「陛下……。何という英断を」
【あれにももうそれくらいの器量はあろう。少しずつでも背負わせるつもりだ】
既に様々な政務に携わらせてはいるが、個人として責務を負わせることで成長を促そうとしているらしい。
「解りました。傷一つ付けずにお返し致しますのでご心配なきよう」
【はっはっは、さすがに初陣で負傷するほど前に出る度胸などあるものか。後方で震えているのが精々よ】
「これはお厳しい」
現実を見て考える機会を得ることこそが大切だとアルバートは考えているようだ。
一応の報告を終えて、アルバートの体面を守る配慮をしたカイは少し急がねばならないと思った。
◇ ◇ ◇
避難民のもとに戻ったカイはパープルから降りて、ベイスンとメイベルにその場を譲る。彼らは遠慮する素振りを見せるが、円滑な移動のためだと説得して乗らせる。
「ホルツレインは出兵を決断したよ。規模は三万。司令官はクライン様だって」
「何!? クラインって確か王太子じゃ……」
トゥリオは出兵そのものや規模にも驚いたが、司令官の名前に一番食い付いてきた。
「そう、今回は王太子の出征になった。陛下も思い切ったことをするね」
「やべえな。フリギアはそれほどの手駒を出してこねえかも知らねえぞ」
「バランスは考えなくていいよ。陛下も思うとこがあっての決断だろうからね」
「ということはクライン様に一任ってこと?」
チャムはアルバートの為人を知っているだけあって読んでくる。
「らしいよ。あのことに関しては話し合って決めろって言われた」
「おいおいおいおい! ホルツレイン国王は何考えている? お前の好きにさせるのか?」
「あの方はこの人に甘いのよ。ホルツレインへの貢献度もあるし、今後も乗っかってくるつもりなんじゃないかしら? まあ、言っても聞かない相手に仕方ないって思いもあるかもだけど」
「本気かよ。一国の国王がこいつに振り回されるのか」
「地味に傷付く言い方をするね?」
こんな会話を聞かされて気が気で無くなった人たちも居る。
「あの……、その、不穏な単語がいっぱい出てきたんですけど……?」
「気にしたら負けよ」
チャムには無情に言い放たれ、カイには「内緒だよ」と片目を瞑って言われたのではベイスンは黙るしかない。ただ酷く場違いな所に居るのは間違いない。
身の置き場に困り始める彼だったが、人懐こい笑顔で接してくる彼らを拒むことは難しいのだった。
◇ ◇ ◇
トレバ皇国侵攻軍二万五千は粛々と行軍する。この規模の集団になると魔獣も近付きたがらず、障害はほとんど無いと言っていい。
むしろ問題あるのは内部のほうだ。収穫繁忙期を乗り越えたばかりの徴用農兵に訓練を施し行進させているのだ。過労で倒れる者が頻出している。後続の兵站部隊には馬車も多く、倒れた者たちを臨時に積み込ませて対応したりもしたが、それでも間に合わなくなってきている。
兵站そのものも十分とは言えず、割り当て食料の少なさから出てくる苦情も引きも切らない。途上の町村で補給しようにも既にそこも搾り滓みたいな状態で、小麦一粒出させただけで餓死者が出そうな有様であれば無理も利かない。そんなことをすればその地はもちろん、武器を持たせた農兵の反乱に繋がりかねないからだ。
頭の痛い問題ばかりに匙を投げたくなる侵攻軍司令官コンクレット将軍だが、そんなことをすれば自分の首が飛ぶ。比喩的にではなく物理的にも飛ぶ。自分を罵倒する皇王ルファンの目を血走らせた顔が容易に想像できる。
それでも国境を越えればそこにはフリギアの豊かな大地が広がっているはずだ。そこを奪い取れば自らの栄達は保証される。領地が増えれば贅沢な暮らしもできるようになるのだ。今は明るい未来を信じて進むしかない。
定期的に放って進路を探らせている斥候からの報告は異常無しの言葉ばかり。そろそろ斥候の足も国境まで延びているはずだが、敵国境警備部隊の動きも入ってこないのが妙な感じがする。逆に敵の斥候部隊の報告はチラホラと上がってきているのだ。なのに国境に待ち受けるはずの敵要撃部隊の姿が確認できない。
確かに敵の斥候を発見し次第、攻撃を加えるよう指示は出している。こちらの本隊の規模を把握させないための措置だ。その為に敵方も何らかの動きがあるのを察知はしているが、侵攻軍の存在までには辿り着いていないはず。普通なら状況把握も兼ねて国境に部隊を連ねているのが常道なのだがそれが確認できないのが不気味なのだ。
フリギア国境警備隊は精強部隊である。この程度の圧力で逃げ出すとは思えない。このところのトレバ軍の戦いにはどうも不確定要素が含まれていることが多過ぎる。
九輪前のホルツレイン侵攻も計画段階は成功の文字以外は考えられないような作戦だった。
レンドエア、バロッテ両将軍にコンクレット将軍は(こいつら、上手くやりやがって)という思いを抱いたものだ。それがどうしたことか結果は大敗で終わったのである。
二万の軍が急襲し、開門の段取りまでつけていたのに、簡単に退けられた。城門に晒された両将軍の首が浮かべた恨めしい表情が忘れられない。
思えばあれも訳の解らない負け方だった。帰還した兵から得られた情報は計画の序盤から破綻している。その原因に至っては未だ不明なのだ。ただ、気の触れた兵がうわ言のように「銀爪の魔人が来る……」と叫んでは暴れ出すくらいのことだ。真しやかに噂されるその怪物の姿だけが軍内部に広まっている。
吟遊詩人の詩にあるその怪人のことはトレバ皇宮では禁句になっている。余計に独り歩きする噂だけは取り締まれないが。
想定外にすんなりと国境を越えた侵攻軍は当て外れに気が緩みそうになる。妙は妙だがここから先にある村々の略奪は自由だ。不安の残る兵站の補充ができる。それだけは好材料だった。
しかし、その目算はいとも簡単に崩れ去る。
3ルッツ先に見えるのは整然と並んだ、自軍より多い敵軍の姿だ。コンクレット将軍の口からは一つの言葉が漏れ出ただけだった。
「そんなバカな……」
◇ ◇ ◇
『倉庫』の中から食料が面白いくらいに無くなっていく。こんな経験は初めてだとカイは思っていた。襲い来た魔獣も美味しくいただいているのに、避難民たち三百五十名分の胃袋はそんなものでは満足してくれない。
「ある意味、痛快だね」
「笑い事じゃないですよ」
ケラケラと笑うカイにベイスンは窘めるように言うが、皆を支えているのは彼の『倉庫』であり武威であるので責めるなんてできるわけが無い。
「僕たちはどうやってあなたに報いればいいんですか?」
「子供がそんなことを気にしちゃダメだ。これは僕の自己満足みたいなものなんだから」
確かに彼は全てを救ったわけではない。強制連行された民は様々な所で厳しい労働を課せられているだろう。それを口にした時のカイの無力感に彩られた顔がベイスンの胸を打つ。
(この人の頭の中ではどれくらい大きな世界が広がっているのだろう?)
全体を捉えるように思考することができる。自分はそんな大人になれるだろうかと自問する。
追手を警戒して荒野を進んだ一団も、ホルツレイン国境付近では街道に戻っていた。無闇に侵入すればさすがに国境警備隊も見逃してはくれまい。その代りにトレバ側にも警備隊が存在するのだが、それは四人が一蹴してしまった。
彼らは容易に関を越えていく。その先には待ち受けるホルツレイン国境警備隊の姿がある。進み出たカイが彼らに語り掛ける。
「指揮官の方はどなたですか? 僕はこういう者です」
彼が懐から出して差し上げたレリーフは、警戒する警備隊に劇的な変化を与えるのだった。
両国境にまつわる話です。本来別々の話だったのですが、思い付きでワンセットにしてしまいました。関連付けたほうが面白いかな、と思って。ただ、フリギア側の局面は当分放置になるので忘れられなきゃ良いなという思いは有ります。




