スーチ郷の罪
良く熟れたナーフスは皮を剝くと甘い芳香を漂わせる。ひと口齧り取ると柔らかい食感と深い味が口内を支配する。
「これは確かに美味いですね。ねっとりとした甘みにほのかな酸味が何とも言えない」
「お出ししたのは密林群生地で採れた物ですが、郷のナーフス園でも同じ物が育っています」
キルティス・クラビットは出されたナーフスの味に感心していた。
これほどの産物が獣人居留地に隠れていたとは思いもよらない。珍重されているのは単に希少性からくる優越感が話に尾ひれを付けているだけだと思っていたのだ。
「こちらも食べてみませんか?」
次に出てきたのも見たままのナーフスだったが、こちらは焼かれている。トリマイの許可を得て、ナーフス園から十分な大きさに育った果実を採ってきてもらって、焼いて軽く塩を振って味付けしたものだ。
「これは純粋にここで育てた出荷品と同等のものだと思ってくださって構いませんよ」
「この食感は!? でも濃厚な甘みが塩で助長されて…」
「そうなんです。実はナーフスの主な成分は芋と同じ物なんです。だから加熱するとこのように芋と同じホクホク感が出てきます。それでも味はやはりナーフスのもの。加熱用の料理素材にも使えるんです」
これがバナナと同じナーフスの長所だ。
調理用素材であり果実でもあり、極めて広い用途を持つ食材足りえるのである。日本では単に果実やスイーツ材料と考えられがちだが、世界では料理材料として扱われることも少なくない。
「どうです、トリマイさん。十分な大きさに育った物だけでも試験的に出荷してみませんか? もちろんレレムにも相談してみなければなりませんが」
「そうですね。検討してみたほうが良いかもしれません。クラビット氏にも商売として成り立つ感触を得てほしいですし」
「良いんですか? これは是非あずからせていただきたいと思います。少し工夫すれば十分に商品になるはずですから」
キルティスも乗り気だ。
「熱心なのは嬉しいんですけど、実はまず王城に納品する手筈になっていて、そこはもう動かせないのですよ」
「はい? 王城にですか?」
実はナーフスが根付いた段階で栽培の成功をほぼ確信した彼らは、既にバルトロに頼まれて王城への納入を約束してしまっていた。
「トゥリオが間に合えば一筆書いてもらうのですが、間に合わないようなら僕の名前で書状を渡します。それで王城へは納品できるはずですので」
「それはちょっと荷が重いのですが…。いえ、そこまで段取りができているのでしたらきちんと買い取らせていただきたいと思います。では長がお戻りになられましたら、価格の相談をさせてください」
キルティスは、最初はこの商談を賭けみたいなものだと認識していた。しかし、蓋を開けてみればあまりに分の良すぎる賭けであるのに心が湧き立つのを感じる。
これは間違いなくチャンスだと思っていた。
◇ ◇ ◇
三陽後、レレムが長会議から志願者の長たちを連れて帰還する。
長たちはデデンテ郷のあまりの変わりように声も出せないでいた。
デデンテ郷を囲んでいるのは彼らもよく見知ったナーフスの林であり、明らかに育ちつつある果実も認められる。百聞は一見に如かず。彼らの疑惑は完全に払拭され、それを向けてしまったレレムに謝罪するしかない。
興味の中心は既にナーフス園の管理のほうに傾いていたが、それさえもほとんど必要ないのが実情である。何せ、自生している物をただ移植しただけなのだ。乱暴な話、放っておいても幾らでも育つ。
「この通り、一往もしないうちに相当量の収穫が望めるような状態です。既にツレ芋畑は縮小方向にしてありますので、主食はナーフスに移行していく予定です。それでもおそらくは収穫のピークには余ってしまうほどだと思いますので、検討中の契約商人が決まり次第、出荷を考えております」
「「「おお!」」」
「ナーフスの欠点を強いて言うならやはり保存の利かないところですね。その辺りは少し工夫の余地があるでしょう」
レレムが長たちを案内してナーフス園を抜けて郷の入り口まで辿り着くと入り口でトリマイが待っていた。仔猫たちの先触れを受けた彼が迎えに出てきていたのだ。
「ご苦労様でした、トリマイ。急ぎの用は有りませんか?」
「ええ、少しお待ちください。今、こちらに来てくださるそうなので」
しばらくするとカイ達がキルティスを連れてくる。
「お初にお目に掛かります、長レレム。当方、キルティス・クラビットと申します。レンギアを中心に隊商長をさせていただいております。この度、こちらのトリマイさんより良いお話をいただきましたので、是非ご相談させていただきたく思っております」
「これはご丁寧にどうもありがとうございます。今はお客様をご案内しておりますので…、そうですね。そちらが宜しければお話のほうも御同席させていただければ彼らも参考になるのですけれど?」
「はい、それは…」
「フィノ! お前、フィノなのか!?」
話を遮って響いた声はかなりの驚きを含んでいた。
◇ ◇ ◇
商談の邪魔になりそうなので、大声を上げた御仁をチャムが連れ出す。少し離れた人目に付かない所で話を聞く事にした。
「どういう関係なのかしら?」
「あの…、こちらはスーチ郷の長でムジップ様です」
初老の犬系獣人を指して紹介する。
「長、ご無沙汰しております」
「間違いなくフィノなのだな。良かった…。元気そうで。ムジップは心配で…」
「フィノを追い出した郷の頭の台詞とは思えないんだけど?」
チャムは怒りを隠さないで問い詰める。
「チャムさん、長がそう仕向けたわけでは…」
「何と言われようと申し開きもできん。結果的にはお前を放逐する形になったのだ。皆を止めなかったムジップの罪は深い」
「解っていてなぜ止めなかったの?」
「ムジップが長になってからスーチ郷は困窮を深めるばかりだったのだ。どの連も不満を溜め込んでいて、その捌け口がフィノに向いてしまった。それを無理に阻もうとすれば、次にその不満が向くのは長であるムジップになる。それが恐ろしくて何もできなかった…」
ムジップの顔は苦渋に歪んでいる。この四輪近く、彼は後悔に苛まれ続けてきたのだろう。
「フィノが居なくなってから、今度はいつアサルトに見捨てられるかと思うと、もう…」
「父さんはそんなことはしないと思いますぅ」
「だが、あのアサルトが涙を流していたのだぞ。彼の援助を失って郷は終わりだとしか思えなかった」
「父さんが…?」
「アサルト氏とは隊商用地で会いましたよ。彼は彼で自責の念で苦しんでいたようです。でも、今のフィノを見てどうやら安心いただけたようです」
「会ったのか、アサルトと?」
驚きの顔を上げてムジップがフィノに縋ってきた。
「はい、会いました。会えてよかったです。私は元気ですって言えましたぁ」
「そうか…。そうか…」
ムジップは恥ずかしげもなく涙を流している。この人も基本的には善人なのだろうとカイは思う。ただ、ちょっとした掛け違えと臆病さが彼を自縛してしまったのだ。
「済まなかった。無理だとは思うが許してくれ」
「それはいかにも虫が良すぎるとしか思えないわよ?」
「確かにそうだろう。郷の者たちも後悔ばかり口にしているが、それで許してもらえるとは思えない。一度、郷に戻って皆の謝罪を受けてもらえんか? そうでもしないと…」
「すみません。まだそれはちょっと無理です。でも、もう大丈夫だって郷の方たちに伝えてもらえますか?」
フィノの心の傷もまだ癒えているとは言い難い。それでも優しさが先に立つのが彼女という人間なのだろう。
「解った。伝えよう。いつの陽か償いができることを願っている」
「そのお言葉だけで十分ですぅ」
この場にトゥリオが居ようものなら確実に爆発していただろうと思い、胸を撫で下すカイとチャムだった。
フィノとスーチ郷の話です。フィノが過去の因縁を清算するまでを描きました。これできれいさっぱりとはいかないでしょうが、気持ちは切り替えられたはずです。ここからのフィノはちょっとああなっちゃう感じなんで、早めに決着付けとかないといけないんですよね。




