小夜物語 small tales of long night 第19話 これは神の配意なのですか?Is this attention of God?
神よ、
これはあなたの御意思なのですか?
もし、、
そうであるなら、、
そのようになれ。
神の配意
神罰
神の恩寵
我ら肉の子の人生に
巻き起こるであろう
さまざまな事件、、事故、、災難、、不幸, 僥倖、、棚ボタ、
幸運も
不運も
来るに任せ
去るに任せるしか、、、
しょせん我ら被造物たる、肉の子には
どうしようもありませんよね?
たとえばこんな二つの家庭があるとしましょうか?
一つ目の家庭は、、、
薬局経営の老夫婦です。お二人ともかくしゃくとして健康そのものですね。
3人の息子がいますね。
その3人とも小さなときから利発で
真面目で親思いという
まさに非の付け所のないような
いい子でしたね。
成長するとなんと3人とも医学部に進学して
3人とも医者になりましたね。
長男はこの実家の薬局の近くで開業して
親孝行をしています。
次・三男はさる大学病院で
医務部長?だそうですね。
3人とも結婚していて、その子供たちも(薬局経営の老夫婦の孫ですね)
みんな頭が良くて将来は医者になりたいといってるそうですよ。
さて次の家庭は、、、
父子家庭のお父さんです。50歳です。
この方の御両親、父親は84歳でアルツ型認知症で常時介護が必要です。
母親は80歳で脳卒中の後遺症で麻痺があり、車いす生活です。
そしてこの方の一人息子は重度の知的障害があり、、
自傷や、奇声、異食、彷徨、等があるため目が離せませんね。
この方の奥さんは?
実はこの方の奥さんはこの障害児を生んだことの
自責感から、、精神を病み、、非常に不安定になり、、
この子が五歳の時、、この家を出て行った(離婚)したのでした。
さて
この二つの家庭、、、
誰かが悪かった?とでも言うのでしょうか?
それとも
誰かが、良かった?とでも言うのでしょうか?
もうこれは、、運命としか言えないでしょう?
努力したから?って
どうなるものでもないでしょう?
もうこれは運命です。
どうしようもないのです。
そうなるしかなかった。
言うならば
それは
このことは
神の御意志だった。
そうとしか言えませんね。
肉の子の罪ゆえではない。
これは神の業が照覧されたのだ。
そうです。
障害児を生んで自責感から精神を病んだ奥さんの
罪でなんかありませんね。
この奥さんに障害児が授かったということは
神の御業が
降臨されたということでしょ?
誰が悪いのでもないです。
そして
頭が良くて3人とも医者になったあのご家族も
別にあの薬局経営の老夫婦が、良いことをしたからとか努力したとか、
善人だからとかで
良い子?が授かったわけでもないです。
それが神の御意志だったから
たまたま?授かっただけです。
でもそれにしてもなんでこうも違うのか?
なぜ?
それは我ら被造物たる、肉の子の曇った視座からは
到底理解はできませんが
とにかくも
それが
今生での
吾らの運命であり
神の御意思だったという事実です。
それを
換えることなど
出来ませんよね?
かろうじて肉の子にできることは、
それは、、
禁じ手ですが
つまり、、
拒否することだけでしょう。
つまりそんな人生を返上すること、、
自殺だけでしょうね。
でも
どんな人生か知りませんが
あなたは神から?
この生を与えられたんです。
それは不条理な
不可解な
受け入れがたい人生かもしれませんが
生かされている限りは
生きることでしょうね。
生かされている?
そうです。
なぜなら
あなたには
髪の毛一本すら
あなたが作り出すこともできないからです。
すべて与えられた物ですね。
手も足も目も鼻も、、髪の毛も
すべて与えられた物です。
あなたが自分で作り出したものではないです。
なぜか知りませんが
なぜここにいるのか知りえませんが
とにかく
あなたは生かされている。
それが神の御意思だからでしょう。
だったら
我ら肉の子に
言えることは
「神よ
このことは
あなたの御意志ですか?
だったら
そのようになれ。」
ということだけでしょう。
そして生かされている限りは
その生を全うすることだけでしょう。
それが肉の子の
使命?なのですからね。
やがて
望もうが
望むまいが
死が、誰にもやって来るでしょう。
それまでは与えられた
生かされている生を
生きることだけでしょうね。