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■■第一章■■

 悪魔憑き。それが、今年で十四歳を迎えるケリィ・マシューズの渾名だった。

なんとも悲惨な渾名であるが、元来から惨めな境遇に慣れているケリィは、特に抵抗する事もなく、この呼び名を受け入れていた。


「“災害”よりは幾分かマシだろ?」

自分の事を心配してくれる唯一の友に対しても、ケリィはそう笑ってみせる。


 幼くして両親を亡くしたケリィの身元は当初、近所に住むカーター夫妻が引き受ける事になっていた。しかし、ケリィの得たこの新しい家庭は、一ヶ月と持たないうちに崩壊する事になる。このカーター夫妻というのが、当時問題視されていたケシの密輸騒動に一役買っていたらしく、大陸の警察に嗅ぎ付けられてしまったのだ。

 幼いケリィが事態を一つも理解できないうちに、カーター夫妻は遠い国の牢屋に閉じ込められてしまった。そして、まさに負の連鎖としか言えないこの状況の中で、一度も涙を見せなかった変わり者の子供には「災害」という渾名が付いてしまったのだ。

 誰もに忌み嫌われた幼少時代、それを救ってくれたのは、現在のケリィの義父母でもあるアーサー・モーズレイ牧師夫妻と、島の子供達の中で唯一、偏見を持たずにケリィと 接してくれたユアン・ブルーイットの存在だった。彼らが周囲に働きかけ、ケリィを普通の子供として知らしめてくれたお陰で、今のケリィは存在できる。そう言っても過言ではないだろう。


「まったく。これは君自身にとって不名誉なことなんだから、もっと積極的に否定していかなくてはいけない問題なんだよ?」

久しぶりにつけられた惨めな渾名を、淡々と受け止めているケリィに、その唯一の親友であるユアンは深く溜息をつく。

「いや。悪魔憑きなのは事実だからね。否定のしようもないでしょ」

むしろ不名誉なのは自分ではなく、モーズレイ夫妻の方だ。そうケリィは思う。

 親切心で拾った孤児が、悪魔憑きになってしまうなんて。これは牧師としての評判に関わる事態なのではないだろうか。いつも柔和な笑顔で、ケリィを励まし、時に諭してくれるあの老夫婦を思う度に、ケリィの中で罪悪感が暴れ始めた。


「教会では悪魔祓いとか…できないの?」

「してもらったよ。この二年のうちに二十回」

溜息交じりに告げたその回数に、ユアンは乾いた笑い声を返した。

「それで…相変わらずこの写真?」

 そう言って指差すのは、教室の机の上に並べられた真新しい写真の数々。どれも、昨日十四歳を迎えたユアンの誕生日パーティで撮影された代物だ。今だに、ケリィを写真に収めようと考えるつわものは、ユアンくらいだろう。

 そこには楽しそうな笑顔で寄り添うケリィとユアンの二人の姿が、当然のように悪魔とセットで写されている。ピースサインをしていた姿も記憶に新しいが、最近の悪魔の写り方は奇をてらい過ぎてるとしか言いようがない。ケリィと肩を組んでみたり、被写体よりもカメラに近い位置でウィンクをかましたり。やりたい放題だ。


「…本当、回を増すごとに調子づいてる気がするよ」

そんな美形悪魔とのスリーショット写真を片手に、ユアンは呆れたように瞼を伏せる。

 蜂蜜色の髪がサラリと流れ、同色の睫が、翡翠色の眼差しの上に震える影を落とした。こんなユアンの何気ない仕草にさえ目を奪われ、ケリィは僅かに息を飲む。

 ――本当に、ユアンは綺麗だな。

幼い頃から天使のような愛らしさを持つ少年だった彼の魅力は、歳を重ねるごとにどんどん増していくように思う。透き通るような白い肌と、ほっそりとした首元から連なる繊細な顎のラインは、湖畔の淵で黄昏る水仙を思わせる美しさだ。

 生まれつき心臓が弱く、人並みに運動できないという難点を抱えているものの、その穏やかな精神と、親切心に溢れた心には非の打ちようがなく。生来の器用さも相まって、ユアンに向けられる人望は厚い。

 そもそも、自分のようなみすぼらしい人間が近づいてはいけない存在のような気がするのに。何故、ユアンはこんなにも懇意にケリィと向かい合ってくれるのだろう。

窓硝子に映りこむ自分の姿に気づき、ケリィはそっと溜息をつく。

 癖がない事だけが取り柄のような黒髪は、特に艶もなく、無造作に顔の周りを覆っている。長すぎる前髪の下から時折覗く瞳は真っ黒としか言いようが無い程に無機質で、この世の全ての不幸を具現化したかのようだ。笑わなければ、冷たすぎるとしか評価されない眼差しと、同年代の仲間の中でも抜き出て高い背は、会う人に恐怖を与えてしまうだろう。そんな事を考えれば考える程に、自分とユアンの品格の差を突きつけられる事に気づき、ケリィは窓から目を離した。


「ユアンはさ、この学校卒業したらどうするの?」

目の前の友人と目を合わせるでもなく、ケリィはただボソリと問いかけた。

 ケリィとユアン。何もかもが違うこの二人の間に友情があるのは、学年内で唯一の同年齢だったからに過ぎない。ケリィは両親の死からの一連の不幸のせいで、ユアンは生まれつきの病弱さのせいで、他の同世代からは遅れる形で就学してしまった。その偶然が重なって、出会っただけなのだ。

 そして十四歳になる現在では、二人とも揃って最終学年である。必要な単位も、ほぼ全て獲得しており、卒業の日は近かった。

 ――卒業すれば、ユアンと僕の関係は崩れてしまうだろう。

ケリィはそう確信していた。自分はユアンの情け深い性格に肖って友達になれただけなのだ。一度学校を離れたユアンが、ケリィのような下賎な人間に興味を持つことは殆どないだろう。そのことに一抹の寂しさを感じながら、ケリィはゆっくりとユアンを見遣る。

「この後のこと?…あまり考えたこともなかったけど」

ほんの少し驚いたように目を開き、ユアンはその綺麗な指先を顎に当てた。

考えるように虚空を睨んでいるが、そこからどんな答えが導き出されるかなんて、だいたい予想はついている。

 今でこそ、この平和だけが取り得のイトゥリープ島に馴染んで見られているが、ユアンは元々、大陸側の人間なのだ。父親は大陸でも屈指の大手工場に勤めているし、母親も名のある家の令嬢だったのだという。そんなユアンが母親と二人でこの島に渡ってきたのは、病弱なユアンを療養させる為に過ぎなかった。都会の汚染された空気に不安を抱いていたユアンの母親は、愛息子を豊かな自然の中で育てたいと願ったのだ。こうして、幼いユアンはこの孤島の土を踏み、今に至る。

 確かに、こちらに来てからの彼は大陸に居た頃と比べ、大きな病気にかかる事が無くなったらしい。ユアンは既に充分に健康で、そんな彼が何もないこの島に留まる理由は無いのだろう。


「大陸の学校に、行った方がいいんじゃないの?」

 ユアンの本音を促す為のこの問いかけに、目の前にいる友人の顔がサっと青ざめていくのがわかった。

「なんで、そう思うの?」

「な…なんでって、そりゃ」

ユアンの翡翠色の瞳に僅かな怒りを感じ取り、ケリィは思わず肩を竦める。

「ユアンは頭が良いから、きちんとした学校に通った方がいいだろうな。って、

 思ったからだよ」

気圧されたあまり、震えてしまう声で告げる。すると、ユアンは露骨な溜息をついてみせた。

「なんだ…そんな理由か。別に僕、大陸の学校に興味なんてないよ」

そう力なく答えるユアン。ようやく戻った穏やかさに、ケリィはそっと胸を撫で下ろす。

 ユアンとは、それなりに長く付き合ってきてると思うが、ケリィは彼の怒りのツボを未だに把握できていないのだ。普段穏やかな人間がキれると怖いというのは 常識みたいなものであり、これはユアンにも当てはまった。滅多にない事とはいえ、怒りに支配された彼は、氷の女王宛らに冷酷になる。その事を知っているから、ケリィもなるべく、彼の感情の地雷を踏まないように気をつけているのだ。


「へ…へぇ。僕はてっきり、中等教育以上の設備がある学校に進むんだと思ってたよ」

「嫌だね。僕はこの島が好きなんだ。

 それに勉強なら、学校に行かなくたって出来るだろ?」

怒りは解けたようだが、ユアンの声に滲む刺々しさに、ケリィは苦笑いを浮かべる。

「…それでケリィは?卒業したらどうするの?」

「僕は…早く自立できるよう、働くよ」

ユアンからの問いかけに、今度はケリィが、言い淀むことなく答える。

 両親の死がきっかけか、はたまた「災害」と呼ばれたことがきっかけかは解らないが、ケリィは昔から人に面倒を見られる事に対して罪悪感を持っていた。今の両親は確かに優しいが、いつまでもそれに甘えていてはいけないと思う。早くお金を稼いで、一人前になって恩返しをしなければ。自身の罪に押しつぶされて死んでしまうに違いない。

「この前、教会裏のトマスさんが農地を増やすって話を聞いたんだよね。

 雇ってもらえないか、聞いてみようかと思ってるよ」

そんなケリィの言葉を、ユアンはコクコクと頷きながら聞いていたが、ふと妙な事を言い出した。

「そうなると、実の子供のいないモーズレイ牧師には跡継ぎがいなくなるってことだね」

「…へ?まぁ…そりゃそうなるけど」

 教会は世襲制じゃないのだから、あまり気にしたことはなかったが。確かにモーズレイ夫妻は既に高齢だし、跡継ぎの問題は重要だったかもしれない。


「でも僕、神学が理解できるほど頭良くないし。

 それに、そんなに神様って好きじゃないし」

罰当たりな発言ではあるが、ケリィの特異な過去を思えば仕方がないことなのかもしれない。それを理解してか、ユアンは困ったように笑って、言った。

「僕は好きだよ、神様。

 だからさ、ケリィの代わりに僕があの教会継ぐのはどうだろう?」

「は?」

実に突拍子もない発言であるが、件のユアンの瞳は、既にらんらんと輝いている。

「うん。いいアイデアだよね。神学ならモーズレイさんから直接学べるし、

 それに僕ってきっと、腕のいい牧師さんになれるよ」

あんぐりと、ケリィは口を開ける。なんという自信だろうか。しかしながら、ユアンの性格や才能を考えれば、この言葉も虚栄に聞こえないから始末に終えない。


「牧師さんになったら、真っ先にケリィに憑いてる悪魔、祓って上げるからね!」

「あ、本当に。それは助かるな…」

唐突に提示された身近な問題の解決策に、思わず喜んでしまった自分が恥ずかしく、ケリィ僅かに頬を染めた。

「…だからさ」

ユアンは言う。天使のような笑顔で。

「だからさ。僕とケリィはずっと一緒にいよう。それが良いよ」

無垢に告げられたその言葉が、不思議なくらい真っ直ぐに、ケリィの中に浸透していく。

 ――本当に、なんでユアンは僕の友達でいてくれるんだろう。

結局解決しなかったこの疑問を、今は忘れていいのかもしれない。言葉なく微笑みあった二人を、次の瞬間、授業開始の鐘が遮った。


「…あ。次、運動の授業だ」

気がつけば、教室から人気が引いていた。皆校庭に向かったらしい。

「うん。頑張ってきてね。応援してるから」

 そう言って微笑むユアンに、ケリィは軽く手を振って応える。

ユアンは運動の授業に参加できない。この時間は、スケッチブック片手に、教室の窓から皆の姿を眺めるのが彼の常だった。

 ケリィたちの通う学校は一階建てで、壁は年季の入った赤煉瓦で造られている。

島にいる子供の数が少ないのだから、学校の規模は小さい。開校して今年で五十年になるらしいが、通う生徒の数も二十人を越えた事がないのだと、島の大人たちが言っていた。

当然、授業を教える先生は基本的に一人である。学校では、小さい子供も、大きい子供も、皆まとめて扱われるのがこの島の常識だ。

 今も校庭には、年小組から高学年組までの生徒が揃っている。一足遅れて校庭に走り出たケリィは、ちらりと窓の向こうのユアンに視線を向けた。彼は既にスケッチブックに鉛筆を走らせているようで、真剣な眼差しを窓の向こうの全ての景色に注いでいる様子だ。

 ケリィは過去に一度、彼の持つスケッチブックを覗いた事があったが、その画力は高く評価できる代物だった。一本の鉛筆で描かれたラインは、時に大胆に、時に繊細に紙面を踊っており、描き手がいかに目の前の景色を愛しているかが伝わって来るかのようだ。

 天は人にニ物を与えずという言葉があるが、何の間違いか、ユアンにはニ物も三物も与えられているような気がする。走る事以外に取り柄を持たないケリィとは大違いだ。

 ――でも。だからこそ…これだけは誰にも負けられない。

 教師の吹く指笛の音を合図に、校庭に並んだ十二名の生徒は一斉に走り出す。横一列からスタートしたこの群れは、直ぐにケリィ一人に引率されるような隊形に変化する。

 ケリィは走る事が大好きだ。今も昔も、多分これから先もずっと、この事だけは変わることはないように思える。


「は…っはっ…はっ!」

息を切らせて、ゴールに指定された白線を越えた。ケリィは、ダントツの一位だった。

「うーむ…なかなかマシューズを越える奴が現れんなぁ」

測定用の懐中時計片手に、苦笑いをする教師。その横を、ようやくケリィに追いついた二位と三位が走り抜けていった。

「悪魔憑きに負けたー!」

「しかたないよ。あいつ毎晩怪しい儀式して力を蓄えてるんだから」

ゴールに辿りついた生徒らは、負け惜しみなのか、ただの悪口なのか、そんな事を言い始める。…悪魔は関係ないだろ?そう言ってやりたいのだが。

「本当にな。悪魔憑きでさえなければ、

 先生、お前を大陸の訓練学校に推薦してやるのに」

…この通り、大人の代表である教師までもが偏見に囚われているから困りものだ。

 この気が滅入るような現実を忘れたくて、ケリィはもう一本、走りこみを決める。ヒュゥと、高い口笛が、走っていくケリィの背後を追ってきた。ケリィは僅かに微笑み、窓の向こうにいる口笛の主に、高く手を上げて応える。


「最高、ケリィ!君が一番だ!」

嬉しそうに、ユアンが叫ぶのが聞こえた。そして、こんな時にもユアンの人望は役に立つ。

ユアンの声が響く中で、ケリィに野次を飛ばそうと考える人間は一人もいなかった。

一瞬静まり返った校庭を、ケリィは駆け抜ける。風と一体化したかのように心は透明で。

 ――もっと速くなりたい。

だからこそ、ケリィは願った。

 ――誰よりも速く、何よりも速く走ることができたら…!

もしかしたら、自分の失ったものが取り戻せるのかもしれない。ケリィにとって走る事とは、まるで祈りのようだった。

 窓辺に座るユアンは、そんな親友の思いを知っている。だからこそ眩しくて、ただただ、見入っていた。


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