第1話 素材オタクと過保護な公爵
「エルネ! またそんなゴミみたいな草を抱え込んで……! 魔法も使えない雑用係が、ギルドの倉庫を散らかすんじゃない!」
早朝の冒険者ギルド『銀の翼亭』に、倉庫番の怒声が響き渡った。
怒鳴られている当人の少女、
エルネ・ミルフィは、叱責などまったく耳に入っていない様子で、大事そうに抱えた泥だらけの束を愛おしそうになでていた。
「ゴミだなんてとんでもないです! これはただの雑草ではありません。葉の裏に微かな銀の脈が走っている……極寒の霊峰にしか生えないはずの『銀脈スズラン』の変異種です! 適切な手順で乾燥させて煎じれば、どんな頑固な神経痛だって一発で和らぐ神薬になるんですよ!」
「はいはい、分かったからさっさと裏の掃除に戻れ! お前みたいな『魔力ゼロ』の役立たずを雇ってやっているだけでも感謝してほしいくらいなんだからな!」
「絶対に捨てないでください! 許可はギルドマスターにもらっていますからね!」
エルネはふくれっ面をしながらも掃除に向かう。
彼女はこのギルドで「役立たずの雑用係」として扱われている。
この世界において、魔法の適性や魔力量はそのまま個人の価値に直結する。
指先から火を点けることすらできないエルネは、冒険者としても落ちこぼれ、ギルドの清掃や備品の管理くらいしか任せてもらえないのだ。
だが、エルネには周囲の誰にも理解できない特異な才能があった。
それは、世界中のあらゆる植物、鉱石、魔物の一部をひと目で見極める超絶的な「鑑定眼」と、極上の素材を吸い寄せるかのような「素材採取」のセンスである。
ギルドマスターのみがその価値を認め、彼女をこのギルドに留めていた。
(まったく、みんな素材の本当の価値を知らないんだから。……まあいいわ。今日の採取目標は、森の奥に生えているという『月光苔』! 夜のうちに摘まないと光が消えちゃうから、早めに仕事終わらせて出発しないと)
エルネが掃除道具を片手に裏庭へ向かおうとした、その時だった。
ギルドの重厚な観音開きの扉が、地響きのような音を立てて勢いよく開け放たれた。
ざわ。
場内が一瞬で静まり返る。
荒くれ者の冒険者たちが息を飲み、背筋を伸ばして入り口を注視した。
そこに立っていたのは、一陣の凍てつく風を纏ったかのような美しい男だった。
プラチナブロンドの髪を後ろに流し、氷の結晶を思わせる冷涼な青い瞳。
浅黒い肌、服越しにもわかる筋肉質な体型。
スキのない漆黒の軍服の上から、白銀の装飾が施された外套を羽織っている。
彼の名はアルディス・ヴァルボート。
この国で「氷竜公爵」の異名を持ち、最強の騎士団を率いる若き英傑である。
その圧倒的な実力と、敵に対して一切の情け容赦がない冷酷さから、裏では「血も涙もない凍える死神」と恐れられていた。
そんな雲の上のような存在が、なぜこんな地方都市の小汚い冒険者ギルドに。
荒くれ者たちが怯え混じりの視線を送る中、アルディスはまっすぐにエルネの方へと歩み寄ってきた。
(あ、アルディス様だ)
エルネが小さく首をかしげると、冷酷無比と恐れられる公爵の顔から、一瞬で氷の仮面が剥れ落ちた。
その瞳に宿ったのは、溶けるような甘さと、深い深い執着の光である。
「……エルネ。おはよう。今日も愛らしいね」
「おはようございます、アルディス様。私だからいいですけど朝からそんなに顔を近づけると、冒険者のみなさんが緊張で固まっちゃいますよ?」
アルディスは周囲の視線など気にせず、極上の微笑みを浮かべる。
エルネの泥で汚れた手を躊躇いもなく自分の両手で包み込んだ。
「構わないさ。それより、今日の体調はどうだい? どこか痛むところはないか? 寒くはないかい? 何か欲しい素材があれば、騎士団を総動員してでも世界中から集めてくるが」
「大丈夫ですってば! 私は元気に草を摘みに行くだけですから!」
一連のやり取りを見ていたギルドの冒険者たちの中には、この光景を見慣れているものもいる。
心の中で「また始まった……」と頭を抱えているだろう。
そう、あの冷酷無比な氷竜公爵は、この魔法も使えない落ちこぼれの雑用係・エルネに、狂わんばかりにベタ惚れしているのだ。
事の始まりは数ヶ月前。
アルディスは生まれつき、体内の巨大すぎる魔力が暴走を起こす「魔力過多症」という奇病(呪い)に侵されていた。
定期的に脳を叩き割られるような激痛に襲われ、数日間も不眠が続くという地獄を味わっていたのだ。
戦に出る。
魔物を倒す。
膨大な魔力を発散するしか対処ができなかった。
ある日、要人護衛の途中で限界を迎えたアルディスに、たまたま通りかかったエルネが「これ、煮出して飲むとすっきりしますよ。魔力つまりですかね? 大変ですね」と、自作の薬草茶を差し出した。
半信半疑でそれを口にしたアルディスを待っていたのは、奇跡だった。
どんな高級な魔法薬でも治らなかった激痛が一瞬で引き、数年ぶりに穏やかな眠りが訪れたのだ。
エルネが渡したのは、一般的な薬草学では「毒草」と誤認されていた、超希少な霊草の調合茶。
彼女の圧倒的な鑑定眼と調合技術が、アルディスの持病を劇的に改善させた瞬間だった。
以来、アルディスにとってエルネは「救世主」であり、「絶対に手放してはならない最愛の存在」となったのである。
「今日も森へ採取に行くんだろう? 私も同行する」
「えっ、アルディス様はお仕事があるんじゃ……? 公爵様が護衛なんて大袈裟すぎます!」
「大袈裟なものか。君が森で転んで膝でも擦りむいたら、私はその森を凍らせて更地にしてしまうかもしれない。君の安全を守るためなら、公務などいくらでも後回しにする」
さらりと恐ろしいことを言う公爵に、エルネは引きつった笑いを返した。
「そんなことしたら、せっかくの激レア苔が絶滅しちゃいます! 絶対に駄目ですからね!」
「……ふふ、君がそう言うなら、森の生態系は残しておこう。さあ、行こうか。私の可愛い採取士さん」
アルディスは嬉しそうにエルネの腰に手を回し、エスコートするようにギルドの出口へと向かいかけた。
その時だった。
「まあ! お待ちになって、アルディス様!」
甲高い、耳に障る声がギルド内に響き渡った。
高価なシルクをふんだんに使ったドレスの裾を翻し、一人の少女が優雅に、そして取り巻きを引き連れて歩み出てくる。
華やかな金髪を巻き上げ、派手な宝石をジャラジャラと身につけた彼女は、デラピラ伯爵家の令嬢・シエルカだった。
シエルカはアルディスを見つけると、扇子で口元を隠しながら、甘ったるい声を上げた。
「このような薄汚い冒険者ギルドに、アルディス様がいらっしゃるなんて……! あら、もしやこの私をお迎えに来てくださったのですか?」
シエルカはチラリとエルネを見下し、あからさまに嫌悪感に満ちた蔑みの視線を向けた。
「それにしても……そんな泥臭い雑用係の女と何を話していらしたの? 近づくだけで汚れが移りそうですわ。アルディス様のような高貴なお方には、私のような格式ある令嬢こそがふさわしいはずです」
一瞬にして、ギルド内の温度が十度ほど下がったかのような錯覚を全員が覚えた。
アルディスの青い瞳から光が消え、絶対零度の殺気がシエルカへと向けられた。
しかしシエルカはその冷気すら「自分に向けられた情熱」だと勘違いしているのか、うっとりと頬を染めていた。
一方、当のエルネはといえば、
(わぁ……あのドレスについている赤い宝石、ただのルビーじゃないわ。魔力を無差別に吸引しちゃう『寄生鉱石』だ。あんなの身につけてたら、そのうち魔力酔いで倒れちゃうんじゃないかしら……)
マウントをとってきたシエルカの嫌味など微塵も気にとめず、彼女のアクセサリーの危険性について真剣に考察を深めているのだった。




