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■■最終章■■

 ユアンが大陸に旅立つ日の朝、少しだけ早く起きたケリィは顔を洗い、窓の外の天気を確認する。今日は、久しぶりの快晴だ。

 強い日差しが、島の温度を一気に高め、少々焦げくさい土の匂いを運んでくる。

イトゥリープ島の夏は短いが、ユアンの居なくなった後なら、それすらも長く感じるのだろうな、と、ケリィは溜息をついた。


「…ねぇ、今日くらいは、私の若い頃の服…着てみない?

 貴方はもうちょっと、お洒落して行った方が良いと思うわ」


 朝食の後、髪を梳いてくれた義母が、そんな事を言いだしたものだから笑ってしまう。

ケリィは普段通りの吊りズボンのまま。机の上に置いていた白銀色の小箱だけをポケットに詰めて、家を出た。


 …この箱の正体は、パラディ。つまり、新しく生まれた封印の箱なのだ。


 あの日、深い眠りから目を覚ましたケリィとユアンの前に落ちていたのがこの箱で、エルピス曰く、これがパラディの末路なのだと云う。


『そもそも、ポイメーンと封印の箱は同じなんだ。中に入れる物が違うだけ』

そう言って、エルピスは少し寂しそうに笑った。

 全ての記憶を開放したポイメーンは、自我さえ失って、ただの容器になってしまう。

それはポイメーンにとっての死であり、そして見守られていた側の人間にとっては、苦難の始まりであった。事実、あの後ケリィは、過去から続く孤独に襲われ、眠れない夜を過ごしている。

『――ケリィさえ望むのなら、その苦しみを感じないようにもできるのだが…』

ある夜、枕元に姿を現したエルピスから、そんな提案を受けた事がある。しかしケリィは、その申し出を断る事にしたのだ。

…だって、この苦しさは、パラディの決意の重さなのだから。いつだってケリィと共に居てくれると誓ってくれたパラディの末路なのだから。ケリィは耐えて生きて行かなければならないと思う。


 ――パラディは、サナトスを封印する為に、死を選んだんだ。


 新たな封印の箱として蘇ったその姿は、余りにも小さく、傷だらけで…

だからケリィは、箱を見る度にパラディを思い出す事ができた。

 ポケットの上から小箱を撫で、ケリィはユアンの家へと向かう。

 …そろそろ、港には教室の仲間たちが集まっている頃だろう。

本来はケリィもそこで、皆と一緒にユアンを見送る筈だったのだが。今朝は特別に、二人だけで会いたいのだと、ユアンから頼まれていた。


 森の中の坂道を抜け、ケリィは青い屋根を目指す。

まだ右足には違和感があったが、それでも傷は、殆ど塞がっていた。少しだけ速足になってみる。視界を遮る木々はどんどん姿を消して、ブルーイット宅の花壇が露わになってきた。庭先のスコッチローズは連日の雨で大分その花を落としていたが、それでも新たな季節を迎え、瑞々しく咲き誇っている。

「――ケリィ!」

 そんな生垣の前で、ユアンは嬉しそうに手を振っていた。

その手には大きなトランク。目深に被った帽子と、マフラーは、これから始まる船旅の対策だろう。


「…どうせなら、サナトスと一緒にユアンの病気まで封印できちゃえばよかったのにね」

ユアンからトランクを受け取り、ケリィはそう、頭を掻く。

「ふふ…。世の中そんなに、都合良くはいかないものなんだよ」

 そう言って、楽しげに首を傾げたユアンは、あの時…サナトスに取り憑かれていた頃の記憶を持っているらしい。

 だからケリィは、全て知って欲しいと思った。

パラディの事も、エルピスの事も。ユアンには全部話すことにした。

 そして話の終りに白銀色の箱を見せた時、ユアンは泣いたのだ。自室のベッドの上で、ぼろぼろと涙を零し、ユアンは泣いたのだ。


「――ね。パラディに会わせて?」


 促され、ケリィはポケットの小箱を取り出す。ユアンはそれを手に取り、優しく何度も、箱の傷跡を撫ぜた。

「ありがとう、パラディ。僕はもう、行くね」

 その言葉で、ケリィの胸は少しだけ、痛くなった。


 ユアンはこれから、大陸の病院に入院する事が決まっている。

彼の持病を治療する為の技術が、大陸内で開発されたのだと云うのだ。だからユアンは、これから手術を受けに行く。

 本当に効果があるのかはまだ不確かで、不安の多い手術であるが、それでもユアンは自ら、それを受けたいと志願した。


「…きっと、治せるよ」

そう言ってケリィは、我ながらわざとらしい、引き攣った微笑みを作る。

 手術がもし失敗したら、ケリィは二度と、ユアンに会うことはできないだろう。

そうじゃないとしても、これから何年という長い期間、ユアンと離れ離れになる事は確実なのだ。寂しくないわけがない。不安がないわけがない。

 それでも、親友の笑顔を前にすると、そんな弱音は吐けなくなってしまう。


「…ケリィ。あのね…」

 二人の間を、柔らかな風が通り抜けた。ユアンは少しだけ困ったように辺りを見て、

そしてケリィに一枚の紙を差し出した。

 二つ折りにされたそれを開けば、そこにあるのは水彩絵の具で描かれた一枚の絵で…

「これが、今の僕の最高傑作なんだ。ケリィにあげる」

「――…最高傑作って」

 なんだか、妙に顔が熱かった。そこに描かれていたのはケリィの姿で、

何故か真っ白い綺麗なドレスを着て微笑んでいる。


「ケリィって…他の女の子とは違うから、いつも巧く描けなかったんだけど。

 これだけは成功した気がするんだ」

恥ずかしそうに頬を染め、ユアンは言う。

「…僕にとってケリィは、いつだって…一番大切な女の子だから」

ユアンの照れが伝わって、ケリィまで赤面してしまう。


 女の子。そんな事を言われたのは、本当に久しぶりだった。

一人で生きて行かなくてはと思っていたから、男よりも強くならねばとばかり考えて、これまで過ごしてきた。だからケリィは泣かないし、弱音も吐かない。

…でもユアンには、そんな強がりは無意味だったのだろうか。ユアンの前でなら、もう一度女の子に戻っても良かったのだろうか?

 絵を持つ手が震えて、駄目だと解っても、涙が頬を伝った。

「あのね、ケリィ」

 気が付けば、ユアンもまた、泣いていて

「僕、頑張って病気治すから。今度は男として、君を守れるようになりたいから…」


驚いて、ケリィは顔を上げた。


「だから…ケリィ。僕がまたこの島に帰って来れたら、その時は…

 ――僕のお嫁さんになってください」


震える声で、それでも決してケリィから目を逸らさない翡翠色の瞳。

 思わず、手を伸ばした。

温かなユアンの手が、それを優しく包んでくれる。


 遠くの方で、小鳥が飛び立つ音がした。日は先程よりも高く昇り、空は明るさを増す。

もう間もなく、ユアンの乗る船が、港に到着してしまうだろう。

「――ユアン」

だからケリィは、それに続く言葉を失う。

 ただ、その温かな手をギュっと握り返し、ケリィは俯いてしまった。


 イトゥリープ島に夏が来る。

少しだけ大人になった少年たちの学生生活は間もなく終り、そして新しい何かが始まるのだろう。

 ケリィとユアン。若い二人は手を繋ぎ、ゆっくりと前へ進み出していた。


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