表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鴉と悪魔  作者: 勝月
2/13

第二話「願う者」

 赤い屋根の上にはティーセット。バラの花びらを浮かべた紅茶にシュガーを一つ。ゆっくりとスプーンをまわして溶かすと、そっとティーカップの縁でスプーンの滴を落とし、皿へ戻す。悪魔は美味そうに香りを堪能してから、やっとカップに口を付けた。一級品のチーズで作られたチーズケーキにも満足気だ。


 カラスはまさかそんな風に自分を待っているとは思わず、戸惑うように近くの電信柱の上にとまった。


「悪魔よ、何をしているんだ。そんなところで」


「お茶会のつもりだが、カラスはこういったものは食さなかったかい?」


「私はあんたに謝ろうと思ってきたんだ。この前のことはあんたの言う通りだった。だけど私にあんなことを言ってくれる者は、あんたが初めてで、ショックを受けてしまった。反省している」


「ほお、それは良かったじゃないか。見られてもいない者に見られたと思い、嫌な想像をしなくても良くなれば、お前は少し、幸せになるだろうよ」


 幸せになる。


 悪魔が口にしていい言葉かどうかはともかく、カラスはそれに突き動かされて、悪魔の隣に降りた。そんなカラスの目を悪魔はのぞきこみ、チーズケーキの皿に乗ったチェリーを、カラスに寄こしてきた。


「願いがあるのだろう。それをこの俺に言うつもりなのか。酔狂なことだな。俺はあまり、お前に役立つとは思えないが」


「私に真実を語る者はお前だけ。悪魔であってもそれはいいんだ」


「俺は真実を語りすぎる。強い毒は死を呼び込むだけで、扱いを知らぬ者の前では、決して薬にならないのを承知しているのか?」


 魂と交換に願いを叶えると噂される悪魔が、やけに慎重な態度を取る。それに苛立ちながら、カラスは負けじと悪魔の美しい瞳を見つめ返した。自然と涙が零れ落ちる。


「私は自分を変えたいのだ。卑屈に自分を貶めたくない」


「性格を変えたいと? それはまた難しい願いだな。困難も多いだろう」


「あんたのように強くなりたいんだ。自信を持てるようになりたい。そのためなら困難も乗り越えてみせる」


 泣いて泣いて声を詰まらせながら訴えるカラスは、恐れていた悪魔のまっすぐな瞳も見えなくなるほど、視界を涙で曇らせた。見ていても何も見えない世界に、カラスは大声で叫んだ。


 これ以上本気で望んだ事などない。魂が震えるほどソレが欲しいのだ。


「どうやら本気の願いらしいな」


 激しく泣いて嗚咽を漏らすカラスを電信柱から下ろして抱いてやると、頭をなでて、悪魔は優しく笑んだ。いっそ神の使いにすら思える。


 だがそれとは反対に、口調はやや厳しく、悪魔は条件を提示した。


「協力してもいい。ただし、俺はお前が聞きたくないような事を限りなく話すだろう。お前が今まで気付こうとしなかった、お前が嫌悪される理由の数々を、俺は包み隠さず教えていく。それでもお前は私を信用し、信頼し続ける事ができるのか?」


「それは分かっていて頼むんだ。真実を教えてほしい。それを聞いて私は私を変えていくから」


「俺は目的のためなら、お前にウソもつくし手段は選ばない。それでも?」


「私は絶対に信じるから、お願いだ」


「俺は悪魔だ。俺の囁く言葉のために、お前が壊れることもあるだろう。覚悟はあるのか?」


「ある」


 カラスは必死に声をふりしぼった。今を逃せば二度とないチャンスに思えるのだ。


 ほんの数秒、悪魔は顎に指をあて、考えるしぐさをして見せたが、やがてカラスを両手で抱き上げた。


「では俺はその言葉を信じよう。これ以後、今日のお前を信じ続け、決して俺からは裏切らない事を誓おう」


 儀式のように宣言をして、悪魔はカラスの額に、形の良い唇を押し当てた。契約のサイン代わりに。




 カラスは何度も死のうと思ったことがある。


 住宅の窓ガラスに突っ込んでみたが、いざとなると加減をしてしまい、軽い傷しか作れなかった。


「自殺未遂? それはそれは」


 その傷を見ても、悪魔は眉一つ動かさなかった。それでも、この悪魔の特徴的な紫の瞳は、カラスを侮蔑していた。


「私はイジメにあっていた。同じカラスの仲間にも好かれず、他の動物達にもバカにされて、とても辛かったんだ」


「ならば、きっちりと死んでみせてやれば良かっただろう」


「え・・・・・・?」


「何度も同じことをしてみたけれど、死に切れなかった。それは、同情を集めたいだけの行為だ。誰かに、自分がどれだけ不幸かを、知って欲しいというだけだ。お前には、命をかけて振り向かせる気力もなければ、全てを自分勝手に捨ててしまえるほどの、絶望もない。あるのは自分への哀れみ。常に被害者であることへの執着」


「けれど、私は確かにイジメられてきたんだ。突然蹴られる辛さが分かるか? 殴られること、仲間はずれにされること、この土地に移るまでの間、どれだけ私が悲惨な目にあったのか」


「カラス。お前は本当にバカだな」


 悪魔の無神経さに、カラスは一瞬、言葉を失った。


 誰かに蔑まれた者を、悪魔はバカだと決め付けるのだ。


「私をバカにするのか。私は本当のことを言っているだけなのに」


「ならば問う。移り住み、以前のお前をここでは誰も知らないというのに、なぜお前は友人になった者を影で悪く言いふらし、見知らぬ者まで自分を侮蔑していると決め付けた? お前はその点においても被害者でいるつもりなのか」


 からかうような口調で悪魔はカラスの急所をついた。カラスの視線が泳ぎ、反論をどうにか構築する。


「ずっと見下げられてきたから、友達だと思っても信じることができない。仕方ないではないか」


「仕方ないですまされる方は、たまらないだろうな。今の友人は過去にお前をイジメた連中じゃない。それをお前の私的な恐怖で恐れられ、裏切られているのでは、お前を嫌いになっても無理はない。お前が今の友人に嫌われるのは、そのためだ」


「だって」


「被害者がいつまでも被害者でいられるワケではない。いつだって、どちらにもなれるのが、命ある者の運命なのだからな。お前は変わりたいのだろう? ならば、そういう事実を自覚することだ。そうでなければ、お前が誰かに好かれるはずなどないと知れ」


 悪魔の言葉は、研ぎ澄まされすぎた剣だ。まったく隙を作らず、的確にカラスの心臓を狙う。あまりの痛さにカラスはうなだれた。


「私は醜いと嘲られたんだ。姿が、声が、存在が醜いと」


「それはお前の口癖で、最大の言い訳だ。この世の醜き姿のモノ共が、全てお前と同じように殻に閉じこもり、世界を呪ってはいない。それどころか、多くの者を救う光となる者も数多い」


 ふと気付いたように、悪魔はうつむいたカラスの顔をのぞいた。


 悪魔はよく瞳をのぞきこんでくる。のぞきこまれると、カラスは自分の心の内が全て、悪魔の紫の瞳に暴かれてしまうという恐怖と不安に、否応なく飲み込まれた。


 何かに選りすぐられた者のごとく、悪魔は万人の認める美声で悪夢を囁く。


「お前の姿は確かに醜い。だがお前は、私は醜いと自分から口にすることで、それを否定してもらおうとしている。本当は表に出すほど自分を恥じてはいない。なぜならお前は、お前の過去を知らない他者に哀れっぽく昔を話して聞かせれば、皆信用して同情を投げかかけてくることを知っているからだ」


「そんなことは・・・・・・!」


 言葉に詰まる。


「否定をしても無駄だ。お前の心は実は自覚しているじゃないか。ずっと前から分かっているんだろう。それを言われて思わず首を振ってみても、俺の言葉を覆せはしないんだ。これはお前の中の真実だから」


 悪魔は少年のごとく無邪気に笑った。


「そして俺を怖がっているな。そんなに怖いか? 真実と相対せずに、どうやって自分を変えるつもりだ? お前の心は渦巻いてる。俺には見える。俺には分かる。俺に全てを言い当てられ、逃げられなくて、それでも逃げ場を探して足掻いている」


「やめて、やめてくれ!」


 カラスは溢れる涙を止める事ができない。醜さを、汚さを、露呈する涙だというのに。


「俺はやめない。たとえお前に嫌われようと、俺は俺の役目を果たす。お前にない覚悟なら、俺はすでに持ち合わせているんだよ」


「あんたの瞳が怖い。全てを見透かされるのが怖い」


「汚いお前が暴露されるから? 俺はもう、お前がどれほど醜悪かを知っている。気にするな。だがな、いいかカラス」


 精神の汚泥を流し続けるカラスを、視線で捕らえたまま、悪魔は得意げに断言する。


「お前の心の奥底の、美しい光が俺には見えているんだぞ」


 それは、何億光年も先にある星の光ほどに遠いが、確かにそこで、自ら輝いているのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ