セネル鳥の護符
「という理由で、利用していませんでした。この魔法陣自体は結構前に完成してたのに」
もちろん、ここでお披露目したのにも理由がある。もう一枚、40メック四方のスカーフくらいの布を取り出して続ける。
「むしろこっちのほうで苦戦してたんだよね」
「これにも魔法陣ですか?」
「そう。こっちは魔獣除け効果除外の魔法陣」
魔獣除け魔法陣に比べて、割と単純な構造の魔法陣がそこに描かれていた。
「魔獣除けそのものは魔法散乱でも抵抗できるんだけど、あれは効率悪くて常時起動向きじゃないし、内側からの魔法も減衰しちゃうから使い勝手悪いんだ」
「ですよね。フィノも使う時は一時的に展開するだけですもん」
「うん、だからこれは効果除外だけに特化した記述。一度起動すれば維持魔力は微々たるもんだし、そのほうが良いでしょ」
「でもこれ、すっごく細かいですよ。大変だったんじゃないですか?」
「思いつくまではね」
「凄いなあ。フィノもこんなの書けるようになりたいですぅ」
実際にはこの獣人の少女は驚異のスピードで魔法文字を習得している。それを考えれば、同じレベルまで達するのにそう時間は必要ないだろうとカイは思っていた。
手招きされたリドが、遊んでいたイエローの背中からやってくると、除外魔法陣に触れて起動させた布を三角に折って首に巻き付ける。三角の角を背中に垂らして首下で結んでやる。
「あら、可愛いわよ、リド」
「ちゅちゅーい!!」
喜んで駆け回った後に、カイに駆け上って頬にスリスリ。
次にはセネル鳥たちも手招きする。
「彼らにはどんなのが良いかなって思って考えていたんだけど、ピカピカ大好きの子たちには護符方式にしてみたんだ」
首にフィットするように湾曲している菱形のミスリルプレートを取り出す。それが伸縮性の高い皮ベルトで首に巻ける構造になっていた。
「キュルルリー!!」
表面には彼らの紋章が装飾されている護符をパープルに巻いてあげると大喜びする。本当にピカピカ大好きだとカイは思っているが、実は敬愛する主に物を貰うのが一番嬉しいというのには気付いていない。そちらの方が彼らには大事なことなのだ。
「除外魔法陣も裏に刻印してあるけど、本来の護符としての機能も無いとつまらないから小細工してあるよ」
「あれは何だったの?」
チャムは裏側に魔法陣以外の刻印も連なっているのを目ざとく見つけていた。
「あれね…」
一つの刻印は魔法防御魔法光盾。こちらは任意起動できるようにしてある。セネル鳥の意思でも起動できるし、起動線を引いてある皮ベルトに騎乗者が魔力を流す事でも起動可能だ。
もう一つは自動復元の魔法。必要時に自動起動する刻印になっている。
「よほど大きな怪我でない限りは自動回復できるようにしてあるからね」
「キュキュッ!」
良い返事が返ってくると、いきなり翼の羽根を一枚クチバシでむしり取る。皆が「ええっ!」という反応をする中、羽根はあっという間に復元された。
「確かにそういう風に作ってあるけど、無茶しちゃダメだよ?」
「キュゥ…」
軽く注意されて凹むが、カイは信頼の証のようで嬉しいので、頭を撫でてしまう。
誇らしさに胸を張り、仲間たちに見せびらかすパープル。当然、物欲しそうな視線がカイに集中する結果になる。
「解ってるよ。みんなの分も作ってあるから」
ブルーには同じデザインの菱形の護符を、イエローとブラックには半盆状の優美なデザインの護符を着けてあげる。
「キュリリッ!」
「キューイ!」
「キュキューイ!」
口々に感謝らしき鳴き声を上げた後に、彼らは喜びに大騒ぎしている。
「大好評みたいで良かったわね」
「騎乗戦闘になると彼らが一番危険だからね。ずっと気になっていたんだ」
「ああ、これで安心して乗れるな」
「あんたもたまにはブラックに何かしてあげなさいよ」
「あー、そりゃそうだなぁ。考えとくが、俺にゃ細工物は無理だから、街に着かんことにはな」
理解していない大男に呆れ声が漏れる。
「別に物じゃなくって、ねぎらいの言葉でも良いんじゃないの?」
「う…」
「こんな気が利かない男はダメよねぇ、フィノ」
「はぁ、まあ」
トゥリオは落胆の背中を見せるしかできない。
「これで今夜からゆっくり眠っていいわけね」
「嬉しいですね。睡眠不足は美容の敵ですもんね?」
「そうよ」
最近、フィノは外見にもずいぶん気を掛けるようになってきた。
皆が折に触れて可愛い可愛いと褒めるものだから、多少は自覚が出てきたようだ。小まめに髪を梳るようになったし、チャムからお下がりの鏡をもらってよく覗いていたりする。
元々愛らしい彼女の容貌も磨きがかかってきたと言っていいだろう。パーティーの中にはそれが気が気でない人物も居るのだが、放置されている。
焚き火を囲んでワイワイと楽しく食事をした後の寛ぎの中で、フィノは本当に幸福を感じていた。
よく面倒を見てくれるチャムは、今陽は当番だった夕飯の出来をカイに訊いて良い返事を貰ってうんうんと頷いている。
そのカイは自分のマルチガントレットの爪に、鎧片の金属箔でコーティングしながら皆の言葉に相槌を打ち、ニコニコしている。
トゥリオはこういう時は黙ってお茶の香りを楽しんでいることが多い。時々挙動不審な時もあるけど、いつも頼もしい背中を見せてくれている。
これまでは辛いことも多かったけど、今は心が満たされている。神様はこんな獣人にも配慮をくださるらしいと感謝を捧げる。
これからの自分には何が待っているのだろう? 旅する時も、遊ぶ時も、戦う時も、自分にはこんなにも心強い仲間が居る。良い天気の下でも、雨に降られても、笑い合う時も、もしかしたら涙する時も、いつも一緒だ。
世界の彩りが変わってしまうほどの幸運に、フィノは生まれてきた喜びを心から感じていた。
◇ ◇ ◇
草原を駆ける彼の足には迷いが混じっていた。
その先を夢想して駆け出したはずだが、様々なことが脳裏をよぎる度に足が重くなっていく。大きな覚悟で見据えた前が、意思が少しずつ削り取られていくように頭が下がって行ってしまう。
いつの間にか地面を見つめて立ち止まっている自分に気が付く。歯を食いしばってまた一歩踏み出し、動きたがらない足を叱咤して駆け出す。そんなことをずっと繰り返していた。
彼の住んでいたカラパル郷にも新しい風が吹き込んできた。郷の周囲の開墾が進み、そこにナーフスが植え付けられていく。
魔獣を狩らねば生きていけない北部にありながら、それを最小限に抑えて生きていける。そんなことを朗らかに笑いながら長が言う。
それでは彼は困るのだ。
もう数輪もすれば狩り手になって、この胸の内を全て魔獣にぶつけられるはずだった。なのに、皆が危険を冒さずに生きていけると喜んでいる。自分だけが肯うことができないのだ。
閉塞感に押しつぶされてしまいそうになる。急に未来が真っ黒に塗りつぶされる。当たり前に感じていた将来が脆くも崩れていく。あのまま、あそこに居れば何も感じないまま笑ってしまいそうになる。
絶対に忘れてはならないことを忘れてしまう。それだけは耐えられない。
顔を上げろ! 前を見ろ! 魔獣を狩れ! それこそがお前の生きる理由だ!
奥歯を噛みしめて駆け出そうとする。
その時、目の前に騎鳥に乗った人族が目の前に居ることに気付いた。
不思議そうな眼差しが彼に注がれている。
「どうしたのかな、君は?」
目を瞬かせてその人族を呆然と見上げる。
なぜなら、それは彼が目指すべき存在だったからだ。
護符の話と新しいエピソードへの助走です。こちらはあまり長くならない筈ですが、少し重めの話になる予定です。ある意味、この先の或る章の伏線みたいな位置合いになるかもしれません。




