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幕間

 子供の声がした。

 耳に触れて残った声。顔を上げれば、数人の子どもたちが歓声を上げながら走り去っていった。茶色い壁にもたれた、同じ色のローブを着た男に気付かずに。

 駆け足の音が遠ざかる。男の耳にさえ入らなくなり、聞こえなくなっても、頭の中では笑い声が木霊した。

 わずかに首をかしげる。

 なにが気になるのか、なにを気にしているのか、全く分からない。

 そんな必要はどこにもないのに――――違和感がある。

 気付けば、膝をつくようになった。気付けば、ローブを着直すようになった 気付けば、振り返るようになった。


 それは例えば、声であり、姿であり、そして……「誰か」だ。


 意識をする前に、なにかに惹かれ、なにかを期待し、なにかを求めている。

 街を歩き、街を巡れば、常にかすかな違和感が付きまとう。

「仕事」に向ける意識とは全く違う。目的もなく、無意味に探そうとする。

 求めるものなど、最初から存在しないにもかかわらず。

 ざわめきの中に拾う音を、どこかで違う、と思うのだ。




 ***




「どうした、クレイドール」

 暗がりから話しかけられても、男は動じなかった。相手は常に神出鬼没で、さらには姿さえなくても普通に会話を持ちかけてきたりもする。

 闇より現れたのは、眩い髪色を持つ、魔法使い。

「休息をとるとき以外に、君が反応できない事態なんて、ないと思っていたけれど」

「……あなたの行動は、予測が難しい」

「そうだね。愚問だったかな」

 笑みを浮かべても、どこにも明るさはなかった。美しい銀髪と瞳をもつ男なのに、相貌には翳りが強い。

「まあ、僕の魔法がついに破られたのかと思ったけれど、そんなことはないね。君は……人形(きみ)のままだ」


 ばちり、と魔法使いが指をはじくと、からりとごく軽い音がして、クレイドールから白い仮面が外れた。同時に、黒い鎧には美しい装飾が施され、茶色のローブの代わりに、緋色のマントが肩にかかる。

 金の相貌と、金の髪。精悍な顔立ちは、どこか美しい剣を連想させると同時に、表情の抜け落ちた人間離れした美貌が、いっそう彫像のそれと似ていた。

 現われた人間は……魔法使いと、とてもよく似ていた。向き合った二人は、一対にそろった人形だ。

 様変わりした男に対しても、魔法使いはただ肩をすくめた。

「今日の主役は『救国の英雄』――つまり、君だ」

「……」

「永遠なる繁栄の象徴が健在だと、民衆に示す必要があるってさ。国ってのは、どこでもなんでも大げさで、大変だ」

「……」

「でも、下敷きにしているのが――たった一人の人間だなんて、まったくバカバカしいよね」

「……」

「ねえ、犠牲された羊さん?」

「……」

 男の答えは、常に沈黙が多い。魔法使いはただ眼を眇めた。以前なら……クレイドールと呼ばれる以前の男なら、こんな軽口には厳しい叱責か、諫言か、場所によっては鉄拳が飛んできた。

「君に、この手の質問をしてはいけなかったかな。何より……今更、とても無意味だ」

 ほとんど独り言のようにつぶやく。

 すう、と息を吸い、目を細めて目じりを下げる。そうすれば、笑顔に見えると魔法使いは知っていた。

「岩みたいにだんまりだけど、それじゃあ困るよクレイドール……じゃなかった、英雄さん? 声がかかったら、手ぐらいは振ってくれないとね」

「了解した」

 命令には従う。常に、そして……絶対に。

 魔法使いがどんなに空虚で悲しい眼差しをしていようと、笑う口の端が震えていようと、なにも男には関係がなかった。

 男の中に、すでに「思考」は存在しない。ただ、命令を受け、遂行するために判断を下すだけ。

 誰よりも、魔法使いはよく知っていた。

 身体機能を飛躍的にあげる事と引き換えに、記憶障害を引き起こし、果ては人格も破壊する、魔法。

 老いも衰えもない。永遠に「時」は止まったまま。

 掛けたのは……言うまでもなく、この国でただ一人の魔法使いだ。

 ここにいるのは、かつて戦場を駆け抜け、亡国の危機を救った英雄だった、男。

 正しく――ただの人形だ。




 ***




 大仰に飾り立てられた馬車がゆっくりと城門から現れた時、歓声は一際大きくなった。

 正面に立つ、漆黒に輝く鎧と、陽光と同じ色に染められた髪をもつ人物が、応えるかのように片手をあげれば、さらに声は高くなった。

 年に一度、年の初めに行われる、凱旋を模した祝賀の行列。賑やかに過ぎた一年を穏やかに過ごせたことと、迎えた一年をまた平らかに過ごすことを願う祭典。

 沿道には街中の人々が集まり、花や小さな国旗を手にしていた。

 花吹雪が舞い、青い空に一時の色を散らす。

 男は手を挙げる。右に、左に。観衆の叫ぶ声に応えている……それは、命じられたとおりに。

 声は、音だ。

 決して、「呼び声」ではない。

 ここで、クレイドールと呼ばれることはない。

 耳を通り過ぎるのは、多くの人間の声。等しく平等に、男の感度のよい聴力が拾う分だけ入ってくる。

 どんな「言葉」も「名前」も、すべては同じで……あろうと、なかろうと、男に影響はない。ただ、声がしなければ、手を挙げるという命令を、遂行しないだけ。

 街を一周し、広場を折り返し地点として、また城の中へと同じ道を戻る。

 ただ命じられたことを繰り返すだけの「仕事」だった。

 子供が、飛び出してくるまでは。

「ロア!」

 人垣の一番前、そう叫んだ子供がいた。やや舌足らずな口調は、他の「人間」の声となんら変わりない音だった。目立つ特徴は何もなかったはずだった。

 なのに。

 小さな体が、大きな大人の足に蹴られるように押し出され、道に投げ出される過程を視界に捉えるほど長く、視線を留めていた。

 押し出された子供はとっさに立ち上がれず、馬車の車輪が近づくと周囲では悲鳴が上がった。

「危ないっ」「早く立て!」「どけっ……エナ!」怒号が人垣の中から飛んだ。

 そして男は……動いていた。

 馬車を飛び降ると、一足飛びに子供の側へ駆け寄り、すぐに抱き上げる。ちょうど通りがかった馬車の柵に手を掛けて、もう一度乗り込んだ。

 わずかな間に起った救出劇に、一瞬、当たりが静まりかえり……馬車がそこから少し離れた時に、歓声が爆発した。

「やった!」

「英雄様、万歳!」

「ラエン様!」

「さすが、救国の英雄っ」

 わあわあと上がる歓声を、男はただ見送り、子供はまだどこか呆然としながら、後ろに下がる人々と、英雄と呼ばれる男を見比べていた。

 やがて、ふふふ、と嬉しそうに笑い、男の首筋にぎゅうっと抱き付いた。

「ろあ……ロア、すごい……エナ、また助かった。ありがとう」

 ぐりぐり、と鎧に額を付ける。こすれて少し赤くなった。

「また会えた……ふふ。うれしい」

 笑う。笑う声だと、男にもわかる。

「ありがとう、ロア……ロア、でも危ない事したら、駄目なんだよ」

 大人ぶった口調と一緒に、男の頬に小さな指がちょん、と当たった。

 おしゃまでおませな口をきくようになった。


 エナは、ずいぶんと大きくなった。


 男は、そう思った。

 


 

 


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