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■■第六章■■

 瞼を焼く朝の光に目を覚ました。夜のうちに立ち昇った深霧に日差しを反射させ、太陽は今、天を目指し始めた様子だ。

 ――さむい。

真冬の夢を見たせいか、ケリィの身体は凍えるように冷えて感じた。耐え切れず、足元に蹴りやっていた毛布を頭まで被りこむ。そのまましばしウトウトした後、ケリィはようやく我に返った。

「…あれ?」

 何故、自分はベッドの上に寝ているのだろうか。その事が不思議で、跳ね起きて辺りを見渡す。

 ――確か…エルピスが離れて、僕はあのまま床に倒れて…。

そしてその身体を、パラディが支えてくれたのを覚えている。彼女がケリィをベッドに寝かせてくれたのだろうか。

 …では、当の彼女は何処へ?部屋中を見渡したが、そこには影も形も見当たらなかった。

「外に…出たのかな?」

ぼんやりと、視線を部屋の窓に向けた。硝子戸は開け放たれていて、その先には大きく枝を広げたナナカマドの木がある。

 この部屋は二階だが、パラディの身体能力を考えるに、この枝を伝って外に出た可能性は充分あった。

 念の為、居間で朝食を準備する義母にも尋ねてみたが、そんな子供は見ていないのだと言う。

「…それよりもケリィ、あなた大丈夫なの?

 昨晩は晩御飯も食べずに部屋に篭ってしまうし、それに今日は顔色だって悪いわ」

そう言って、ケリィの額に手を当て熱を測る義母。どうやら、ケリィの発言は義母に、余計な心配をさせてしまったらしい。恐らく、ケリィが風邪をこじらせて、呆けてしまっていると考えたに違いない。

 今日は学校を休んだら?と真剣に言われ、ケリィは苦笑した。

「ユアンが待ってるから」

それだけ言って、ケリィは家を出る。

 今やすっかり霧は晴れ、澄んだ青空が視界を覆っていた。ケリィが一歩踏み出す度に頭上で揺れる木漏れ日は不確かなまだら模様を作り、どこか遠くで飛び立った小鳥の羽音が聞こえた。ここにあるのは、とてつもなく長閑な朝。昨晩起きた事件の全てを忘れたくなる程に平凡な日常が、辺りはに広がっていた。

「…あれって…現実だったのかな?」

だから思わず、ケリィは疑ってしまう。

「むしろ…夢であって欲しいんだけど」

ボソリと呟き、ケリィは俯く。エルピスに取り憑かれてしまった事も、キボウツキという妙なものに変身してしまった事も…全て夢だったら、それに越したことはないだろう。

そんな事を考える中で、ふと、ケリィの脳裏に蘇る記憶があった。


「――…エルピス、もし居たら返事…して?」

昨晩の出来事の中で「私はいつもケリィの傍に居る」などと言っていた彼の姿を思い出したのだ。これでもし返事がなければ、昨晩の事は夢だったのだと、納得できる。

 …というか、むしろ返事など来ないで欲しい。殆ど祈るようにそう思い呟いた名前だったが、残念ながらその返事はすぐに来た。


「…っ。早速呼んでくれるなんて…そんなに寂しかったのかい?ケリィ~」

「う…うわあああ!」

突如現れた黄金色の美青年に抱きしめられ、ケリィは悲鳴を上げた。

 …否、驚いたのはエルピスの登場だけではない。自身の服もまた、脈絡なくキボウツキのそれに挿げ替えられていたのだ。

「ぼ…僕はお前が姿を出す度に、この格好をしなくちゃいけないのか!?」

「はは。それが我々の宿命ってやつだよ」

激しく非難するケリィに、エルピスは恍惚と笑って見せる。エルピスが可視状態になる為には、彼の獲物であるケリィのエネルギーが必要不可欠。つまり今、ケリィはエルピスの養分になってるのだ。

「これが、二人の愛の力ってやつだね」

わけのわからない事を口走るエルピスに軽く裏手を決め、ケリィは慌てて周囲を見渡す。こんな騒動、誰にも気づかれなければ良いが。


『――ケリィ…そこに居るの?』


 …最悪だ。そうケリィは頭を抱えた。ピアノの鍵盤が弾むように愛らしいこの声の主は、間違いなくユアンだろう。よりにもよって、今一番出会いたくない相手である。

 坂の向こうから近づいてくる足音に気づいて、ケリィは慌ててエルピスを引っ張った。

「ちょ…っ早く隠れるよ!」

「…ん?」

暢気なエルピスを引き擦り、並木の裏に身体を隠す。間一髪でユアンが姿を現し、不思議そうにきょろきょろとあたりを見渡す。

 …勿論、ケリィの姿を探しているのだろう。


「…別に、ケリィまで隠れなくて良かったんじゃないのか?」

木の幹に軽く背を預け、エルピスが笑った。

「こんな格好、見られたら困るだろ。

 …大体、なんでこんな恥ずかしい服着せられないといけないんだよ」

苦く顔を歪め、ケリィはエルピスを睨む。今更ではあるが、ケリィはこの衣装に大きな不満を抱いているのである。同じ黒装束とはいえ、彼の身に纏う衣装の無難さが恨めしい。

 細いシルエットの黒衣は、このまま人前に出ても何一つ怪しまれる事はないだろう。その事を羨ましがるケリィに、エルピスは瞬きを一つ。妙な事を言い出した。

「別に…キボウツキの衣装を変えることは可能なのだが。ケリィの服の面積を増やすと、必然的に私の服の面積が減る事に」

「…は?」

呆けるケリィ。エルピスはその長い指先で口元を覆い、続ける。

「いや、ケリィが望むのなら私は勿論構わないのだが。服が消える時は足元から順番に…ケリィの服が完成する時には…もう」

きゃっ。と、まるで乙女のように頬を染めたエルピスを前に、ケリィの脳裏に浮かんだのは最悪な絵面。

「…っ!…だ、誰が望むか、馬鹿!」

 そう赤面したケリィを前に、エルピスは小さく声を上げて笑った。…もしかしたら、からかわれたのかもしれない。だが、それを追求する気力は既に無かった。

「とにかく…早く元の姿に戻してくれ。ユアンが待ってるんだ」

そうケリィは頼み込む。

 視界の向こうには、青白い顔のユアンが立っている。きょろきょろと辺りを見渡し、彼は何度もケリィの名を呼んだ。相当心配してくれているのだろう。その姿が心苦しくて堪らない。

「…エルピス、早く…」

催促する為に振り返ったケリィは次の瞬間、冷たい相貌に捉えられていた。

「…ユアン。それは、あの少年の事か?」

先程までのふざけた姿が嘘のよう。不意に表情を消したエルピスは、やはり悪魔のように恐ろしい。

「…そ…そうだよ。友達なんだ」

「トモダチ?」

ふん。と、彼は嘲笑う。

「あんな奴が、ケリィの事を友達と思うわけがなかろうが」

 チクリと、胸の奥が痛んだ。何を突然言い出すのかと不思議に思うよりも先に、エルピスの言葉に納得してしまう自分がいる。

 ――そんな事…解ってるよ。

自分のような下賤な人間が、ユアンと対等であるなんてありえないのだ。ケリィは黙って唇を噛んだ。咄嗟に「友達」と紹介してしまった自分が恥ずかしくて、惨めでたまらない。


「――気をつける事だな、ケリィ。あいつの持つお前への執着心は、既に異常だ」


 …しかし、続けて聞こえてきた言葉は、ケリィにとって意味不明な代物だった。

「…しゅう…ちゃく?何?」

 思わず、間抜けに問い返してしまう。そんなケリィが面白かったのか、ここでようやくエルピスの笑みが戻ってきた。

「…まぁ、安心して良い。ケリィの事は、私がしっかり守ってあげよう」

ケリィの頭を撫ぜ、そう言って聞かせるエルピス。

 …彼が一体何が言いたいのか、それを尋ねたい気持ちはあったが、ここで変に刺激して、またあの冷たい目で睨まれては敵わない。

「い…いいから、元の姿に戻してよ」

だからケリィは、震える声で再度懇願する事にした。そんなケリィに、エルピスは大きく溜息をつく。

「…仕方がない」

そう呟いて、エルピスは宙に消えた。

 ケリィは、衣装が元に戻ったことを確認し、慌てて立ち上がる。


「…ユアン!」

名を呼び、そのまま彼の元に駆け寄る。心底安心したような笑顔がケリィを迎えた。

「あの…ごめんね。大きな蛇に遭遇したもんだから、腰抜かしちゃって…」

とりあえず、咄嗟に思いついた嘘でごまかすことにした。ふわりと口元を綻ばせ、ユアンは言う。

「…そうだったんだ?怪我とかしてないなら良かったけど。このまま学校、行けそう?」

 何一つ疑われないことがこそばゆくて、ケリィは肩を竦めた。

「全然大丈夫だよ。…でも、これじゃユアンまで遅刻しちゃいそうだね」

「良いよ。たまには二人でゆっくり行こう」

にっこり笑って、ユアンはケリィの腕を掴む。その行動に多少驚くものの、無邪気なユアンの様子が面白くて、ケリィは笑った。

 そのまま二人並んで、林道を歩いて行く。じっと前を見つめる翡翠色の瞳は、出会った当初と同じくらい澄んでいて、そこだけは何も変わらない。

 ――…もう抱えて走ってあげなくてもいいのかな。

今朝の夢見のせいだろうか。ケリィは思わず、そんな事を考えて、ユアンの横顔を見る。

そこには、頬を真っ赤に染めた親友の姿があった。


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