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鴉と悪魔  作者: 勝月
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第十話「怒る者」

 カラスがつけた体中の傷は、元々肌の露出部分が少ない服装のため、目立たないようだ。普通の人間なら、痛みで無様な動きになるところだが、悪魔はいつもとまったく変わらず、優雅にティーカップを口に運んでいた。


 きっと普通の生物ではないから、痛みも感じないのだろうし、傷も早く癒えるのだろう。カラスは決め付けて、罪悪感を羞恥心と共に放り出していた。


 今はそれどころではないのだ。


 黒猫が情けない顔をして、すっかりしょぼくれていた。この黒猫とは最近知り合ったのだが、人間たちから忌み嫌われるという共通点から、カラスは親しみを感じていた。なので、黒猫の悩みを聞いてやろうとしている。


「子供が生まれた。可愛いと思う。でも、どう愛していいか、僕にはわからないんだ」


 飼い猫だった母親に育児放棄され、飼い主にも兄弟たちと共に捨てられた。通りすがりの人間たちが、時々兄弟を連れて帰る。黒猫は、ただ寂しくて悲しくてお腹がすいて、ずっと鳴いていた。けれど、黒猫だけは誰にも助けられる事はなかった。


 どうやって生きて来れたのか、今となっては思い出せない。夢中で生にしがみついて、ただ死にたくなかった。人間にイジメられる事もあった。他の猫に噛み付かれた事もある。それでも黒猫は一匹で生きていた。


「愛された事がない。だからどう愛したらいいかわからない」


 カラスは言ってやった。


 親になったんだ。可愛いと思ってるんなら、遊んでやればいい。可愛いと言ってやればいい。簡単じゃないか。私も昔はそのやり方がわからない時期もあったが、自分で頑張って、人に親切にする事を覚えたんだ。私が力を貸してやるから大丈夫。あんたももっと自信を持てよ。頑張れ頑張れ。


 思いつく限りの言葉でカラスは励ました。慰め、時に悪魔のマネをして厳しい意見とやらを言ってみたりもした。しかし黒猫は、ずっと、いつまでもうなだれていた。


 カラスは苛立って、黒猫を悪魔のところへ連れて行った。


「どうも黒猫は相当困っているようなんだ。何か言ってやってはくれないか」


「俺はかまわないが、黒猫の気持ちはどうなんだ? 俺に何か言って欲しいと望んでいるのか」


「望んでいるから連れて来たんだ。なあ」


 黒猫は素直にうなずいた。翡翠の瞳が、じっと悪魔を見つめた。


「それはどこまでの望みだろう。慰め、励まし、意見、苦言もあるかもしれない。先に選んでくれ」


 悪魔の決まり文句だ。悪魔は簡単に相談に乗らなかった。普通は自然にそうなっていくだろう話を、先に選ばせるのだ。


 悪魔は言う。


 悩んでいるから意見が欲しい者ばかりじゃない。だが、本当は意見を望んでいる者もいる。ならば、自分の苦しみを他者に手助けさせて解決しようというのだから、最低限の責任は負うべきだ。つまり、選択を。


 黒猫は目を丸くしてから、全てと答えた。そしてカラスに話したように、悩みを悪魔に打ち明けた。カラスからすれば、もう一時間以上もやり取りを繰り返しているので、最後には繰言になってしまった問題だ。悪魔がどう意見するのか興味があった。


「言いたい事は、それで終わりか?」


「う、うん」


「では言わせてもらおう」


「うん」


「黒猫、お前はバカだな。お前の悩みはくだらない」


 と、悪魔は黒猫の前にミルクの入った皿を差し出した。黒猫はその皿に気付かないほど驚いた顔をした。悩みで暗くなっていた影さえ、身を潜めるほどに。


 悪魔はくすりと微笑んだ。


「お前の過去は不幸だ。悲しく、辛かっただろう。だが、愛を知らないと思い込んでいるだけだ」


「そんな事は・・・・・・」


「ないとでも? では、お前が妻と屋根の上でデートをしていた時、それから夫婦になった時、愛は欠片も存在しなかったとでも言うつもりか」


「あ・・・・・・」


「知らない事は恥じではないが、お前は知らなかった過去を恥じているだけで、今は愛情を知っている。子供たちを愛していると言ったではないか。あの小さきモノを思え。守ってやりたいと思うのだろう。まずは、自分が愛情を知っていると、自覚するといい」


「自覚。うん、そうだな」


 心臓が痛む。カラスは呆気に取られながら、それを感じた。あれほど沈んでいた黒猫が、姿勢良くまっすぐに悪魔の意見を聞き、励まされているのだ。カラスが時間をかけて話しても変化は一度もなかったというのに。


 悪魔は黒猫をそっと抱き上げると、膝の上にのせた。優しく黒猫の背をなでてやりながら、悪魔は子守唄のように語る。


「自覚をしたら、後は簡単だ。お前がして欲しいと望んでいた事をし、お前がされて嫌だった事をしなければいい。子供に教えるために、あえて試練を与えなければならない時もあるが、間違えたら謝罪しろ。頑張ったら褒めてやれ。嬉しい事をしてくれたら、お礼を言ってやればいい」


「うん」


「どうだ。お前の悩みなど、あまりにバカらしいだろう。今ある愛を失ったわけではないのに、贅沢な奴だよ」


「不思議だな。あなたにそう言われると、本当に僕の悩みはバカらしいものに聞こえる」


「それはお前が、心の底ではわかっていたからだ。そうだな。その悩みを、妻に話してみるといい。妻との子供なら、お前と妻の二匹で考えていけばいい。喧嘩になる事もあるだろうが、それさえ幸福に思えるように、頑張れ」


「うん」


 黒猫は涙を流していた。心に広がっていた汚泥を、その涙で大海へと押し出して、浄化しているようだった。その間、悪魔は黒猫をなで続けていた。


 カラスは見ていられなくてうつむいた。悪魔はカラスの欲しいものばかり、奪っていく。 真っ黒な悪魔は、真っ白な心を持っている。


 カラスはそれを思う時、感じる時、ひどく気持ちが沈んだ。どんな努力も、たやすく叶えるモノの前ではちっぽけで・・・・・・。


「どうしてあんたばかり。あんたばかり。黒猫は私に相談した時には、ただ落ち込むだけで何も変わらなかった。あんたに話したとたん、浮上した。皆言うんだ。あんたの方が説得力があると」


「お前の嘴は、嘆きの歌ばかりを囀るのだな」


 嘆息した悪魔は、不機嫌そうにカラスから視線をはずした。


「何もできなかったと、なぜ嘆く必要がある。俺と比べる必要もない。お前はお前なりに努力し、黒猫の気持ちを吐き出させてやったじゃないか」


「でも役に立たなかったら意味がない」


「意味があるかないかは黒猫が決める事だ。お前がすねて、決め付ける事こそ意味がない」


 カラスは心が押し潰されそうになった。自分が愚かだと言われるのは痛い。痛みで我慢ができない。


 悪魔はカラスの心をえぐるばかりで、ちっとも優しくしてはくれない。


「そうやって、私の言葉を聞こうとしない。私の苦しみを無視するんだ。たまには甘えさせてくれてもいいだろ」


「それならそう言えばいい。いつだってそうしてやる。思うところがあるなら、真正面からぶつけてくればいいんだ。遠慮はいらないぞ」


「ウソだ。あんたは私を否定ばかりして、許さないじゃないか。反論しても、反論される。もうたくさんだ。私は弱いんだ。あんたの言う私にはなれない」


 怒りがカラスを支配した。悪魔への憎悪と憧憬が、悪魔からもらった力を増幅させた。カラスは自分が弾け飛んだのではないかと疑った。


 悪魔よりずっと小さな体だったはずのカラスは、屋根の上に立ってこちらを見ている美しい悪魔を、空を飛んでもいないのに見下ろしていた。


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