平凡な俺が穴から落ちて知らない世界に行った事情
俺の名前は伊月。
中肉中背で、特に目立つ容貌でもない。不特定多数の中にまぎれれば、見分けがつかなくなるほど平凡な容姿である。
そして秀でた能力もなくこの窓際でくすぶっているうだつの上がらない男だ。
ここに「移動」してかなりの月日が経過するが毎日することは同じ。
このまま俺は一生を終えてしまうのだろうか。
たまに自分の存在意義ってものを考えたりもする。
「黒さん、俺たちってずっとここでくすぶったままっすかね」
隣でくつろいでいる黒さんに話しかけた。俺よりも少し早くここに移動してきた彼は、俺の先輩にあたる。
「だろうな」
「はあ、こんな生活から抜け出すことはできないもんですかね」
「まあ無理だろうな。俺がここに来てからずっと、出て行ったヤツは一人もいない」
黒さんは悟りを開いたように淡々と答える。
やっぱり、そうだよな……。
「むしろ、今もここにいさせて貰えるのがありがたいぐらいだろうな。上の方だって何にも利益を生み出していない俺らをいつまでもここにおいてくれるなんて甘いことを考えない方がいいぞ。いつ見限られることやら」
「そうっすか……」
俺以降、新人は誰も入ってこない。この窓際にいる連中は全く代わり映えしない。
最初の頃は、いつかここを出るんだ、と思って頑張っていたが、時が経つにつれ、そういった心意気も消え失せてきた。
俺もそろそろ腹をくくるべきか。
そんなある日のこと。
平凡なつまらない日常が今日も過ぎ去っていくのだと思っていたが、それは突然訪れた。
昼を過ぎて、暇をもてあましていた黒さんはすっかり夢の中だった。
俺も半分眠りかかっていた。
ガチャッ
妙な機械音がするな……と夢うつつに考えていたら、俺の両脇に堅い何かが触れた。
なんだ!?
気がつくと俺の身体は、天井近くにあった。
どういうことなんだ!?
俺はパニックに陥るが身動きがとれない。
高所恐怖症ではないが、さすがに天井近くまでいる、という異様な事態に俺は狼狽えた。
く、くろさんっと叫ぼうとした途端に重力に従い真っ逆さまに落ちていく。
床にぶつかる!と俺は焦ったが、下を見るとそこは真っ暗な穴だった。そのまま俺は穴の中を落ち続ける。
うわーーーーーーーっ
そして俺の意識はそこで途絶えた。
目覚めたら、そこは見知らぬ場所だった。
俺は呆然とあたりを見回す。
いつも隣にいた黒さんも、他の窓際仲間もいない。
周囲は、見覚えのない景色が広がっているばかりだ。
どういうことだ?
確か、俺は居眠りをしていて、なぜか天井近くまで浮いて、そのまま穴に落ちたんだっけ……。
俺は意識を失う前までのことを順に思い出す。
穴から落ちて、気がついたら見知らぬ場所。
ということは、ここはもしかして……。
俺は、現状を把握しようと考え込んでいたとき、ふと、背後に気配を感じた。
振り返ろうとしたが、後ろから抱え込まれた。
「お母さん、お母さん!」
少年は、台所に立つ女性に向かって抱きついた。
「なあに、けーくん」
甘えるようにすがりつく息子に、母親は仕方がない子ね、というふうに振り返る。
「お母さんにプレゼントを持ってきたんだ」
「あら!何をくれるのかしら」
「お母さん、目をつむって!」
「はいはい」
目を閉じた母親の手のひらに、少年は「プレゼント」をのせる。
「目を開けていいよ!」
何かしら、とウキウキしながら「プレゼント」をのぞき込んだ母親は、その黒いモノを目にして絶叫する。
「ご、ゴキッ××!!!!」
いたずらに成功した少年の歓声が上がる。
その後、少年は、我に返った母親に拳骨による制裁を加えられ涙目となるわけだが、数分後にはケロリとして姉の由美にいたずらを仕掛ける。母親に捨てなさい!と言われても全く懲りず、今度はそれでペットのミケと遊ぶ。ミケは黒光りのするそれがもの珍しいのか、じっと見つめたり、前足で転がしたりと夢中になっていた。
こうして少年がUFOキャッチャーで取ってきたゴム製のゴキブリのフィギュアは、小田原家の猫のオモチャとして迎えられた。
終
※わりとどうでもいい主人公の名前の由来※
ゴキ→五木→伊月