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舞台裏






 ――――なんでもない日が、ずっと続くのだと信じていた。





 この国には、英雄がいる。

 三十年か、四十年も前に戦争で活躍した英雄が。

 建国の立役者ともいえるその人物は、今なおこの国の礎として、年に一度姿を現す。

 それは、人間で。

 それは、神様で。

 国中のだれもが憧れる「ラエンさま」。

 楽しそうに、かしましく語られるそれを、ただ横で聞き流すのが、エナの得意技だった。

 だって、エナにとっての「英雄」は、一番最初から決まっていたから。

 黒い鎧。 

 茶色のローブ。

 凹凸のない、鈍い色をした仮面。

 高い背丈は、誰よりも目立つはずなのに、いつもいつも、知らない間に現れては、いつの間にかいなくなっていた。

 人のようで、ヒトには見えない。

 似ているようでも、同じではない。

 異形――ニンゲンとは似て非なる人形、クレイドール。

 それでも――一番最初に助けてくれた。これだけは、決して揺らがない。

 記憶は、不鮮明な画像となっても……心が、感情が、刻まれて動かない。

 黒の鎧は、振り上げられた腕を、風のように攫っていった。後々、拾ってくれた導師様につたなく話せば、それは巻き込まれたってんだと、笑われた。

 あの時、エナの前から消えたのは、たぶん父親だ。

 子供なんて殴る道具だった。道具がなくなると困るから、時々ご飯をくれただけ。母親は知らない。もうちょっと生きてたらましな生活だったかも、と大きくなってから思うようになった。

 それから、ずっと。

 会いたくて、探し続けた。

 孤児院を抜け出し、街を歩き、路地裏に入り込み。会えない時もあったけれど。

 それでも。

 手をつないだ。名前を呼んだ。一緒に街を歩いた。共に眠った。どんな些細なことも全部ロアに話した。

 ――ロア。ロアがいて、ロアが来てくれたから。

 だから。

 それだけでよかった……ずっと初めましてだとしても。

 差しのべられる手は、いつも変わらなくて。

 ずっと、変わらなくて。

 出会いをどれほど重ねても。

 言葉をたくさん交わしても。

 降り積もっていかないことを……たぶん、エナは小さいころから知っていた。

 不思議な人で、一度会っても次にはエナを知らない。

 悲しくなったこともある。泣いて非難した事もある。別れれば忘れられてしまうから、行かないでと縋ったこともある。

 どれも、叶えられることはなくて。

 けれど、会えれば嬉しくて。

 辛い別れよりも、出会う喜びが大きくて……会えば、いつでも優しかった。

 黒くて大きな手のひら。ぎこちなく動く指。抱き付けば、とても固い身体。覆う鎧は、誰にでも平等に役目を果たす。触れるものを傷つけて遠ざける。

 そうと知りながら手を伸ばせば、そっと遮られたことが、一体何回あったか。

 構わないといっても。

 大丈夫と気を張っても。

 連れて行ってと懇願しても。

 決して首を縦に振らない。


 当たり前のように繰り返される明日が来ないなんて、思わなかった。




 命令に背いたクレイドールが処刑される。

 街人の間に、瞬く間に広がった噂話を、エナは青ざめた顔で導師様から聞かされた。

 隣にはシュレンがエナの手当てをしていて、エナと同じくらい顔色を変えた。

「それは……事実ですか?」

 静かな問いかけは、エナの心を代弁していた。信じたくない話だったけれど。

 導師様は、ゆっくりと頷いたのだ。

「ああ。処刑場には拘束されたクレイドールが晒し物扱いだ……見間違えようがない。あの見てくれじゃな」

 苦々しく、導師様が断言する。彼もまた、同じように疑い、同じように絶望したのだ。

 なにが起こったのか、三人には分からない。ただ一つ、あまりにもタイミングが合いすぎていることがある。エナを救済した行為が、咎めを受ける引き金になったのではないか、と。

「そん、そんな……あんまりでしょう。この子を助けたのは、偶然にしろ、罰を受けることではあり得ません」

「俺だってそう思う。あいつの……ロアの行為は、褒められこそすれ、罰されるようなことはないと。むしろ感謝してもしきれないくらいだ。見過ごされていたら、エナは一体どんな目に遭わされたことか」

 震える拳を抑え込み、導師様が唇をかんだ。

 エナは飛びぬけて美しい少女、ではない。

 それでも、青い瞳と少し薄い茶色の髪、良く笑う明るい少女は、孤児院でも人気がある。

 けれど、孤児という立場は、弱い。

 見下す人間が、いないはずもなかった。それがよもや、乱暴されそうになる、という形を取るとは、だれも考えていなかったけれど。

 助かったのは、奇跡に近い。

 だというのに。

 彼が――エナを助けたロアが、今度は死の縁に立たされるとは。

「……申し出たところで、聞き届けられるかどうか。そもそも、関係性さえ証明も出来ない」

 苦い声音に、シュレンが目を閉じた。

「ああ……エナ」

 動けなかった。心が、体が。事実と現実を拒絶する。血の気のなかった顔から、さらに蒼白となったエナを、シュレンが横から抱きしめた。

 いつでも、どこにいても、会いたくて仕方なかったのに。

 いつでも、どこにいるかも、分からなかった相手なのに。

 もう二度と、会えなくなってしまう。

 知らないうちに、瞼が落ちていた。視界は黒く塗りつぶされて、重石を付けられたかのように下へ下へと、意識が沈んだ。

 エナ、と優しく呼ぶ声がした。誰の声かはわからない。

 確かなのは、一つ。

 ロアの声でないということ。

 彼に、名前を呼ばれたことはなかったから。

 



 目を覚ました時、外はもう真っ暗で、夕食の時間さえも過ぎていた。

 様子を見に来たシュレンは、導師様がロアの処刑について、掛け合いに行ったことと、食べるなら野菜のスープが残っていることを告げた。

 エナは、ただゆっくりと首を振った。

 無意味であることと、不必要であることと。両方の意味を込めて。

 一言もしゃべらないエナに、シュレンは戸惑いを浮かべながら、手を伸ばす。額に当てて、熱を測った。顔を覗き込み、どこかに異常がないか見つけようとする。

 エナは、微笑んだ。とても弱く、儚く。

 はっと息をのみ、シュレンはエナを抱きしめた。我が子にするのと同じく、髪を梳き、頭をなでる。

 やがて、お大事ね、と笑ってから、扉を閉めた。

 エナの、表情がぬける。

 ベッドを下りた。

 木の床の上に、立つ。目を閉じて、深い呼吸を、一つ。

 瞼を上げればそこに見えるのは、シュレンが閉めていった扉がある。

「……ごめんなさい」

 誰にも聞こえない、謝罪を呟く。扉の向こう側にある、すべてへ向けて。導師様や、シュレン、孤児院の仲間たち。街の人々。

 たくさんの、思い出にも。

 強い決意を宿らせて、青い双眸が扉の向こうへ、別れを告げる。

 靴を履いた。上着を羽織る。窓の鍵を外せば、一階である部屋の外は庭だった。

 月は、十分に明るい、あと一日で満月の日だった。

 ランタンは、必要ない。


 エナは窓の外へと飛び出した。




 



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