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■■第十章■■

 夕刻を迎え、窓から吹き込む風は既に冷たい。平たい雲を刷毛で撫で崩したような空は、茜色から濃い藍色に、ゆっくりと移り変わって行く様子だ。

 …そろそろランプを灯そうと、ケリィは立ち上がる。

ふわふわと宙に浮かんだパラディが落ち着きなく部屋を往復し、エルピスの視線がそれを追った。彼だけはこの状況を楽しんでいるらしく、始終ニヤついている。


「――それで、これは一体どういう事なの?」

 蝋燭の上で揺れ出した炎の輝きを確認し、ケリィは問う。

 パラディの浮かぶ床に、黒い影が生まれていた。先程、ユアンらに姿を見られていた事もあるし、不可視でなくてはならない彼女が実体を持ってしまった事は確からしい。

 …しかも、その身体は縮み、ケリィが傍に居なくては声すら出せなくなる程にか弱い存在に成り果てている。

「…わしも、何が何だかわからぬのじゃ」

宙で衣の裾を翻し、パラディは困ったように答えた。自然、二人の視線はエルピスに注がれる。彼は軽く肩を竦めてみせた。

「なに。本来ならば消滅してもおかしくなかった身体だ。

 その程度の変化で済んで良かったじゃないか」

これはポイメーンの身体から“記憶の逆流”を防ぐ為の緊急処置なのだと、エルピスは言う。パラディの身体は、消滅しかける寸前で地上の生物としての変態を遂げたのだ。

「――それはつまり…わしはもうポイメーンではなくなったという事か?」

震える声で、パラディは問う。記憶の逆流を止められたという事は即ち、もう二度とケリィの抱く暗い気持ちを吸収できないという事でもある。加えて天界での肉体を失ったパラディは、既に天界に住める存在ではなくなっていた。

「可哀そうだけど…これからはケリィと一緒に地上で生きて行くしかないね」

パラディは今、ケリィの傍に居る事で僅かな生命力を得られる体質になってしまっている。…とにかく、死にたくなければ、ケリィから離れない事だ。エルピスはそう言い、可笑しそうに笑った。


「――…しかし、このままではケリィの足手まといにしかならぬ。

 サナトスの核も取り逃がしてしまったし…最悪じゃ」

瞳に一杯の涙を浮かべ、パラディは嘆く。

 そう、彼女に起きた身体の変化を機に、サナトスの核はどこかへ逃げ出してしまったのだ。その他の破片は全てケリィの手で回収できたのだが、核の行方だけは何故か、確立の瞳で追う事が出来なかった。…エルピス曰く、サナトスの意識がエルピスの力に抵抗している為、予知が成功しないのだそうだ。


「…パラディは、元の姿に戻れないの?」

すっかり落ち込んだパラディを看かねて、ケリィは問う。

「無理だろうな」

エルピスは即答である。

 ポイメーンは魂を持たない。だから身体を失えばそれまでの命なのだ。

パラディは残された生命時間を、地上で消化する以外になかった。

「…じゃあわしは、ずっと無力なままなのか…」

ケリィの肩によじ登り、パラディはしょんぼりと項垂れる。その姿が余りにも可哀そうで、ケリィは指先で頭を撫でてやった。

「…このまま一緒に暮らしても、僕は全然構わないよ?」

 そう、提案してみる。「ぬぅ」と小さく唸るパラディ。そんな彼女に、エルピスは相変わらずのニヤけ顔で言った。

「そうしろ、パラディ。お前はもう、ケリィと離れては生きれないぞ」

…これはパラディにとって、避けられない事実。それを突き付けられてしまえば、パラディはもう、抵抗する言葉すら思いつかなくて…静かに瞼を伏せた。

「…本当にいいのか、ケリィ。わしの存在はお主の平凡な生活にとって、

 邪魔でしかないのだぞ?」

問われ、ケリィは頷いて見せる。

「…そんな事、気にしないよ。それに、死なれた方がずっと困る」

冗談交じりにそう言って、そして笑ってみせた。途端、パラディの顔がくしゃりと歪む。

「…すまぬ、ケリィ。こんなわしでも出来る限りの事はするから…許してくれ」

消え入りそうな程に震える声で、パラディは言う。透明な涙が一筋、頬を伝ったのが見えた。気丈に振る舞おうとしたのだろうが、どうやら失敗したらしい。

 そんな彼女の様子にケリィは思わず、眉をしかめてしまう。

「…やめろよ、そういう言い方…似合わない」

パラディは女の子だし、まだ子供なのだから…助けを必要とする事は当然なのだ。人の手を拒絶し、一人で耐え続けた結果がどんなに惨めか、ケリィは身を持って知っている。だからパラディには何の心配もして欲しくないのだと、ケリィは伝えた。


「――僕は天界なんて知らないし…パラディがどんな生き方してきたのかも解らないよ。

 でも…君は僕の分身みたいなものなんだろ?

 …キョウダイとか、そういう関係になれないかな」

クシャリと頭を掻き、ケリィは言う。…正直、かなり照れていた。顔が熱くて堪らないが、それでもパラディから目を離す事のないよう、気を付ける。パラディの頬が、見る見るうちに染まって行くのが見えた。

「…うわぁあ!ケリィ、お主は良い奴じゃなぁ!」

そして…感極まったのだろう、遂に声を上げたパラディは、迷う事無くケリィの首に抱きついて来た。

「…あっ…っちょ…やめ!」

苦しくは無いが、長い髪がくすぐったくて不本意に頬が緩んでしまう。エルピスはしばし、そんな二人の様子を微笑ましそうに見ていたが…

「…ケリィ、今の声…なんかエロい」

とんでもない事を呟いたので、次の瞬間ケリィの投げた枕を顔面に受けていた。


「――それはそうと…ケリィ、どうする?

 わしはこれから、お主の行動全てに付き添う事になるぞ?」

「…あ」

ようやく落ち着きを取り戻したパラディに冷静に尋ねられ、ケリィは我に帰る。

「そ…そうか。僕はパラディを連れて…学校に行かなくちゃいけないんだ」

その事実に気づくと同時に、ケリィが思いだしたのはユアンの…彼の傷ついた顔だった。

 ケリィは今日、生まれて初めてユアンを無視してしまったのだ。別れ際、責めるように名を呼ばれた事が忘れられず、胸が痛い。ケリィからの隠し事を極端に嫌うユアンに対して、あの行動はマズかったかもしれない。

…とにかく明日は謝ろう。それで許してもらえたら…良いのだけど。


「――あの…ケリィ。

 わしはユアンとやらがお主を責めるような人間には思えぬのじゃが?」

 そしてそんなケリィの心痛を察したのだろう。困ったように、パラディは言った。

ユアンに巻いてもらったという包帯に手を添え、上目使いでケリィを見る。

「あやつはお主の友達じゃろ?心配してくれておるだけじゃろうて。

 説明すれば、解ってくれる」

「…そう…だったら良いんだけどね」

 頭を抱え、ケリィは唸った。パラディから何と慰められようと、ケリィが思い浮かべるのは怒りに支配されたユアンの冷たい眼差しだ。

 …どう謝ったら、許してもらえるんだろう。説明する手段を考えるよりも先に、謝罪の言葉を模索してしまうのは、ケリィにとって癖のようなものだ。

 …そしてそんなケリィの様子に、パラディは眉を潜める。

「もっと堂々としろ、ケリィ」

そう言って、ぺチぺチと頬を叩いてきた。

「友を前に弱気になるでない。とても、とっても大切な相手なんじゃぞ」

 …失ってしまってから後悔しても、遅いんだ。と、そう語るパラディの瞳は、直視できない程に真っすぐだ。 

 ――瞬間、ケリィは思いだす。

彼女はサナトスに、仲間を殺されているのだ。彼女の大切な友は、もう生きていないのだ。

「…ごめん。パラディ」

俯いたケリィの頭を、パラディはふわりと浮かびあがって撫でてくれたのだった。


 ――そうして迎えた翌朝。

 通学途中のユアンを見つけたケリィは、思い切って話しかけてみた。

「あの…ユアン!」

振り返って即向けられるであろう、冷たい視線を覚悟し、ケリィは言う。

「昨日は何の説明もできなくて…ごめん。実は…」

俯きたくなるのを堪えて、ケリィは言う。

 …とにかくまずは、パラディの事を紹介しなくては。焦るケリィに向かい、振り返ったユアンはとびきりの笑顔をくれた。

「ああ、良かった!君に渡したいものがあったんだよ、ケリィ!」

そう言って、唖然とするケリィの手に、小さな布切れを握らせる。

薄桃色の布地で作られたそれは、白い花弁のレースで細かく飾られ、大変愛らしい。

「…昨日の夜、一生懸命作ったんだ。女の子だもん、包帯ばっかじゃ、可愛そうだよね」

「―――え?」

マジマジと、手元の布切れを見た。…これはまさか、眼帯…なのか?


「…使ってね。パラディ?」

にこりと微笑んで、ユアンは言う。

 名を呼ばれたパラディは、ケリィの肩元にひょっこりと顔を出し

「…ほれ見ろ。友達とは、こういうものじゃ」

そう言って、誇らしげに鼻を鳴らしたのだった。


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