届いた手
「どういうことです、陛下?」
カイはこの戦争の予兆に関してホルツレインは静観するものと考えていた。それに反してホルツレイン国王アルバートは介入すると言う。
現状分析はカイもクラインと大差ない。早期発覚と対応でフリギアは小揺るぎもしないはずだ。ならば介入には根拠があるべきだし、大義が無くてはならない。
西方三大国全てが動くのだから他国の目は警戒の必要はない。それでも戦争が非生産的な消費活動である以上、国民に対する大義は必要なのである。
【未だ内々の話ではあるが、フリギア王国との安全保障条約の締結は決定事項なのだ。余はそれを根拠に、トレバの後背を脅かしてフリギアの援護を行う方向で協議を進めておる】
「安全保障条約……。介入ですか……」
【そなたは反対か?】
「いえ、陛下の御決断ならば異は無いのですが。元は抑止力とお考えのことでしょうね?」
ホルツレイン・フリギアの東西大国が安全保障条約を結べばトレバ皇国は中央で孤立を深める結果になる。彼の国は相当追い詰められようが、常に二正面作戦を考慮する必要があればおいそれとは動けなくなるのも事実だ。
それを抑止力とするのは良い方法だと言えるだろう。
【無論だ。一輪も掛けず、大々的に調印式を行う段取りで条項の詰めに入っていたのだぞ】
「そんな時にこれですか」
安全保障条約という派手な看板を掲げてトレバを釘付けにするつもりが、先に動かれてしまったのだ。否応無しに次の段階に考え方を移行せざるを得なくなったホルツレインは介入の方向で動こうとしている。
この決断は、出兵による戦火の拡大が目的などではなく、戦争の早期終結を目算したものだと容易に想像できる。
「出兵には大きな問題は無いと僕も思います。ガラテアさんなら無闇に突っ込むことなど考えられませんし、遠話器があれば陛下が戦況操作を行うのも難しくはありません」
【その辺りは現場に一任するのが順当であろう。余にも考えがあるがそれが通るかどうかは解らぬ。決まったら知らせよう】
「ご配慮ありがとうございます。何かご要望がありましょうか? こうなれば戦列に加わるのもやぶさかではありませんので」
【うむ、助かる。だが今はトレバの国内状況が知りたい。無用の締め付けが彼の地の民を苦しめるだけなら加減が必要であろう?】
国王は既に戦後のことも考えている。講和条件がトレバ皇国民を苦しめ殺すだけの結果になるのは本意ではないのだ。
「そうですね。僕も噂以上のことはまだ把握しておりませんが、道すがらに見えた耕作地の様子はお世辞にも良いとは言えないように思えました。確認が必要ですが、最悪既に手遅れかもしれません」
【それほどか。急がねばなるまいな】
「はい」
トレバの国内状況の悪化にも配慮する辺りにアルバートの優しい人柄が窺える。
「陛下ならお間違えになることは無いと確信しております。何かあればご相談ください」
【頼りにしておるぞ】
挨拶をして遠話を終わらせたカイは瞑目してしばし考える。今はまだ彼がこの暗雲の行く末を案じる必要は無い。両国は既に明確に対応している。
カイはいつどこに自分が居るのが最も有効に作用するかを考えていた。
◇ ◇ ◇
少年の生まれたコータマス村は農村としては大規模なほうだった。
農家の習いで物心ついた頃からは畑の手伝いはしなければならない。とは言っても最初は精々雑草取り程度だったが、それでも父母の助けになるのは彼にとって嬉しいことだ。
自由になる時間もそれなりにあり、村の子供たちは集まって皆で遊ぶ。ただの追いかけっこから隠れんぼや石蹴り、皆で意見を出し合って細かいルールを決めて地面に描いた図形に小石を投げ込んで点数を競う遊びなど、幾ら時間があっても足りないくらいに彼らは陽々を楽しんでいた。
少年と特に仲が良かったのは隣家の少女で、名をメイベルという。二人は一緒に居ることが多く、時折り他の子供たちに冷やかされたりもしたのだが、少年は照れから距離を取ったりはしなかったし、メイベルに至っては満更でもなさそうな様子を見せるので、からかい甲斐は無かっただろう。
「凄いね、ベイスン。また勝ったのね」
「うん、練習してるから」
「陣地取りならベイスンに勝てる子は村には居ないもんね」
メイベルは、彼が頭を使う遊びに関しては非凡な才能を発揮するのが嬉しいようだった。彼女にしてみれば想い人が村一番というのは自慢だったのだろう。
子供たちはそれなりに幸せに暮らしていたが、大人たちは深刻な問題を抱えている。お国が隣国のホルツレイン王国に敗れてからは、税額は上がる一方なのだ。畑の維持はもちろん、余り時間にも開墾に励んだりもして、懸命に努力を重ねて納税してきたがもう限界が近い。
それでも容赦なく上がっていく税に皆が悲鳴を上げる。
本来、村の人口に対して耕作地は限られているのだ。労働力と考えられる子供は多いほうが良いが、成長すれば所帯を持って分家していく。耕作地も分けるしかなく、一軒当たりの耕作地は減っていき、税額だけが増えていく。このジレンマに対抗できる方策も無いままに彼らは困窮していく。
そして限界点を迎えた時に税を払えなかった者が、徴税官の連れてきた屈強の者の手によって連れ去られた。
様々な憶測が飛び交う。曰く、兵役を課せられて戦場に駆り出されていくのだと。曰く、皇都の土木作業に従事させられるのだと。曰く、鉱山に連れていかれて鉱夫として働かされるのだと。
それが口減らしになって村は僅かながらの延命の時間を与えられる。彼らはもう、次が自分の番にならないよう天に祈るしかなかった。
しかし、無情にもその時はやってきた。ベイスンの父母も白焔が落ちきるまで作物の世話を頑張ったり、工夫を凝らしたりもしたが、納税に足る収穫を得ることができなかった。
ベイスンは父母と共に馬車に詰め込まれていずこかへ連れられていく。その中には隣家の親子も含まれており当然メイベルも居たのだが、不安に苛まれる彼らにとって心強さなど感じられない。
数陽の後に見えてきた景色は、山々のそれであり、その谷間から立ち上る幾筋のも煙だった。噂の一つは正鵠を射ていたのだ。
街の名はツルミエット。典型的な鉱山街である。彼らは鉱夫として強制労働させられるのだと悟った。
ツルミエットでの暮らしは過酷の二文字そのものだ。
父親は鉱山に、母親は街の精錬所の下働きに連れていかれる。ベイスンやメイベルも坑口まで運び出された鉱石運搬に駆り出された。
昼の白焔が昇って暮れるまで延々と働かされる。暗くなって労働から解放されても与えられる食事は、小さなパン一つと具を探さなければならないようなスープの一皿だけだ。それでも彼らは肩を寄せ合い、互いに励まし合って頑張っていた。
或る時、ベイスンは小声で脱走を提案もしてみたが、両親はここを逃げ出したところで荒野で魔獣の餌になるだけだと彼を諫める。それも事実だとは思うが、まだ体力のあるうちなら運を天に任せられるのではないかと考えていたのだが。
ベイスンの父母は見る見るうちに痩せ細っていった。育ち盛りのベイスンに僅かずつなり自分の食事を分け与えてくれていたからだが、彼自身も体力が落ちてきていると感じられる。
或る陽、父が坑口から両足を持って引き摺り出されてくる光景を目にする。急いで駆け寄ったベイスンだが、既に父は虫の息だった。縋り付く彼の目の前で父は徐々に冷たくなっていった。
母も帰ってこなくなった。作業場で倒れて臥せっていると聞いたが、数陽後に死んだと聞かされる。死に顔さえ見ることが叶わなかった。
雑魚寝なので泣き声を上げると怒鳴られる。誰にも貴重な睡眠時間なのだ。ただ毛布を噛み締めて嗚咽を堪える陽々が続く。寄り添ってくれるメイベルだけが僅かな救いだった。
そうなのだ。まだ彼には守らねばならないものがある。唯一残った彼女の存在だ。
その陽も黙々と鉱石運びをやらされている。だが、メイベルの様子がおかしい。ふらふらとして足元も覚束ない。支えようとしたが間に合わずに鈍い音を立てて倒れ、鉱石をばら撒いてしまう。その様子はすぐに監視役の目についてしまった。
倒れて動けないメイベルに罵声を浴びせて、手にした棍棒を振り上げる。あんな物で打たれれば骨が砕けてしまう。当たり所が悪ければ最悪の事態も有り得る。
(もうあんな思いは嫌だ! 届け!)
ベイスンは父母のことを思うと居てもたってもいられなかった。彼の手は届き、メイベルを身体で庇うように覆い被さる。
(今度は間に合った。これで思い残すことは無い)
襲い来るであろう痛みを覚悟しながらも、ベイスンの顔には笑みさえ浮かんでいた。
グシャリと湿りを帯びた衝撃音が響く。しかしベイスンの身体には痛みが伝わってこない。瞑っていた目を上げると、そこには地に叩き付けられた監視役の頭と無骨な手甲、その先に黒髪の青年の案じるような顔があった。
その青年が声を掛けてくる。
「大丈夫かな?」
ホルツレインの決断とベイスンの話です。うーむ、暗い。意識的に台詞を最小限にして地の文だけで描こうとしたら、余計に暗くなってしまった。でも、ベイスン視点にしないと悲惨さが伝わらないし、仕方ないでしょうな。




